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日本の「全共闘世代」はなぜダメだったのか

冷戦後の日本の足をひっぱった人々、日本の成長を止めて後続世代の将来を奪った人々、それは「全共闘世代」だ。

昨日も引用したハフポストの記事にこうある。

「「岩盤リベラル」とは、憲法や安全保障など1960~70年代の対立軸を重視する確固たる左派層のこと。朝日新聞や毎日新聞がその理論を支えてきた。」

この岩盤リベラルの正体は、全共闘世代だ。1960〜70年代に青春を送り、その時のイデオロギーから逃れられない。現在75歳前後で、古臭い左翼思想から、いまなお「革新政党」に投票しつづける人々だ。

全共闘世代は普通、戦後のベビーブーマー、団塊の世代と重ねて考えられる。1945〜1950年くらいに生まれた人々だ。

しかし私が「全共闘世代」というのは、1968、9年の世界的な学生運動高揚期の思想に若い頃出会い、決定的な影響を受けた人々のことである。10代初めにその洗礼を受けた人もいれば、30代で受けた人もいる。

世界的には「68ers(シックスティエイターズ)」と言う。戦後生まれが中心だが、1935〜1960年生まれくらいの幅がある。世界各国に、この68ersがいる。

日本でも、もちろん、すべての人が学生運動に影響を受けたわけではない。全体から見れば少数だ。しかし、彼らは知的にはエリートで、マスコミや大学などに多数存在し、80年代以降も思想的な影響力を持った。

朝日、毎日の社論も、結局のところ、この世代の影響からずっと逃れられなかった。80年代以降、この世代が編集長になり、役員になり、社長になり、権力を持ち続けたからだ。

68ersの影響は悪いものばかりではなかった。よく言われるように、彼らは1980年代後半の東欧革命の担い手になった。チェコのハヴェルは、1968年の「プラハの春」の反体制派であり、89年に共産党政権を打破して新生チェコの大統領になる。

このチェコのハヴェル(1936年生まれ)と、朝日新聞の筑紫哲也(1935年生まれ)がほぼ同年だ、というあたりに、日本の事情が象徴されているように思う。

ハヴェルが冷戦期の思想を打破しようとしたのに対し、筑紫はそれを保守しようとした。筑紫ら「リベラル世論」の働きで、日本では、東欧革命のさなかに、社会党が議席を伸ばした。1990年の総選挙で、60年代後半並みの136議席を得るのである(そして、その勢いの中で辻元清美や保坂展人が社会党に入り、冷戦期思想が次世代に引き継がれる)。

それが、日本の「失われた30年」の原点なのである。

アメリカでは「ネオコン」が話題になった。60年代までは左派だったが、その後保守主義に転向した人々で、ブッシュ親子の政権に仕えたタカ派のポール・ウォルフォウィッツ(1943年生まれ)などが有名だ。

日本では、読売新聞の渡辺恒雄が「ネオコン」だと言われた(東大の新人会、共産党員で、のちに保守に転向した)。実際、渡辺が主筆となった90年代、読売新聞はいち早く冷戦思考からの脱皮を訴え、朝日毎日よりはるかに先進的だった。

その他にも、西部邁のような「転向者」はいたが、だいたい全学連の世代までで、全共闘世代以降はむしろ「戦後思想を守れ」で、戦中派世代と結託したように見える。筑紫哲也と瀬戸内寂聴が同志だった。そのさいの旗印が「憲法9条」だ。

この時期の団塊世代の代表といえば、糸井重里、末井昭、島森路子といった人たちが浮かぶ。「広告批評」の島森と天野祐吉は、この時期に朝日新聞に出ずっぱりというほど登場していた。

それほど政治的ではない、反抗も順応もせず、資本主義社会に半ノリして浮遊する、というスタイルで、逆説的な政治性を発揮していた。現状について俺たちに責任はない、という感じで、責任とともに「転向」も回避した。反省もせず、総括もせず。

繰り返すが、それが「失われた30年」の原点、1990年代である。

若い世代はもう悟っていて、この世代が死んでいけば自然に日本は変わっていくとわかっている。しかし、彼らが死んだ後も、その責任と負の遺産は残る。

なぜ彼らはダメだったのか。世界の中でも、なぜ日本の彼らは特にダメだったのか。その答えは次回(そこまで考えてなかった)!

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