「政権批判がやりにくくなった」とマスコミが言うとき
先日、 SNSで、メディアが「政権批判」をしにくくなった、という内部情報のごときものを見かけた。
権力が露骨にメディアに介入しているというのではなく、メディア内部の「空気」の圧力でそうなりつつある、という趣旨だ。
なるほど、そういうこともあるかもしれない。
しかし、こういう声は、これまでもよく聞いた。左派メディアが「追い込まれた」と感じる時、こういう声がよく漏れていくる。
たとえば15年くらい前の第一次安部政権が生まれたときも、こういう声が聞かれたものだ。
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3つのことを考える必要がある。
1つ目は、あたかも政権批判だけがやりにくいように言うが、実際には、いつもいろいろ忖度しているではないか、ということ。
天皇制批判をやらない。
ジャニーズ批判をやらない。
部落解放同盟批判をやらない。
創価学会批判をやらない。
タバコや酒や車など大広告主の批判をやらない。
とかね。
それらに比べたら、いつも政権批判はよくやってる方だろう。
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2つ目は、余計な「圧力」さえなければ、政権批判を自由にやってきた、ような口ぶりだが、違うだろう。
マスコミはいつでも、政治権力と取引してきたではないか。
紙面で威勢のいい事を言っても、あるいは、威勢のいい事を言える力を脅しのタネに、経営者は権力から利益を引き出してきた。最近では軽減税率とかね。
時々の権力とつながってきたからこそ、日本のマスコミは全て長寿企業(または長寿企業を親会社に持っている企業)で、だいたい100年以上続いている。
今さらカマトト(この言葉はまだ通じるか?)ぶるな、ってこと。
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第3に、政権批判って、要するに自民党批判のことだろ、と。
左派メディアは自民党が嫌いだ。立憲民主党が好きだ。
それなのに、選挙の結果、辻元清美とか小沢一郎とかの、頼みの綱が追い込まれて、恐慌状態なのだ。
それは「空気」の圧力を感じるだろう。その「空気」とは、すなわち民意なのだから。
それを「政治権力」の圧力のごとく偽装して、被害者ぶっていませんか。
てこと〜。
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