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政治家の名演説

海部俊樹が亡くなった。

と言っても、若い人は海部を全く知らないかもしれない。

リクルート事件の余波で、事件と関係がない地味な政治家が首相になった。宇野宗佑の次が海部だ。つまりクリーンなイメージが売り物だった。

もう1つの売り物が、「演説の名手」だ。早大雄弁会時代の「海部の前に海部なし、海部の後に海部なし」という評判は、そのときも盛んに新聞に載ったし、今日の訃報でも引用されてる。

だから、どんなにうまい演説をするのだろうと、テレビで海部を見ていたが、ちっともうまいと思わなかった。あの「海部の前に〜」というのはなんだったのか。

菅直人も演説の名手と言われたから、テレビで国会中継が目に入ると耳を傾けたのだが、これまた、ちっともうまいと思えなかった。

というか、演説のうまい政治家というのを、見た記憶がない。

ドラマや映画では、政治家の名演説がクライマックス、というのがいくつもある。

シェークスピアの「ヘンリー5世」は別としても、メル・ギブソンが演じたウィリアム・ウォレス(「ブレイブハート」)とか、リーアム・ニーソンが演じた「マイケル・コリンズ」とか、比較的最近ではゲイリー・オールドマンが演じた「ウィンストン・チャーチル」とか・・。

こうして並べてみると、政治家の名演説と言われるものは、開戦を呼びかけるスピーチが多いね。

ヒトラーなんかをあわせて考えると、政治家の名演説は、あんまりなくてもいいかもしれない。

政治家ではないが、私の記憶に新しい名演説といえば、漫画家の小林よしのりがおこなった、2017年の衆院選での、枝野幸男への応援演説だ。

あれはすごかった。新宿の街頭に溢れるほど人を集め、大喝采だった。その場には、枝野のほかに、たしか海江田もいたが、どちらの演説も小林の雄弁の前では顔色なしだった。

だから、私のなかでは「小林のあとに小林なし」である。

安倍晋三も、演説に迫力があると思う。もちろん、政治的思想や好き嫌いとは別だ。「こんな人たちに」云々でマスコミに問題にされたことがあったが、演説になると闘争心に火がついて、政治家の本能で突っ走るのがわかる。安倍は、演説やスピーチになると燃えるんだと思う。野次の多さでも有名だが。

麻生太郎も同様で、問題発言とされる機会が多いが、演説やスピーチが政治家の本領だというのは、安倍と共通の思想だろう。だから、何度マスコミに叩かれようが、改めてない。

逆に、野党の政治家の演説がつまらないのは、そういう政治家の本能に欠けているからかもしれない。

玉木雄一郎の国会での初質問のときだったか、質問が終わったとき、安倍が玉木に駆け寄り、「いまのはよかった」と褒めているシーンがあった。あれは何か、演説マニアどうしのエール交換のような感じだった。

保守政治家に比較的演説の名手が多いのは、政治家のいちばん大きな仕事は、こまごました利害の調整ではなく、いざとなれば国民を戦争なりなんなりに動員することだ、とわかっているからかもしれない。

海部俊樹に話を戻せば、「湾岸戦争」の記憶と結びついている。大学では演説の名手だったかもしれないが、あの戦争の前後を思い出すと、海部は政治家本来の「動員演説」は下手だった、とやはり思わずにいられない。

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