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小山田圭吾とウディ・アレン 「悪趣味」と「新保守」の90年代

小山田圭吾の障害者いじめ告白は、知っている人には以前から有名だったそうだが、私は全然知らなかった。その内容には当然ながら驚いた。

騒動は小山田の「オリンピック」辞任で一応の決着を見そうだが、ああした「露悪的」な記事が堂々と公になっていた1990年代の特異性に、改めて焦点が当てられた。「その時代には許された」という意見もあったが、それについて思うことがある。

「ロッキン・オン」記事が出た1994年ごろの「悪趣味ブーム」について、私はほとんど記憶にない。「完全自殺マニュアル」(1993 太田出版)は覚えているが、影響を受けたこともない。私も一応マスコミにいたのだが、そうした文化圏とは距離を置いていた。

私にとっての1990年代は、「新保守主義」との格闘の時代だった。代表的にはアラン・ブルームの「アメリカン・マインドの終焉 文化と教育の危機」(翻訳1988 みすず書房)だ。

この本は、ソ連崩壊とリベラル・デモクラシー万歳の便乗本(例えばフランシス・フクヤマ「歴史の終わり」)とは一線を画し、リベラルの「自由と平等」が、いかに倫理的退廃を招くかを、本質的に摘出していた。それはアメリカだけの話ではなかった。

例えば、その頃は誰もが褒めていたウディ・アレンの映画を「リベラルのいきすぎ」だと倫理的に批判していたのが本書だ。私はそんな考え方を、しかもアメリカ人がするのかと衝撃を受けたのだ(当時の私は当たり前のように「リベラル」だった)。

いまウディ・アレンは、「マンハッタン」での中年男と少女の性愛などの描写、また実生活でのセクハラ疑惑で、左翼やフェミから批判されている。しかし、最初にそれを批判したのは保守であったことを忘れてはならない。

同じようなことは日本でもあった。雨宮処凛は、「悪趣味ブーム」の当時、アダルト業界が少女を搾取するのを見るに見かね、それを批判する見沢知廉などの新右翼に惹かれていく。左翼リベラルの方は、「援助交際」を擁護した宮台真司のように、「自由」がもたらす文化的退廃、「野蛮」に対して、批判の論理と言葉を持たなかったのだ。

80年代の相対主義は、90年代に入ってますます歯止めを失い「悪趣味ブーム」化した。アメリカからの新保守主義が日本でも真面目に受け止められ始めた中、また日本で「新しい歴史教科書を作る」運動などが起こる中で、日本の左翼リベラルは、それらへの対抗上も「悪趣味」を放置し、時に擁護的、「露悪的」だった、という図式が、小山田問題を通して、いまは見えてくる。


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