見出し画像

新聞についての根本的誤解 「新聞読んでる10代ほぼゼロ」記事について

この記事なんだけど。

何か2つの暗黙の前提があるようだ。

1 かつての若者は政治意識が高いから新聞を読んでいた

2 今の若者は新聞を読まないから政治意識が低い

この筆者の文章はよく見るが、うまい人だと思う。というのは、上のような、俗耳に入りやすい「仮説」を、さも論理的に説いているようにみせるからだ。

従来の「保守対革新」の図式が壊れてきた、という、これまた100億回は聞いた話だが、認識として間違いとは思わない。

しかし、保守対革新的な図式を新聞が代表し、それぞれの贔屓筋が新聞購読を通じて政治的意思表示をしていた、的なイメージは間違いだ。100パーセント間違いだとは言わないが、すごく誇張されている。

もしそれが本当なら、朝日+毎日の部数、読売+産経の部数が、選挙における社会党、自民党の得票数とパラレルなはずだ。しかし、そんな話は聞いたことがない。

若者うんぬんより、その点を書いておきたいと思う。

朝日・毎日が「左」で、読売・産経が「右」ということを認識して新聞を購読していた世帯がどれほどいたか。

朝日の新聞勧誘員を断るときに、「うちは保守思想だから読売を取っている」と言って断る世帯がどれほどいたか。

その場合、もし断るとしたら、「うちはずっと読売の販売所だから」と言ったのである。

それに対して、「朝日に替えてくれたら、洗剤をつけますよ」と言われ、「じゃあ替えてみようかしら」となった。

このあたりは、牛乳とか月刊雑誌などが販売店から家庭に届けてもらっていた時代を知らないと、わからないかもしれない。

多くの世帯にとって、新聞というのは、牛乳なんかと同じような「サブスク」商品だった。家庭で定期的にとるのが当たり前だと思われていたので、最寄りの販売店と契約していたにすぎない。

契約しているから、毎朝、新聞と牛乳が届いて、ダイニングテーブルに置いてある。置いてあるから読むし、飲む。みたいなものだったのだ。

Netflixと契約してるから、そのオリジナルドラマを見る、というのと同じだ。

そのブランドは、政治意識とはほぼ関係ないものだった。

前にも書いたが、新聞が読まれなくなった理由は、政治意識とは関係ないところにある。

「ニュース」も「牛乳」も、かつてはサブスク契約しないと摂取できないか、サブスク契約したほうが得な商品だった。

しかし、特定の販売店と契約しなくても、それらの「商品」が入手できるようになった。だから購入されなくなったのである。

それ以前には、ブランドをめぐる競争があったのは確かだ。

これも前に書いたが、新聞はかつては「オリジナルコンテンツ」を売り物にし、それでサブスク契約してもらうものだった。

朝日新聞は明治の終わりに夏目漱石を専属作家にした。漱石を読むために朝日をとる世帯はいた。

毎日新聞は戦中、徳富蘇峰を社員にして「近世日本国民史」を連載した。今では忘れられているが、やはりこれを読むために毎日をとる世帯があった。

さらにその前は、より個性的な新聞がしのぎを削っていた。価格もまちまちだったし、値引き販売が常識だった。

しかし、戦後は、新聞自体の違いはほぼ「のっぺらぼう」になった。

論調に多少の違いがあっても、それを理由に新聞を選ぶ人は少なくなったし、むしろ論調の違いを出さないようにするのが戦後の新聞だった。

明治時代は新聞どうしが論戦するのもしょっちゅうだったが、戦後はむしろ業界横並び意識が強くなり、政治的なメッセージも各社連名の「共同声明」として出されるようになった。

新聞という商品本体より、洗剤などの特典で消費者を奪い合うものになる。

その拡販競争で業界全体が疲弊し、また「ヤクザが売る」に世間の批判もあったので、販売競争は減衰した。それから新聞紙面の違いが出るようなった。しかしそれは割に最近のことである。

私も新聞社に務めたが、新聞社は「これがあるから読者はうちの新聞を読んでいる」というオリジナルコンテンツ作りに、まるで関心がないのに驚いた。

あるのは、うちの新聞記者の書く記事と論説が優れているから読者はうちの新聞を読んでいる、という根拠レスなプライドだけだった。

「それは勘違いだ」とずーっと思っていたから、いま新聞の部数が激減して当然という思いしかない。

しかしこれは、NetflixとかAdobeとかの「サブスク企業」も、将来陥るかもしれない「サブスクの罠」だ。

サブスクで市場を寡占するうちに、いつの間にか「コンテンツ」に関心を失ってしまう。

そのうち、同じサービスを別の形態で売る、あるいは、より魅力的な別のサービスを生むイノベーションが起きる。

そうなれば、同じコンテンツを売り続けるしかない旧メディアは終わりだ。ネトフリの前業、定額制のDVDレンタルが終わったように。当然だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?