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家族の認知症介護、試行錯誤の結果は全て正解。

「お互いにとってより良い介護ってなんだろう?」

時にすれ違い、感情が交錯することで生まれる衝突。認知症介護にはつきものです。

認知症になると、同じ話を何度も繰り返すとか、何度もトイレに行こうとするとか、自宅にいるのに「帰る」と言い出すとか、ご飯を食べたことを忘れるとか、汚物が箪笥に入れられているとか、物を失くし突飛なところから出てくるとか、何度も見回りを繰り返すとか、急に泣いたり怒ったり、いわゆる徘徊する、好きだった風呂が嫌いになる、そうした事がきっと増えてくるに違いありません。

介護者の側からすると、要介護者のこのような変化には少なからず戸惑いが生じます。以前の姿を知っている身近な人ほど、この変化についていけないことも大いにあります。しかし、それもまた当然の事だと思います。

人間は感情の動物であると言いますが、そもそも感情を抱くことは哺乳類や鳥類といった生物元来の性質によるものだと認識されています。我々の感情は容易く伝播し、それだけで複雑な精神世界を構築し、多くのコミュニケーションを可能としているのです。

さて従来ならば上記のような行動は"問題行動"と見做されてきました。しかし現在は、簡単に言うと"心の声が表出している"のだと考えられています。認知症の方々に見られるような行動に対して、感情的に対応すると逆効果である事は多くの介護者が経験しているところだと思います。

介護者としての在り方の答えはきっと身近なところにあります。誰もが幼いときに経験し、親として試行錯誤することに近いことです。例えば、嬰児が泣いていたとして、親ならば痛いのか痒いのか、お腹が空いたのか、眠たいのか、はたまたお漏らしが気持ち悪いのか、といって想像を巡らせてあらゆる対応を取るでしょう。

そして次第に、こういう時にはきっとこういう状況だといって推測しながら定石を積み上げていくはずです。勿論どうにもならないことだってあるはずでしょうが、そうしていつしか見ず知らずの他人よりも我が子の事をより理解し、子供の方も安心するはずです。この行程は、子供や老人だけでなく、人間だれしも当てはまるものなのです。

このように不機嫌があるとか笑っているとか、ちょっとした態度や言動が一つ一つ声なき声として存在しているはずなのです。これらを一つ一つ探りながら解消していく事が、理解と安心に繋がっていくように思います。これらの声は千差万別、画一的な対応は出来ず、各人によって対応が異なります。

時には難しいこともありますが、まずは受容してみること、きっとこれが出来ればお互いにとって負担が少ない介護になっていくのだと思えます。そして、正解は無い介護だからこそ、”試行錯誤した結果は全て正解"だったとも言えるのではないでしょうか。

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