シンプルな生活を、淡々と
2月始まりの朝は、静けさとともにやってきた。
出勤と同時に玄関のドアを開けると、珍しく霧がかった街が顔を出す。昨晩は雨が降ったようで、悪いものから淀んだ空気まで、全部丸洗したような雰囲気に包まれていた。曇り空なのにも関わらず、何だか気持ちが良い。僕は晴ればかりが好きな人間だと思っていたが、雨上がりの曇り空の朝もまた、僕の好みらしい。
濡れたアスファルトを踏んで闊歩する。ぽつりぽつりと出勤や通学で行き交う人々。寒さから身を守るように、口元をすっぽりと隠している。もう2024年もひと月が過ぎたのだ。週の途中とはいえ、何だか気持ちがあらたになる。
昨晩の雨のせいもあるだろう。
ついこの前までどんよりしていた僕の調子も、なんだか丸洗されたような気がした。
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生きていれば、波がある。絶好調の日もあれば、絶不調の日もある。
1月は後半にかけて不調の波に襲われた。仕事もプライベートも、何だかうまくいっている気がしなかった。結果的には睡眠不足や運動不足も重なって、気持ちも滅入っていた。なんだかんだ、新しい仕事に就てから1年がそろそろ経とうというときでもある。おそらく、いろんな疲れがではじめていた。
こんなときは、ああしょうがないなと思って、ただ耐える。不調で荒れる身の回りや食生活を少しずつ直しながら。きたる好調の日まで耐えるのだ。人間とはちっぽけなもので、自分の運命を変えられるタイミングはあったとしても、そのタイミングが常に来ているわけではない。やはり停滞のタイミングはあって、雨宿りをするしかない。雨の中を傘もささずに突っ走ってもいいのだが、無理をすると風邪をひく。だから、無理はしない。耐えるのみである。
こんなときこそ、時間を贅沢に使ってみる。銭湯に行って、無駄に時間を過ごしてみたりする。あーこの時間でいろんなことができるのに、なんてことを思いながら、ぼーっとする。停滞期には何をしてもうまくいかないタイミングがあって、だから何もしない。何もしないと不安になるが、何かをしようとすることによってさらに不安が生まれるよりはマシなのだ。
早起きする。飯を食う。ぼーっとする。本を読む。風呂に入る。
生活をシンプルに、たんたんと繰り返す。
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生活をシンプルに繰り返すということが、心の健康にはとても大切である。
禅でいうところの「呼吸」みたいなものなのだ。
淡々と繰り返す生活。その生活を乱さないように調整しようとする心が、何事にも必要なのである。「平常心」ともいえようか。その実践の場が、生活なのである。
たまには朝寝坊もしたくなる。夜更かしもしたくなる。いいだろう、ぜんぜんしたらいいと思う。だが、少し経つとまたいつもの生活に戻る。これがたいていだろう。やはり体に身についている「生活」があって、そこが心地よいからこそ、自然とそちらの方に方向を修正していく。いつも通りを淡々にというのが、やはり自分たちの心にとっては心地の良い場なのだろう。
生活を整えるというと「物理的な環境」という印象が強いかもしれないが、「習慣」として自分自身の心地よいと思うリズムを淡々と繰り返すという意味もあると思う。
不調になって、そんなことについて目を向けた。
おかげで僕は、調子を取り戻しつつある。
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僕自身の生活のリズムは、戻りつつある。もう少しで完全に戻る。しかし、また不調が訪れることを前置きしておけば、僕のリズムの中でも少し変化を加えても良いようなところもある気がする。
自分にとっての心地よい生活リズムとは、何だろうか。
あらためてそんな問いに向き合い、より良い生活を見つけてみたい。
そんな2月にしたいものだ。
2024.02.01
書きかけの手帖
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