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ダイエット&ボディビルBL「愛と筋」37

叱られることを覚悟して近づくと、

「よくやった」

ふわっと抱きしめられた。

「ふ、藤さん……で、でも、僕、5位……」

「結果はもちろん大事だが、俺にとって何より大事なのは、おまえが精一杯挑んだことだ」

藤はよしよし、と尚太郎の頭を撫でて、

「尚太郎、楽しめよ。大会にでる緊張も、勝った嬉しさも、負けた悔しさも、全部ひっくるめて日々のトレーニングを楽しむんだ。……俺も昔はいろいろあったが、今、筋トレは楽しいと心底思う。だから、おまえも楽しめ」

「……でもっ、僕、悔しいです。僕よりすごい人がいるってことは勿論わかってたけど……それを当たり前だと思っていた自分が、悔しい。実際にすごいバルクを持った人たちと並んでみて、それがどれだけの努力の塊なのかを痛いくらい感じ取って……僕、恥ずかしくなりました。僕の努力はまだまだ全然足りなかった」

「尚太郎……」

「藤さん、僕、デカくなりたい……!」

藤は面食らったように目を見開いてから、口端を上げた。尚太郎の頭をぐりぐりと撫で回す。

「たしかにおまえは背中の広がりは十分だが、厚みが足りない。骨格でカバーしてはいるが、肩の張り出しも弱い。僧帽筋の高さもない。ミッドセクションと大腿四頭筋のカットを含め、全体的なボリュームが不足していてメリハリもない」

「うぅ……はい」

「だが悲観するレベルじゃない。だから国内屈指の強者揃いのKBCで5位に入れたんだ。初出場でこんだけやれたら上出来だ。自信持て」

藤はうなだれた尚太郎のぼさぼさ頭から手を離し、周囲をちらりと見た。

「周りの奴ら、すっげぇこっち見てるぜ。無名の新人に興味津々なんだろうな。まぁ俺が抱きついたからってのもあるだろうけど。あとおまえがハミ出してるのもあるだろうけど」

「!」

「よかったな、そこは十分すぎるほどデカいぞ。驚異の大型新人だ」

「もうやめてくださいよっ」

「くくくっ、さぁて、俺もそろそろ準備するか」

尚太郎は涙目になって股間を押さえ、バッグから服を取り出した。
決勝出場者以外のボディビル選手が去ったステージ裏には、代わりにフィジーク選手たちが入っている。
ボディビルと比べるとスラッとした印象の男たちがパンプアップしている姿を見るともなしに見て、着替え始める。

「着替えたぞ、どうだ」

早ッ、と思いつつ振り向くと、サーフパンツをはいた藤が、腰に手を当ててふんぞり返っていた。鮮やかな紫色の蛇柄サーフパンツは、縁に黄色の蛍光ラインが入っていて目がチカチカする。

「……派手ですね」

「俺はヤマタノオロチパープルだからな」

「はぁ……」

「フィジークでは身体はもちろん、パンツの色や柄も大事なんだ。少しでも目立つために目につきやすいデザインを選ばねぇといけねぇの。布地の面積が少ないボディビルとは違うんだよ」

「そうなんですか」

相槌を打ったものの、藤のサーフパンツは他の選手たちのそれよりタイトな気がする。発達した大腿四頭筋の陰影がくっきり見えるほど肌に密着している。もはやスパッツな気がする。しかもちょっと短い。

(いいんだろうか……、いや、失格になるものを藤さんが履くはずないよな。きっと問題ないんだろう)

パンツのデザインはさて置き、身体はすごい。
藤の褐色の肌にツヤ出しオイルを塗りながら、尚太郎は目を見張る。
昨夜も見てはいたけれど、色欲のフィルターを外して改めて見ると、藤の身体の仕上がりは圧巻だ。皮が筋肉に張り付いているだけの状態まで絞られている。どこもかしこも鋭角に見える、研ぎ澄まされたデフィニションの美しさ。圧倒的な筋鮮明度。筋繊維の束が芸術的なラインを描き、くっきりと浮き出たバスキュラリティ(隆起した血管)が飾りたてている。
まるで雷マークのようにパリパリの腹斜筋をなぞって、尚太郎はほぉっと息を吐く。

「……これが、鬼絞りですか」

「ああ、増量で蓄えたバルクをなるべく維持しながら、脂肪をとことん削り取った。過去一番の仕上がりだ」

それが並大抵の努力でないことは、減量を体験した尚太郎にはよくわかる。

(すごいのは、絞りだけじゃない……)

ペック(くぼみ)が入った厚みのある大胸筋。張り出した肩と、盛り上がったシンメトリー・セパレーションの背中、きゅっと引き締まった細い腰が形作るVシェイプの上体。筋腹が短いためピークが高いカーフも、スタイリッシュに見える。

「なんか、もう、見事としか言いようのない身体ですね……」

藤はくすぐったそうにふふっと笑い、

「……俺、会長に認めて欲しくて、意地になっていたのかもしれない。ボディビルのステージに立てるほどのバルクが得られないなら、絞りによってフィジークのステージを制したいと思ってた」

「思ってた、って……今は違うんですか?」

藤は答えず、招集をかけるスタッフのもとへ歩いて行った。
その背中を見送った尚太郎は、荷物を担いで客席に移動した。先ほど藤がいた後列のリザーブ席に座る。間もなくBGMが変わり、選手が続々とステージに出てきた。

藤が登場したとたん、その完璧としか言いようのない仕上がりに、客席のテンションが跳ね上がった。さすが知名度が高いだけあって送られる声援の数も多い。その中でも、おそらく『筋断のF』の視聴者だろう男たちの、

「胸にドーバー海峡できてるぞ!」「その溝に挟まれたい!」「Eカップのブラジャーにも収まらない永遠の成長期バスト!」「色気のナイアガラ!」「存在自体が18禁!」「無修正ごちそうさまです!」

熱気のこもった野太い声がビリビリと会場の空気を震わせる。

(僕も何か言わなきゃ。でも何を言えばいいんだろう)

尚太郎は焦って考えを巡らしながらステージの上にいる藤を見る。
その男らしい肉体からは昨夜男に組み伏せられたことなど窺い知れない。
情事の痕跡すら見当たらない。それは、尚太郎が痕をつけないよう気遣っていたからだ。藤が努力して磨き上げた肉体に、余計なものをつけたくなかった。

だけど、大勢の男たちに熱烈な視線を向けられている藤を見ていると、猛烈に、マーキングしておけばよかったと思う。彼は自分のものだ。その素肌を誰にも見せたくない。
一方で、非の打ちどころのない彼の肉体を見て欲しいとも思う。他人が彼を賞賛していると誇らしい気持ちになる。……そして、おこがましいことに、競技者としての嫉妬も感じる。
複雑に混線する感情に戸惑いつつ、じっと目を凝らして藤を見つめる。
インパクトのある掛け声がバンバン上がる。焦りが募っていく。

(なにか声をかけないと……! で、でも、なにを言えばいい? なにを言えば彼に届く? 僕にしか言えないことはなんだ? 伝えたいことはなんだ?)

醜いやきもちも、誇らしさも、嫉妬も、彼に対する自分の気持ちではあるけれど、それより遥かに胸を占める想いは、何だ。
すぅっと息を吸い込んだ。

「藤さぁぁぁん! 好きですぅぅぅぅっ!!」

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