『紙を捲りつ』
断っておくがこれは嘘である。記憶を辿って書いているのだが、虚構と現実の区別がもはやつかない。そう云う話である。
小学生の頃、私は最愛の祖父を病気で亡くした。大好きではなく最愛と私が云えるは、歳を重ねた自分にあの様な真似は到底出来ないと思うからである。そして祖父の想いに少しでも応えたいと願うからである。
死因などはどうでもよい。ただ、それまで元気に見えた祖父はある日病院の個室に入院し、幾らも経たない内に逝ってしまった。
それまでも何度か入退院を繰り返していた様だったが、幼い私はそれを知らなかった。これは飽くまで私の想像であるが、病で苦しむ姿を見せぬよう気丈に振る舞っていたのではないか、そう思う。そんな祖父も世を去る前の晩、一言「痛い」と言ったそうである。
祖父が亡くなってからも、私は通い慣れた祖父の家をそれまでと同じく訪れていた。そこには未亡人となった祖母が一人で暮らしていた。私は彼女を好いていたが、祖父に対するそれとは少し違う感情を抱いていた。理由は判然としない。
ある日、電気も点けず薄暗い居間で祖母と二人きりでいると、玄関の引き戸ががらがらと開く音がした。
「はーい」と足の悪い祖母に代わり廊下に出て玄関へ向かったが誰もいなかった。玄関の戸も開いてはいなかった。私は特に不思議に思うこともなく部屋に戻った。そして暫く大きな箱形のテレビを眺めていた。
再び玄関の戸が開く音がした。私は玄関へ向かったが、またしても誰もいなかった。玄関の戸も同様に閉まったままであった。
そんなことがよくあった。戸が開く、厳密には玄関の戸が開く音がすると云うことは、誰かお客が来たと云う知らせであり、私はその度にただ迎えに出ただけであるし、そこに何の疑問も持たなかった。
それについて祖母は何か言っていたかもしれないが、私は条件反射的に行動していたに過ぎなかったので、あまりよく憶えていない。
私が亡き祖父の家を訪れる回数が減るにつれ、そう云ったことも無くなっていった。当然のことである。
そして、月日は流れ私は高校生になった。
その時分には祖父に対する想いも遠い記憶の中だけになっていたが、仏壇の前で手を合わせ拝む際には祖父の顔を思い描いた。そうした記憶のどれもが楽しく美しいものなのは、実際そうした記憶しか私が持ち合わせていないからでありそれは今も変わらない。
ややこしくなるといけないから云っておくが、ここからは祖父の話ではない。
その日、私が帰ると家には誰もいなかった。どう云う訳か物音一つしなかった。家では両親と父方の祖父母、それに三つ歳の離れた弟と暮らしていたのだが、家全体がしんと静まり返り人の気配がしなかった。
今にして思えば家族の一人くらいは居て然るべきである。当時主婦であった母や祖母などは尚更だ。私は大声を出すでもなく、家の中を探し回るでもなく、鞄を玄関に雑に投げ出すとそのまま裏山に続く一本道へと向かった。辺りはまだ懐中電灯が必要なほどに暗くなってはいなかった。
何故そうしたかは判らないが、家の静けさとは裏腹にそこに満ちるただならぬ空気が私を裏山へと向かわせた。それだけのことである。
山道を速足で登ること十分、道が二手に分かれる場所に出た。私は迷うことなく左へと曲がる道を選んだ。どちらを選んでも、脇道にさえ入らなければ結局のところ麓の国道まで降りてくる。
幼い頃は山で遊ぶこともあったから、その道のどちらがどうなっているかくらいは把握しているつもりだった。が、夕暮れ時である。普段であれば多少の恐れを抱いてもよさそうなものであったが、その時は一切感じなかった。言い知れぬ焦りにも似た何かがそれを掻き消していた。
左へと道を暫く進むと、大きく曲がったその先の林の窪地から大人たちの話し声が聞こえてきた。切羽詰まった風でなく何処か落ち着き、それでいて言葉を選ぶような沈黙が時折混じるのが堪らなく恐ろしかった。私は急いでそちらに向かい少し草木の倒れた藪へと分け入った。
結果から云うと、そこで隣の小父さんが亡くなっていた。不思議なもので、私は一目見て彼がもう生きてはいないのだと判った。
大きな木の下の少し開けた場所で小父さんは紺色の上下の作業衣を着て横になっていた。シートも何も無く枯れた枝葉の上でそうしていた。今にして思えば、あそこは川に背があるように山の淵であったように思えてならない。
顔は安らかだった。私は駆け寄り声を掛けた。
「分かる? おじさん、僕だよ」
それだけ言って私は後ずさった。消防団員の人がいただろうか。祖父や出張でよく家を留守にしていた父は。隣のおばさんもやはりいたのだろうか。よく憶えていない。悲嘆に暮れる声も、啜り泣く声も何も聞こえなかった。いや、憶えていない。どうやって家に帰ったかも判らない。帰る頃にはすっかり夜になっていたと思う。
一夜明けて、私は昨夜のことが夢であったように思った。しかしその日から小父さんの姿を見ることはなくなったので、やはりそう云うことだったのだろう。
その後、小父さんについての話題は家族からも隣の家からも聞くことは無かった。私も聞こうとはしなかったし聞きたくもなかった。
今、その小父さんのことを思い出そうとしても、中肉中背でがっしりした体格だったこと、顔が少し角張っていたこと、頭の毛は何時も短く刈り揃えられていたこと、などは目に浮かぶのだが顔の細かな表情が全く思い出せない。
あれから随分と経つが祖父や小父さんの幻を見たとか、声を聞いたりだとかそう云うことは一切ない。
お世辞にも人に誉められるような人生を送ってこなかった私に小言の一つも言いそうなものであるが、特に伝えたい事柄も無いのだろう。いや、とっくの昔に呆れられていると考えた方が納得がいく。
仮にあったとしても私に感じることが出来ないか、或いは伝えるだけの何かしらを二人が失ってしまったのではないか、とあらぬことを思ってみたりもする。
そしてどうした訳か私は最近になって彼らを強く思い出すのである。更に、今になって漸く気が付いたことが一つ。それは彼らにその力が無くとも、私にはこうして筆を取り、医者に止められてはいるがたまにグラスを傾け、日々紙を捲る力があると云うことである。
風誘う花も疾うに散った病の床でふと窓の外を見やる。とそこには昼間だと云うのに青白く燃えるような顔があるのだった。
〈了〉
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