見出し画像

貝谷嘉洋 バリアフリーを語る

 1970年、岐阜県生まれ(現在49歳)。筋ジストロフィーのため24時間介護が必要。

 10代前半で歩けなくなり、志望の高校から受験・入学拒否をされるなど、受け入れが悪い日本の学校生活で苦い思いをしつつも何とか大学を卒業した。だが、車いすに乗る障がい者が生きていくうえでバリア(障壁)だらけの社会に嫌気がさして渡米した。

 20代のほとんどを、カリフォルニア州バークレイで過ごした。私のような重度の障がい者が介護者を雇用して1人で暮らす自立生活で有名な街である。親の経済的支援のもと、現地の学生らを雇用し、自立生活を組み立てた。難関のカリフォルニア大学バークレイ校で修士を取得後、一本のレバーで運転できるジョイスティック車で北米大陸を一周した。
 生活の中で起こる様々な課題に向き合い、1人で切り抜けていくガッツを身に着けた。その中で障がいを理由に門戸を閉ざすのではなく、建物の段差を解消し支援制度を設けたうえで受け入れるバリアフリーのあるべき姿を学んだ。

 30代は帰国し、NPO法人日本バリアフリー協会を設立し、アメリカで得た経験をもとに日本のバリアフリーの環境の整備、および障がい者の社会進出・自立の促進を目指した。
 最初はジョイスティック車を日本に持ち込み、普及を啓発する活動を行ったが、高額な改造費用を自費で負担しないと運転ができない日本の支援システムが大きなバリアとなり、普及の難しさを実感した。
 運転を含め、学校や仕事、余暇などの活動において、障がい者がそうでない者と同じことをしようとすると非常にバリアの多い社会、システムになっていることを強く感じた。

 これらのバリアを取り除くためには、まず社会の障がい者に対する捉え方を「障がいがあっても様々な分野で能力を発揮できる」というポジティブなものに変えていく必要性を感じた。
 そこで、「ゴールドコンサート」という障がい者の音楽コンテストを開催しはじめた。これは、才能を発掘し、コンテストでの競い合いを通して、技術・表現力を向上させ、社会的評価を高めるものだ。
 東京国際フォーラムという観客席だけではなく楽屋や舞台もバリアフリーな会場で、多数の車いすエリアを設け、パソコン文字通訳、手話を大スクリーンに映し、それをインターネット生放送するという、毎年開催の1000人規模の国際的な音楽コンクールに育てた。

 40代は「ゴールドコンサート」を毎年継続するだけでなく、すそ野を広げるために、地方予選会を開催し、海外からの参加枠を拡げ国際化を進めた。
 また、新たな事業として「GCグランドフェスティバル」を立ち上げた。これはデンマークのグリーンコンサートという野外音楽フェスティバルを参考にしたもので、複数の著名なアーティストによる音楽イベントだ。
 障がい者が中心となって企画を進め、制作・運営業務をできる限り優先的に障がい者に発注するものである。収益を得て規模や回数を増やし実際に業務の幅や量を増やすこと、また観客だけでなくスタッフにも障がい者が存在する意義を、自然な形で一般の人々に啓発することが目的である。

 50代は、これら2つ、「ゴールドコンサート」と「GCグランドフェスティバル」を通して、障がい者に対する捉え方をいかに多くの人々に、大きくポジティブに変えてもらえるか、ということに全力を傾注したい。
 人々の意識のポジティブな変化により、建築物や受け入れ制度のバリアフリー化が促進されると信ずる。それによって、障がいの有無に関わらず、同じ場所や条件のもとで学び、働き、楽しめる社会に向けて一歩踏み出していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?