見出し画像

イギリス留学の一年を振り返る:突きつけられた現実と今後

どうも、お久しぶりです。

ノートの更新が途絶えていましたが、最近色々と落ち着いて来たのでまた更新しようと思います。楽しみにしてくださった方は、ありがとうございます。「初めて読んだよ」という方は、初めまして、ぜひ他の記事も読んでみてください!

6月に入り、ロンドンも暖かくなった。

少し前までは、寒い寒いと嘆いていたが、ふと暖かくなってみれば、それはそれでまた辛いということを最近知った。なぜなら、ロンドンの多くの家には空調がない上、家の作り自体が冬仕様である故、外が涼しくとも室内は蒸し暑いという状態がここ最近続いている。どうにかならないものか。

イギリス留学も残ること数ヶ月、今は日々卒業論文に取り掛かっている。今回は、6月をもって全ての学期が終わったということで、軽くこの一年の留学を振り返ってみたい。思い返せば、去年の今頃、自分は今の大学院、すなわちLSEに合格したことに対する安堵と喜び故、完全なる「息抜き」モードに入っていた。学部の間は、公務員試験や新型コロナウイルスなど色々あり、あまりしっかりと遊んだことはなかったが、学部最後の夏、初めて「人生の夏休み」というようなものを経験した。

そのよな「夏休み」を経て始まった留学生活。最初はもちろん緊張した。LSEというのはQS世界大学ランキングでいえば40位前後の大学、早稲田大学が200位以下であることを考えると、他の人たちとの実力差に不安だった。もちろん同期は皆世界各地のトップ校出身、それだけにとどまらず、中には学歴や職歴ともにキラキラな人もいた。そんな中で、自分の第一言語ではない英語で、どこまで戦うことができるのだろうかと不安だった。それだけにとどまらず、なんと今年は早稲田からもう一人の学生が留学していた。その方は、自分より半年早く卒業していて、同じ学術院の研究科(修士)で半年学びLSEへと編入した。話は聞いていたが、会ってみたら自分よりも遥かに長い時間政治理論と向き合い、学部時代に名門米国大学へ海外留学もしていた。まあ、だからなんだということだが、やはり同じ場所から来た人には劣ってはいかんという気持ちはあった。

ちなみに、同期34人中早稲田生は2名。他のプログラムに留学している人も数えたら約7名ほどいるのかな?日本人留学生がそもそも少ない状態で見たら、かなり多い方ではある。その中で、学部時代の同期だった2人とは1年間仲良くさせてもらった。片方の方はロンドンに行ってから初めて知り合い、もう一人は1年生の頃から知り合いだった。その方とは、同じ当時学部留学で同じ留学先を目指して、自分は結局コロナで行けなかったのだが、1年間の留学を経てダブルディグリープログラムを見事やり遂げた優秀な人だ。成績も自分よりはよっぽど高かった印象。優秀な同期や同窓達と同じ大学院で切磋琢磨できることはもちろん嬉しい限りである。

まあそんなこんなで始まった留学生活。最初の数週間である事実に気づく。どうやら日本の大学も捨てたもんじゃないと。正直入学当初「どうせ日本の大学で学んだものは甘いからこっちでは全然通用しない」なんて思っていたが、実力で見れは正直自分達の方がよっぽど文献を読んでいるし、内容も把握していた。そもそもイギリスの学部は3年制な上、休みも多い。それ以外にも、同期の中では別分野から来た人もいる為、まだ入門程度のことしか把握できてない人も少なくなかった。そんなこんなで、自信を取り戻し、なんとかやっていけるんだなと安堵した。

しかし、それも束の間。論文試験の点数はあまり理想的通りではなかった。イギリスの大学院ではOutstanding、Distinction、Higher Merit、Lower Merit、Pass、Failというスコアで点数が決まる。目安として、Distinction以上が博士課程において今と同等レベルの大学院またはそれ以上、Higher Meritが基本的な名の知れた大学院に博士進学する際に必要となる点数だ。そんな中、自分が一番自信を持てた論文2つはギリギリHigher Meritという結果で終わった。同期の中には、Distinctionも数名いたし、博士課程を目指している人たちの多くは自分よりも高得点を得ていた。試しにDistinctionを得た同期の人の論文を読んでみたが、正直自分にはどこがどうDistinctionなのか理解できなかった。自分の方が文献を読んでいるし、より細かく文献と絡めて議論できていた。2回ほど細かく読んだが、結局分からず、悔しかった。多分これがここでの書き方なのだろう。後日早稲田から来た同期や他のアジアの学生達と論文について色々話したが、結論やはり「書き方」の問題だった。イギリスで学部をこなした人たちとは異なり、自分達はまだここで評価されやすい書き方を身につけていなかった。どんな違いかと説明するのは難しいが、端的に言えば日本や中国などでは議論の斬新さやオリジナリティーよりも文献をどれだけ忠実に解読できているかなど原典主義的なところが評価される一方で、こっちでは(もちろん教授によりが)多くの場合、どのような斬新な視点と議論を提示できるかで評価される。いくら文献や先行研究を精巧に読み解いても、DistinctionとHigher Meritの明確な差はそこにあった。

最初の挫折に連なりもう一つの挫折が訪れる。同時期の2月頃、出願していた二つの研究修士プログラムの両方から不合格をもらった。もとより博士課程に進学したい自分は、研究修士プログラム、いわゆるMPhilというものに出願し、来年もう一年イギリスで政治理論を勉強しようと考えていた。この出願は戦略的な意味もあった。それは、修士から出願していた大学に入ることで、普通では博士課程に到底入るだけの実力や経歴がない自分でも、それにより同校で博士課程により進みやすくしようとする戦略である。

まあ結果、半年余りで現実を突きつけられた。結局のところ、いくら知識が多くても、自分達非英米圏の人間は英語がネイティブではないという致命的な欠点を抱えていた。それはすなわち、授業中の発言、課題の論文や文献予習において、他の英語話者ほど本領発揮ができないことを意味する。事実、ディスカッションではなかなか頭の回転がついていけなかったり(言語変換でかなりの時間を食らう)、文献を読むのに人の倍以上の時間をかけたりなど多々あった。論文に関しては、自分の脳内の表現がなかなか現れず、日本語で文を書いた後にそれの英語での言い回しを考えたりなど本当に非効率的な作業が続いた。

学業外では、「文化の壁」にもぶつかった。自分は子供の頃からトライリンガルな上、高校ではインターナショナルスクールにも通っていた。それ故、自分は「国際的」な人間であるという自負はあったが、結局のところいざ西欧文化圏の人たちと連みはじめたら、話にはついていけないし、文化なども違う故、この人たちと遊んで何が楽しいのかと思い始めた。話している言語はもちろんのこと、面白いと思ったことなど些細な会話においても「やっぱり違うな」と思ってしまうところはたくさんあった。それに、自分のプログラムはアジア人が非常に少ない。東アジア人だけを見れば5人しかいない。それもまた、自分がある種の在野感を感じていた理由でもある。

飲み文化なども日本と違う。日本では、友達と飲み屋に行って、たらふく飯を食べながらお酒を飲み話す。話が盛り上がり気づいたら朝になっていたなんてことも何回かあった。来る前から、「イギリスの飲み文化はすごい」ということで楽しみにしていたが、現実には人だらけのうるさいパブの外で立って、ビール片手に英語で「叫ぶ」という何にも面白いくないものだった。イギリスでは皆平日からパブに行き、店内や店外でビールやワインを片手に楽しむ。ここの人は、皆大声で話す故、ほぼ何も聞こえない。日本語ならまだしも、英語でこれは無理がある。例えれば、早稲田生おなじみ大衆飲み屋の「ちばちゃん」よりもうるさい飲み屋で、英語を聞き取り話さなくちゃいけないということだ。結局いつもパブに行った翌日は、喉が枯れてい声が出なかった。それに、日本とは異なり、パブには飯は基本的にない(日本のハブは飯があるのに!)、だから毎回9時ごろになると同期一同でマクドナルドやバーガーキングをテイクアウトし、店外のどこかで食べたのち、またパブに戻る。これも、イギリスの物価が高いという理由故なのかも知れない。普段レストランなどに行けば、税金が20%な上、10%のサービス料が取られる。そもそも高いのに、それに30%のコストが上乗せされるわけだから、学生は皆あまりレストランなどでの会食をしたがらない。

度重なる挫折にさらに降りかかってきたのが、ストライキ。イギリスの大学職員がストライキを始めたのは随分前のことだが、今年は盛大だった。それゆえ、授業が急に休校になることも何回かあった。授業によっては、規定の10講義中5講義ほどしかまともに行われていないもののあった。それが意味するのは、オリエンテーション+4週間で講義終了ということだ。もちろんビデオでの録画を提供したりやストライキに参加しないという先生もいたが、それでもストライキによって我々海外組が得た損害は大きい。イギリス大学院の学費はアメリカよりは多少安いが、洒落にならないぐらい高い。しかも海外生は、イギリス人学生よりもはるかに高額の授業料を収めている。もちろん、このストライキを行う理由には賛同できるが(イギリスの研究職や大学職員に対する待遇は非常に劣悪。考えてみてほしい、日本の2倍ほどの物価で日本の研究職と同じ程の収入で生活しなくちゃいけないとはどういうことか。それがイギリスの現実である)、それでも自分達が失うものを考えるとちょっと理不尽にも思えてくる。だってこれだけの学費を納めて、まともに授業にも出れないんだもの。リーティングリストを自分で読んで勉強するなんて、わざわざイギリスに来る必要あったのだろうか?なんて思ってしまう。そもそも、イギリスでの大学院生活は「孤独」であることが多い。日本と違って先生たちの面倒見は良くない。週に一回会えても30分は越えないし、規定されたオフィスアワー以外にはそもそもオフィスにいないことすら多い。もちろん、うちの大学の先生の多くは超がつくほどの有名人や界隈の最前線で研究を行っている人なので、自然と学生を相手にする時間も減る。それ以外の時間は、自分でリーティングリストの文献を消化するか、論文課題を書くかなど、基本的には孤独作業が中心である。そんな中、授業で先生に会う(そしてそこで同期とも会う)ということは非常に貴重な時間なのである。

そんなこんなで、ここまで留学生活をやってきた。想像とはかなり違ったし、イマイチだと思ったところも見ての通り少なくない。しかし、同時に多くを学べたし経験できた。ここにいる先生たちの多くは、日本の大学院では会えなかったし、今の同期たちもそうだ。同じ分野にいる世界各地の優秀な学生と会うことによって、自分も多くの刺激を受けたし、同時に自分の立ち位置も再認識することができた。今までの空っぽな自信を捨て、挫折を通して、自分が目指したいものを再確認することができた。そういう意味では、学費に見合った待遇がなかったとはいえ、自分自身をこの貴重な環境に置くことによって、自然と自己の成長につながっているように思えた。

何より、自分の今までの人生とは無縁だった異国の地、アウェーコートに立ったことにより、多くのことを感じることができた。それはまだ完全には言語化できないが徐々にしていこうと思う。

写真:バービカン・センターにて

読んでくださいましてありがとうございます! もし「面白かった!」や「為になったよ!」と感じたら、少しでもサポートして頂けると幸いです。 他のクリエーターのサポートや今後の活動費に使わせて頂きます。何卒よろしくお願いします。