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社会で働くということ

こんばんは。今、メキシコのグアダラハラは夜12時です。

先週の投稿で、大学を卒業した後でカナダに住んでいた話をしたが、
今日はその後のことを少し話したいと思う。


2012年の4月、僕は同級生とは2年遅れて社会人になった。

浪人で1年、卒業してからカナダで過ごしていたのでもう1年。

なので、もう24歳になっていた。

社会人のスタートにと選んだ仕事は町のガス屋さんだ。

愛知県の大手ガス会社の協力会社に約6年間勤めていた。

職種は、いわゆる営業。個人のお宅を訪問して、たくさんガス機器を売るのが僕の仕事だった。飛び込み営業みたいなこともしたが、修理依頼があってそこから買い替えにつながるケースとかもあったので、そこまで世間でイメージするようなブラックな仕事ではなかった。

会社で自分は一番年下だったので、ほっとした。

年下に敬語使うのは嫌だったし、全員年上だからみんな先輩という目で見れる。入社してすぐあだなもつけられ、それなりに楽しく働くことができた。

ガスの営業というのは、他の訪販とは違って、ライフラインの一つだ。生活する上で必ず使うもの。そして、お金持ちもあまりそうでない人もみんな使う。

だから、仕事を通して、いろいろな人の人生を垣間見てきた。

仕事でいろいろな人に会ってきたが、その人の人生はその人の家によく表れていると思う。

みなさんは、ゴミ屋敷って見たことあるだろうか。

薄暗く、黴臭く、足の踏み場がないほどごみで敷き詰められた家のことをそう呼ぶ。お風呂なんか何か月もそのままという感じで、真緑色をしていた。
台所にはゴキブリが大量に発生していて、ガスコンロを動かすとガサガサと音を立てて……

「うげ!気持ち悪い!テレビでしか見たことなかったけど、本当にこういう家があるんだ。早く帰りたいな。」

衝撃的だった。

一方、ベンツを何台も所有してて、コンクリートの塀で覆われたような超お金持ちの家にも行ったことがある。高そうな置物がたくさん置いてあって、ごみ屋敷に入った時みたいに落ち着かなかった。

「いろんなところにお金かかってるんだろうな。早く帰りないな。」

どちらの家でも「早く帰りたいな」と思った。

お金持ちとそうでない人は、ある意味では似ているのかもしれない。

どちらの生活も何か満ち足りてないものを感じた。そして、住んでいる人があまり幸せそうではないなと思った。

お金があっても幸せになれない
お金がなくても幸せになれない

極端に何かあり過ぎたり、なさ過ぎたりすると、人は幸せにはなれないのかもしれない。

一つ自分が苦手だったことを克服できた。

小さいころから僕は物を壊すのが得意だった(笑)
誕生日にもらった蒸気機関車のキットをその日に壊したこともある。

しかし、仕事でガス機器の修理をよくするようになり、機械の仕組みをよく理解できるようになったことで、修理ができるようになった。

他にも、6年この仕事をしていたおかげで、人の家をよく見るようになった。家の外観からだいたいどんなガス機器を使っていて、どこにお風呂があって、居間があってみたいなことが家に入らなくても分かるようになった。

まあほとんど使えない能力ではあるのだが…..

とにかく何でもいいから仕事を見つけなきゃと思って始めた仕事だったが、やってみると意外と楽しかったし、本当にいろいろなことを学ばせてもらった。

社会の中で働くということ

それはいったいどういうことなのか、日本でのこの経験のおかげで、少し分かったような気がした。

僕はこどものころ、何不自由なく育った。食べるものがなくてひもじい思いをしたこともなければ、着るものがなくて学校に行けないということもなかった。両親がお金に困ってるところも見たことがないし、暴力を振るわれたこともない。

だから、社会に出て働くまでどうしてそういう人たちがいるのかよく分からなかった。

しかし、このガス屋さんの仕事を通して、そういう人たちも目の当たりにして、世の中の縮図をたくさん見てきた。

そうして、実際に出会ってきたそういう人たちの気持ちを考えるようになった。

僕は働く意味って

人の気持ちが分かるようになること

じゃないかなと思う。

誰かの気持ちに寄り添い、思いを馳せること。

そう。コミュニケーションの基本である。

この仕事で僕は決して優秀な営業マンじゃなかったけど、何か人生でとても大切なことを教えてもらった気がする。



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