Provecho(プロべチョ)
こんばんは。今、メキシコのグアダラハラは夜12時です。
昨日、3回目のワクチンを受けに行ってきた。
メキシコは、1回1回自分で予約しないといけない。日本に帰ったときに、日本は1回目を受けたら、2回目も通知が来るというようなことを聞いたが、メキシコではそうはいかない。
予約は朝8時だったので、少し早起きして会場となっているグアダラハラ大学へ向かった。思ったほど人は多くなく、スムーズに接種を終え、30分くらいで解放された。
副作用もほとんどなく、ワクチンを打った左腕だけが少し痛いというだけだった。
今日はスペイン語について少し話をしたいと思っている。
以前にも書いたと思うのだが、スペイン語は、スペインやメキシコをはじめとする21か国の国と地域で話されている。母語話者人口も4億人と、私たち日本人が1億2千万人ということを考えれば、世界でもっと話されている言語ということになる。
その言語が公用語になっている国の一つ、メキシコに僕は住んでいるわけなのだが、メキシコに対する多くの人のイメージは、
・陽気
・あんまり物事を考えていない
・時間にルーズ
・スキンシップが激しい
・麻薬や人身売買の問題があり、あぶない
などであろうか。
反対に、日本に対する海外のイメージは、
・きれい
・ルールを大切にする
・時間に正確
・スキンシップをあまりしない
・過労死や自殺の問題があり、そういう問題が理解されにくい
こういったことを聞いたことがある。
どちらかというと、日本のイメージはよくて、メキシコのイメージがあまりよくない。そういう風によく聞くし、実際にそう思っている人も少なくないだろう。
そして、それはそれぞれの国の言語にもよく表れていると思う。
例えば、日本語には【お疲れ様】という表現がある。
これは、仕事場で一緒に働いている者同士が、お互いに【よく頑張っているね】という気持ちを表すために使ったり、相手の苦労を労ったりするときに使う。
しかし、この言葉の正確な翻訳はスペイン語には存在しない。似たような言葉はあっても、まったく同じ意味の言葉はないのである。
ここから言えることは、日本語にはそういう相手のことを気遣う気持ちがそのまま言葉として存在していて、それを使うことができる。スペイン語にはそういう言葉がない。
そういうことになる。
では、果たしてスペイン語にそういう言葉がないなら、メキシコ人は他人を気遣う気持ちがないのだろうか?
実は、そんなことはない。ただ、同じようなシチュエーションではないというだけの話である。
メキシコでよく使う表現に、【Provecho(プロべチョ)】というものがある。
これは例えば、レストランに行って、注文した料理が運ばれてきたときに、ウェイターは一言、「Provecho」と言ってくれることがある。
つまり、「召し上がれ」という意味になる。
しかし、他の使い方もある。この言葉は、お客さん同士でも使える。自分が食事を始めるとき、一緒にいる人に「Provecho」と言うことができるし、知らない人に言ったり、言われたりすることもある。
この場合は、「召し上がれ」ではなく、「楽しい食事を」のような意味になると思う。
他にも、おもしろい文法の規則がある。
・María y yo fuimos al restaurante a comer ayer.
マリアと私は昨日、レストランで食事した。
・Mi hermano mayor y yo pensábamos la misma cosa.
兄と私は同じことを考えていた。
・Vamos a vivir juntos, tú y yo.
君と僕で一緒に暮らそう。
この3つの文で注目してほしいのは、「○○ y yo」の部分だ。Yoは日本語で「私」を意味する。
つまり、主語に誰か他の人と私が入る場合は、必ず「他の人 + 私」という順番になるというルールが存在する。
ここにスペイン語圏の人が持つ相手への気遣いが感じられるような気がする。
まず自分ではなく、相手。それから、私。私は後でいい。
とても控えめな表現に思われる。
日本とメキシコ。
日本語とスペイン語。
国や言語はもちろん違うのだが、そこに住む人々の考え方や思っていることはそう変わらないのかもしれない。
きっとこういうことが分かるようになるのが、言語学習の醍醐味なのだと思う。
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