【実は世界に通用しない?】日本固有のピクトグラム
みなさんこんにちは
デザイナーのKaito Yamanakaです。
今回はピクトグラムについてのお話です。
ピクトグラムは、一目で意味が分かるシンプルなデザインで、日本を代表するデザインの一つだと言われています。
実際に、その起源は1964年に初めて開催された東京オリンピックに遡ります。その際に、多くの国から訪れる人々に対して、言葉の壁を乗り越えて情報を伝えるために制作されました。以降、日本国内では幅広く利用され、また世界各地のオリンピックや国際イベントでも採用されていることから、日本人はピクトグラムを誇りに思う気持ちが強いのではないでしょうか。
しかし、アメリカに目を向けると、ピクトグラムが意外と普及していないという現状があります。では、その理由は何なのでしょうか。いくつかの考えられる理由が挙げられます。
共通認識が少ない
まず、アメリカでは文化や言語の違いがあるため、ピクトグラムの意味が一部の人々にはすぐに伝わらない可能性があることです。
アメリカは多様な民族や文化が共存する国であり、ピクトグラムがすべての人に対して適切に情報を伝えることが難しい場合があるかもしれません。
世界的デザイナーの原研哉さんの言葉に
「ピクトグラムは意味の短縮ダイアル」
という言葉があります。
これは、あくまでピクトグラムは短縮して伝えることができる装置であるため、意味の共有が行われていない状態でピクトグラムの意味を伝えることができないということです。
そのため、共通認識のあるものが少ないアメリカでは、日本に比べてピクトグラムが普及しないのです。
法律の厳しいアメリカ
アメリカは訴訟大国と言われるほど、些細なことで訴訟が起きます。その背景には、厳しい法律や規制が存在するということがあり、そのためか、アメリカのレイアウトでは、長く詳細に文章が書かれています。日本のようにピクトグラムによって簡潔に説明してしまうことは少ないです。
なんとなくわかるよね、お店側の気持ちを汲み取り、お互いフェアに。
という気持ちで生活することができる日本だからこそ、安心してピクトグラムに情報整理を任せることができるのでしょう
倫理が共通認識となっていて、自分の利益のみを見つめないことで、当たり前のようにピクトグラムが使える。
そんな生活は当たり前ではないのかもしれません。
日本のデザインの質が高い
日本のものづくりは素晴らしい。
よく聞く言葉です。
この本質には、日本のものづくりはよりディティールにこだわり、より繊細に物を作るというところにあり、その配慮、細かさこそが日本の魅力です。
そうした心がけが、ピクトグラムを制作するという行為につながっているのだと感じます。
まず誰かに情報を伝えたい。と感じたとき、よりわかりやすく伝えようと考えることこそが配慮です。そして、それらを見た時、可能な限り誰もが見ただけでわかることを心がけ、遠くから見てもわかりやすい物を作る。
そういった、相手に配慮し、その質を高め続けることができる日本の心こそが、ピクトグラムを生み出し、生み出されたピクトグラムのほとんどが、一目見ただけで理解することができるということになっています。
ピクトグラムが生まれ、生まれたピクトグラムの質が高いことこそ
日本の文化であると思います。
ピクトグラムに日本の心ありです。
この心を忘れないデザインを行なっていきたいと感じます。
日本人はデフォルメを認識しやすい
私たちは普段から、はたまた古来から、
遺伝子的なレベル…といって良いかわかりませんが、
鳥獣戯画の時代から、漫画のような文化が存在し、
現在では、世界レベルのアニメーションを生み出す国となりました。
そんな環境で過ごす私たちは、日常的に漫画やアニメーションを見ていルことで、デフォルメされたものを認識する力が非常に強いです。
写実的なものばかりを認識して生活した場合に、
突然デフォルメされたものを見せられた場合には、ある程度寄っていないと
認識することが難しいのかもしれません。
ピクトグラムが街中に存在していてもなんの問題もなく生活できることは、私たちのデフォルメの認識能力の高さに起因しているのだと考えられます。
いかがでしたでしょうか。
生活に馴染むピクトグラムですが、海外でも同じようにピクトグラムを使って説明するわけにはいかないようです。
私の中では非常に面白い体験でした。
いつかアメリカ人の人に会った時には、日本のピクトグラムに対する感想を聞いてみたいですね。
その時はまたその内容をnoteにまとめようと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
Kaito Yamanaka