先日、というかいぶ前のことになってしまったが めざまし何とかという番組で会食恐怖症が特集されていたそうな。 私は未視聴。放送当日にトレンドに会食恐怖症というワードが入っているのを見て、このテレビ放送を知った。 そのため内容の詳細は把握していないが、いつもの会食恐怖症の団体の男性がVTR出演していたようだ。 この放送の前後にもYahooのトップページのニュース一覧に会食恐怖症についての記事が上がっていたのを目にした。もしや、世の中が会食恐怖症に注目する動きとなってきたのだ
現在の私は、一人でなら外食をそれなりに楽しむことが出来るようになった。アルバイト入社した会社での人生初の飲み会がきっかけとなったと。 これを機に「外食練習」を始めたのだ。 まずはファーストフード店の飲み物から。 入店するのも不安で仕方がなかった。店の人や他の客から 怪しまれないか、残してしまわないか。もちろん飲み物だけでも 症状は当然、出てしまう。 私の練習の思い出については、またの機会に。 本題は、未解決の会食恐怖症を抱えたままどう過ごしているかという件。 結論から
前回 会食恐怖症 ほんとどうなったの?|うり (note.com) 余談ですが、前回の飲み会の記事で 私がフライドポテトしか食べられなかった理由は 会食恐怖症ということ以外にもあるのです。 この飲み会で集合した会社の人々はほぼ全員がオジサンでして、 大皿料理を気にせずに自分の使った箸、いわゆる直箸で取るのよね。 飲食店の大皿料理ってさ、取り分けるためのトングみたいな道具があるもんだと思っていたの。 でも、その場にはそんなものなかった。 焼きそばとかも大皿料理で出てきて
会食恐怖症を上回るほどの、仕事の出来なさが現在の悩みとなったという記事を書いたが、仕事については別の機会に語るとして、未解決の会食恐怖症がどうなったかということを。 ↓前回 会食恐怖症〜発症から現在〜|うり (note.com) まぁ食べる事についての現状といったところかな。 外でスイーツやドリンク、さらに食べやすい食事を1人で楽しむくらいはできるようになった。多少、症状が出るときもあるが、たいてい美味しくいただいている。店内で飲み物を飲むことさえも出来ず、食べる事を考
私が会食恐怖症を発症したのは小学4年生。10歳の頃だ。原因は担任による給食完食指導。そこから食べる事に苦しみ、病名を知り、会食を避け続け諸々に精神異常をきたし拗れに拗れた我が人生。 気付けば私の周りには誰もいなくなった。 現在、年齢は30代も半ば。発症から20年以上を経た今は、会食恐怖症よりも仕事や併発した精神疾患の悩みのほうが大きい。 仕事に関しては何をしても長続きせず、直近ではパート採用された2社を1ヶ月ほどで退職している。この年齢でパート職、さらに私のコミュニケー
何年かぶりのログインか。どんなに時間があっても意味もなく書き続けることが出来る自分ではなかった。続けることができる人って本当に尊敬しちゃいます。今まで会食恐怖症を中心に過去のことをいろいろ書いてきたけれど、子供の頃から現在までの経験のせいで、考え方から何から何までガチガチに固まった自分を文字に起こしても私自身にとっては今更…って感じで。同じ話をいったい何度、語ってるんだ…と面白みもなく。さらには、こんな体験談などを書いている人間はごまんといるわけで。ここ数年で会食恐怖症の看板
久々のログイン。本当に久々。 続けることの大変さ。 何をモチベーションにこのnoteを書くのか。誰かに見てほしい、有名になりたい。そんな目的では、自分の場合は続かないな…と実感。 自分がnoteを書く理由は何であるか、考えずにはいられない。もはや文の書き方すら忘れかけているところだが。 近況ですが、新型コロナ流行から1年と半年ほど引きこもり生活をしていた私。現在はパートタイマーとして社会復帰しております。初めての肉体労働で疲労困憊。何の気力も湧かない日々で。それでも奇跡的に
あるとき、聞こえてきた別のグループの女の子たちの会話。どうやらそのグループ内の誰かの悪口を皆で言い合っているようだ。 「〇〇って、食べ放題行っても全然食べないよね~」 「小食ぶってるよね〜ぶりっこしてさ〜」 「食べ放題行く意味ねぇじゃん」 こんな話題で盛り上がっていた。 「少食ぶって」 食べないということは、他人からこう思われているのか。 もし、私が皆と仲良くなりたい一心で無理をして、苦しんで、決死の覚悟で食事の場に行ったとしても 食べられなかったら、こんなふうに皆を
認知行動療法というものがあるように、恐怖症の克服の手立ては恐怖の対象から逃げずに飛び込んで行くこと以外にはない。回避行動の繰り返しは、苦手意識・恐怖心を増長させ症状を悪化させ、強化してしまうもの。 その後も、グループメンバーからの誘いは何度かあった。その度に何かと理由をつけて断った。 繰り返すうちに当然、声はかからなくなる。 「今日は何食べる?」 「オムライス」 「焼肉食べ放題行こう」 こんな会話で大学生の日常は彩られていた。 もっとも、人間の楽しみの大部分を食べ物が
会食恐怖症をはじめ、新しい生活には不安はあったもののオリエンテーションでそのまま固まったグループに所属できたことにとりあえずほっとしていた。 大学生活1年目は必修科目が多いため、授業も移動も休み時間もそのグループで一緒にいることになった。 気が合いそうなメンバーはいなかった。けれど、義務教育時代と違うか自由な大学生活といっても、人に合わせずに一人だけ集団から外れることが許されないのは小中学校のときと変わらない。 大学生活は思ったよりも窮屈なものだった。 私は大学に入
会食・外食を恐怖に思うあまり、人付き合いを放棄した私の大学生活についてもう少し詳しく書きたいと思う。 周囲にすすめられ、なんとなく進学した大学。漠然と思い描いていたのは、これまでとは違う自由な世界。 入学早々オリエンテーションなるものがあった。 1泊2日の移動教室のような宿泊行事だ。 大学生になってもこんな行事があるのか…と 突然のイベントに動揺した。 当然、泊りと聞いた時から宿泊中の食事の不安で頭がいっぱいになる。 しかし、悩む暇もなく宿泊行事当時に。 小中学校の
雑談 前回、私も給食完食指導についてnoteに投稿をしたが 偶然にもYahooニュース様の給食完食指導による会食恐怖症、発症の記事が本日トレンド入りしていた。 こういった会食恐怖症に関する記事が一般的な人の目に留まることは、理解を広めるきっかけにもなろう。 「こんな病気があるなんて知らなかった」 「自分も悩んでいたが、この病気かもしれない」 しかし、当事者の気持ちを傷つけるような意見も少なからずあるのが現実だ。 「現代の贅沢病」「わがまま」「ただの好き嫌い」「完食
雑談ですが、思い出した話。 以前、会食恐怖症のリハビリがてら一人でカフェに入った際、近くの席に座っていたママ友と思われる女性二人組の会話。 「息子が小学校で給食を食べ切ることができない」 「クラス全体で食べ切ることを学年目標としている」 「息子は悩んでいる」 こういった話をしていた。 私が小学生だった時代もクラス全体で 給食を残さずに食べることを強いられた。 なにしろ、私が会食恐怖症になった原因は、担任の給食完食指導だ。 給食室から運ばれてきた缶を全部、空にして
なかなか更新できませんでした。 忙しいわけでも何でもないの に。私という奴はnoteも続かないな…とその理由を考えてみたところ、 会食恐怖症になった経緯を書くことに囚われすぎていたからかもしれない。 自分がどこまで書いたか、何を書いたか把握が難しくなってどうしても重複した内容になりがちで。 なので、時系列無視で、これまでの流れとは別のことも書いてみます。 私が会食恐怖症を治せずに、人生を
食べることに何の苦痛も感じない、 人と食べる食事は楽しい、 それが普通の人間なのだろう。 全ての生物にとって例外なく 食べることが褒美であり、喜びであると 何の疑いもなしに多くの人が考えている。 他人と食べることが怖くて怖くて仕方がない 私のような人間がいることなど誰も考えもしないだろう。 普通の人たちなんかに私の気持ちは分からない! 私は普通じゃないから! 意固地になった私は 知り合った学部の同級生とも 自分から距離を置くようになった。 学食で
私は人と違う…食べることが怖い… 楽しそうに食べ物の話題で盛り上がる同級生たちに 「私は人と食事をすることが出来ない」という悩みを 話す勇気がなかった当時の私はどんな気持ちでいたのだろうか。 プライド、見栄 そんなものもあったかもしれない。 「食事が出来ないなんて、変な奴」 「言ってることが意味不明」 などと他人からくだされる評価を想像すると恐ろしかった。 そもそも大学で出会ったばかりで信頼関係も何もない同級生たちが こんな事を理解するはずもない、理解できるように話