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「天気の子」 から 魅得る世界

天気の子を三回見ての感想。

私は、天気の子を三回見ることで

「魅得る世界がある」と確信しました。

なぜなら、映画を観ることで魅せられ、何か思わずにはいられない「魅力」を強く感じたからです。

また、世阿弥曰く、魅力は、花であり(時間軸という鮮度を伴うもの)満開である「今」劇場で映画を見ることを強くオススメします。

そして、私は「天気の子」には三つの視点から楽しめる仕掛けが隠されており、一人で三度見ても、好みが違う人達が見ても楽しめる作品であると実感しました。

一つ目は「文脈的視点」です。

「この作品は、どんな話なのか?、何が言いたいのか?」などを考え、文脈を気にしながら観ることを指します。

天気の子では、現代における社会問題と環境問題を作品を通して世界を語り、我々、若者に対して新海監督からの熱いメッセージを強く感じたので、文脈的な視点からも楽しめる作品であると感じました。

二つ目は「描写的視点」です。

「あのシーンが綺麗だった。描写の書き込みがスゴかった。」など映像やアニメーションの描写表現、書き込みを気にしながら観ることを指します。

天気の子では、言わずと知れた奥行きのある背景、光とスペトクラムが生む立体感のある描写表現です。また、映画とのタイアップで作中に私たち普段目にする製品や広告が隠されており、よりリアルティーの感じるアニメーション表現であると感じました。そして、アニメーションにしかできない落下と水の表現をスクリーンで観ることで改めて、作り物のフィックションである、アニメーションの可能性を実感しました。

三つ目は「音声的視点」です。

「あの声・セリフが良かった。BGMとサウンドがスゴかった。」など発せられたセリフやBGM、流れた音楽を気にしながら観ることを指します。

天気の子では、映画のためだけに書き上げられたRADWIMPSによるBGM、楽曲が惜しげもなく流れ、魅力的な瞬間を演出します。また、BGMやサウンドだけでなく、楽曲に含まれる歌詞や声、音でメッセージを伝えるため、語りすぎず、口うるさく聞こず、とても魅力的に感じました。

そのため、「天気の子」は三つの視点から楽しむことができるため、劇場に足を運び、大きなスクリーンで「描写的な視点」から観て、良い音響で「音声的」に楽しみ、話題に上がる今、「文脈的な視点」で見た感想を語り合うことでより楽しむことができると感じました。

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