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限りある純真な時間と過程で未来へ

弊社で雇用が始まったのは10年前の2013年のことです。
度々話に出てくる「ミラノサローネサテリテにはじめて出展した時に通訳で着いてきてくれた台湾カナダ人の方でした。

当時は独立4年目で特に売り上げがいいこともなく、相変わらずその月暮らしというか資金をいかにスマートに運用し生き延びるかという状態でした。ただその時に以前からの憧れでもあったミラノサローネサテリテに行くことを決意し、色んなことを我慢して少しずつ貯金をしながら、最後には30万円くらい資金が足りなかったですが運よくコンペで勝つことができ無借金でサテリテに行くことができたという思い出深い話なのですが、そんな経営状況にも関わらずあまりにその台湾カナダ人が優秀だったため、後先を考えず帰りのルフトハンザの機内の中で「うちに来て一緒にやらない?」とリクルーティングし、その1年後僕ははじめてボスになりました。

ディテールはこちらに記載していますので、もしよろしければまた読んでほしいです。

結局その方とは、2015、2016、2017のミラノサローネの他、2014のテントロンドン(UK)、2015、2016のイーストデザインショー(中国)などたくさんの展示会を共にし、一緒に出張で行った街は、ミラノ、アムステルダム、パリ、ロンドン、台北、台中、台南、上海、杭州、香港などたくさん旅をしました。

現在も弊社は自由な社風があり個人を尊重する傾向が強いです。昔ながらの統率されたアトリエ系事務所というより、どちらかというと共同体のような雰囲気が漂うスタジオは、彼女が5年半も勤めてくれて醸しだしたものかも知れません。2016年が終わるころまで事務所は2人体制でその3年は結構衝突もありました。僕も初めての雇用でしたが最初に雇用したのが彼女でよかったと今も思います。

2013年に雇用してから僕たちの仕事は徐々に増えていきました。海外の仕事も増え、やりとりが英語ということも当たり前になったり、時には中国語(当然僕は話せませんが)ということもあったり、2010年から7万円の家賃の部屋を4社でシェアしていて、雑費を含んで一社あたり2万円の事務所家賃でした。当時はそれを払うことくらいが僕の限界だったようにも思いますが、仕事が増えてくるにつれて手狭になり、徐々にシェアオフィスの借り手が抜けてきて最後には自分たちだけになってしまいました。それが2015年くらいでしょうか。それから3年の間にさらに組織は拡大され、最大時では正社員が3人、インターンシップが常時2名、アルバイトが1~2名と30平米くらいのオフィスの場所は全然足りなくなってしまい、2018年に現在の場所に引っ越すことになりました。

このこともディテールはこちらにありますのでまた読んで頂ければ幸いです。

なぜ雇用の話をしているかというと、実は10年前に雇用を始めてから初めて社員旅行に先日出かけたからです。

滋賀県 犬上郡 多賀町

なぜ今社員旅行をしたのかというと、弊社は10月が期はじめになるため、9月が2期目の終わりとなります。数字はとても上がり、過去最高益となることがすでに見えてきているため、またデザイナー2名に加えてアシスタントデザイナーが3名、プロジェクトマネージャーが1名と大所帯になったこともあり、日々の感謝と共に改めてメンバー全員で話をしたいなと思って企画しました。

当初はデザインを担当した兵庫県丹波市にあるサウナに行こうと思っていたのですが夏のシーズンは予約がいっぱいで取れず、当時インターンシップをお願いしていた滋賀県の方に滋賀のいいところを探してもらい、一泊二日で行ってきました。

ただ向こうに行ってコテージに泊まってBBQをして観光するだけというのもなんだかもったいないなと思い、事前に宿題を出してそれをプレゼンしてもらうということをしました。

①最近感動したことの言語化。
②入社してから今までのこと。良いことも悪いことも。
③今後会社でやりたいこと。
④自分以外のメンバーのいいところを言う。

というメニューで、1人20分程度お話していただくことにしたのですが、僕はそのプレゼンを聞いてとても感動しました。僕は自分の性格上、一緒に仕事する人のことをできるだけ理解したく、また同様にメンバーには自分のことを理解してほしいと思っています。よくわからない状態を保持してしまうことがおそらく一番おそろしく感じてしまうし、きっといい結果を出すことは難しいように思います。

余呉湖を見るためにロープウェーを使った

弊社の社内カルチャーの中で「無駄話をする」というのがあります。これは実際に書類に定義しているもので、無駄な話を仕事中にしてもいいということになります。むしろ無駄話礼賛なのですが、これが実は重要だと僕は考えています。Googleなどが実践して有名になった「心理的安全性」という言葉がありますが、それを実現するためには普段から何気ない話をできる環境づくりがとても大切だと思います。

かつて僕はアトリエ系事務所に6年弱勤めていました。カリスマと呼ばれる社長兼デザイナーの下、デザインがしたいという気持ち一つで22歳でその門を叩き、見習い入社で大卒社会人の半分あるかないかくらいの給与でコピー取りから粉まみれになる模型作り(これは当時はご褒美のような仕事でしたが)などを終電か徹夜をし、上司にこっぴどく叱られながら過ごして独立する28歳まで成長しながら過ごしてきました。おかげさまで6年が経過したころには特にデザイン業務で怖い物はなくなりましたが、おかげで通常20代でしておくべきようなことをほぼ丸っと僕はできませんでした。たとえば車の運転などがそれにあたりますが免許はありますがペーパードライバー歴がどんどん長くなり気が付けば運転そのものを拒否するようにもなりました。当たり前にできておくべきことができず、あまりたくさんの人ができないことを圧倒的にできるようになってしまったので、今でも時々困ったりもします。その反面その歪さに圧倒的に救われているようにも思います。

河内の風穴

いざ自分が雇用する番になった時、最初に思ったことは「自分が過ごしてきたような下積みをさせることは難しいな」ということです。そんな過酷な下積みを希望する人ももしかしたら居るかも知れませんがそれよりも僕は自分のように歪な人間になってほしくないという気持ちがあります。なので弊社では労働時間の制約を持たずに好きなだけ働くことができる仕組みになっています。もちろん給与もその分支払われるので、月給支払いで月から金まで出社するような通常のフルタイムよりもマネージメントがより難しくなりますが、それをどうにかできるようにして仕組化してきたのがこの数年だったように思います。おそらく通常のデザイン事務所よりもはるかに働きやすいでしょう。これが一番のグッドデザインかも知れません。

美しいびわ湖

滋賀のコテージでメンバーから話される言葉に、上記の手ごたえを感じ、もっと働きたいという言葉すら聞くたびに自分が考えてきたことは間違っていなかったということを改めて感じ取ることできました。またメンバー同士がそれぞれ思っていることを話すことで、メンバー同士が旅行前よりだいぶ仲良くなった気がします。また僕から「いいことも悪いことも、僕に対してできる限り正直でいてほしい」とお願いをしたことにより、より意見がより活性化してきたように思います。本音と建て前を使い分けなくてもいいように、全て本音で話しても大丈夫な組織を目指してそれが少しカタチになってきたのかも知れません。

リソグラフでお勉強

組織を作るのは実際にどのくらい時間をかけるべきなのでしょう。事業承継した経営者はきっと僕のように一から作る人よりも複雑だと思います。一から作るだけでも人数が増えればすぐ複雑になりますが、バトンを受け取った時点ですでに数十人いる組織のマネージメントは想像を絶します。僕らは組織として大きくなってきましたが、おそらく今の人数とあとひとり足すくらいが限界のように思います。その理由は僕が上記のようなマネージメントをするため、それ以上になるとプレーヤーを辞めざるを得なくなるからです。ですのでチームとしては6人が最大数にしようと自分の中で決めています。同時に一つの話題を全員でしようと思うと、感覚的に6人くらいが限界でそれ以上になると二つに分かれてしまいます。なので今の人数+1でできるだけ高めていくという時期がこの先続いていくことがわかっています。

それでも僕の下積みのようにスタッフを放置し、孤独な作業に深夜まで追い込むようなことを僕はせずに、むしろその逆でコミュニケーションとディレクション、マネージメントでより短い時間でより高いアウトプットを出せるようにしたいと考えています。

その時にメンバーの自主性とビジョンが必要になってきます。メンバーが将来どうなりたいかというビジョンが最初からなければこのシステムは機能しないし、メンバーの自主性や自律性にかなり依存する組織を目指そうとしています。でもそれがきっと心地よい組織であり、また高い目標や結果を出す新しい方法なのではないかと考えています。

旅行はとても素晴らしく、同じ場所に行って同じものを食べて寝て、お互いのことを話してきれいな景色を一緒に見て。今のメンバーになってからはおろか、仕事をするメンバーで仕事を離れて別のことをするということ自体、会社に嫌悪感があると難しいことだと思うのですが、それについてきてくれたメンバーにも感謝したいし、いい結果になってきているように思います。心からやってよかったと思うし、来年も行けたらいいなと帰りの車のなかですでに思っていました。

日本の組織は縦割りが相変わらず多く、上司部下の関係性が心地良いベテラン勢と、そうした旧態依然とした組織体制になじめないZ世代をはじめとする新しい世代が分断すら予感させることになっているひどい有様のように思います。僕はその組織の在り方そのものから考え直すタイミングだと思い、また僕らのような組織がもし結果を出したならばそれは新たな可能性の提示になるため、共に星を見上げたメンバーと3期目も明るく前向きに楽しんでやっていきたいと思います。

サラダパンで有名なつるやパン

最後に僕がメンバーに夜話した資料から、一文だけを抜き出してこのnoteを終えたいと思います。

限りある純真な時間と過程によって、みんなが日々充実し、楽しく成長し、クライアントにもしっかりと結果が出せる3期目であることを祈って。

長文にも関わらず最後までお読みいただきありがとうございました。

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