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あれから10年経った。

10年前に当時やっていたエキサイトブログに掲載していたミラノサローネ、サテリテに出展したときの忘備録「サローネサテリテというところ」の転載です。もう10年ということもあってあまり情報は新しくないですが、何かしらの参考になればいいなと思います。

これらは僕には今でも眩い思い出です。
コロナが落ち着いたら、やっぱりイタリアへ行きたいな。

2012/4/14 出発

今回のサローネサテリテに出展するに当たり制作した作品は、全部で70kgを超える量になりました。通訳兼アシスタントのエンヤさんと二人で持ってもチケットを手配したルフトハンザ航空の重量制限は大きく超えてしまうことになり改めて日本という場所から作品を持って行く事の難しさがわかりました。

今回の作品作りの多くを手伝ってくれている相合家具製作所の八代さんと光井さんの協力のおかげで制限いっぱいの45kgと32kgの二つに梱包してもらい、どうにかいけるようになりました。空港に運ぶのも大変な量なのでエンヤさんのODCのクラスメイトの中塚君に関空まで運んでもらい無事にチェックイン終了。

ここで重要だったのが超過の荷物をあらかじめ航空会社に伝えていたことでした。料金の目安が解るのと空港での手配がスムーズだったから、何か大きな作品を海外に持って行く時はそれが良いかと思います。リクエストを出しているので航空会社側も丁寧に対応してくださり荷物が行方不明になることもなく結果としてミラノまで到着できた事はとても重要でした。日本語で対応できるところは日本で先に済ませておくと海外に出てからが相当変わります。スムーズに行ったとは言え結局搭乗がギリギリになったのでリクエストを出していなかったらと思うとゾッとするわけです。

今回の旅はフランクフルト経由です。同行者のエンヤさんは旅慣れしている模様で離陸前には就寝し、着陸数時間前には起きて脳を起こしています。時差ボケで朝の五時に起きてこうしてブログを書いている僕とは少し違います(笑)。

フランクフルトでは機内持ち込みの荷物の一つに引っかかり、調べられることに。アクリルでできている淡い虹色に光る六角形の器は確かに見た目には怪しいもので化学反応がないかを調べるようなシートで舐めるように調べる空港職員。全く何も無かったのでパスできましたが没収されていたらと思うとそれも怖いと思いました。

ミラノ行きの飛行機に乗り、多くの日本人が搭乗していることに気づく。それだけ日本では注目されているのがミラノサローネだと改めて実感。

ミラノに到着しどうにか泊まるところまでの足を考えている時に、親切に話しかけてくるおじさん。荷物が大きいな、どこまで行くんだ?と。今思えばこんなに怪しいことは無いのですが、心身共に疲れていた僕はついのせられておじさんの車へ。タクシーと書いているわけじゃないのですが、相場が分からなかったのでそれが高いことも後から知りました。損をした感覚がないのでそれは別に経験として良かったのですがそうなりたくない人は宿泊先までのタクシー料金をだいたい知っていると大丈夫だと思います。あと、イタリアのタクシーは白が多く、基本的に無こうから親切に乗せようとはしない人たちなので行動でそれなりに判断できるという事だと思います。

今回の旅の間に泊めてくれるミラノ在住のデザイナー吉尾さんのお宅に暖かく迎えられ心も落ち着きました。あれこれと反省点を踏まえつつも、経験を自分の血肉にすることが今回の旅の目的でもあるので問題ありませんでした。

吉尾さんと奥さんと僕とエンヤで地元の人に人気のレストランに。美味しい夕食とデザインの話に盛り上がり、初日は就寝。

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2012/4/15 設営初日

今日はサローネの搬入初日です。昨日から搬入可能だったようです。早朝から吉尾さんにタクシーを呼んでもらい会場へ。

とても誠実そうなドライバーのおじさん。今日はミラノでマラソンがあるからフィエラ会場(メインの展示場で僕が出展するところ)付近ではかなり混雑するとのこと。どうにか会場に到着するも、サテリテは一番遠い位置にあるのでそのそばまでおじさんが乗せてくれることに。しかしどこのゲートもマラソンの為に閉鎖。どこのゲートでも、どうして入れないんだ?と交渉してくれるおじさん。結局一番最初のゲートで降りることになりそこから800m歩くことに。いい運動になるよと言い残しタクシーは去って行きました。結局後ほど会場内で数キロ歩くことになるとは思いもしませんでしたが。

予め印刷していた搬入用のパスがあるのですがそれを印刷してもらう為に搬入口まで。セキュリティの英語が話せないおじさんに違う場所を教わり、その先で正しい場所を教わり、搬入パスを取得。ようやく設営開始。

隣の隣のブースに居たスペイン人のラウールとモニカと早速友達に。こういう所がサテリテの良さだと思います。脚立を貸してくれたり、カッティングシートの印刷サービスの場所があったよと教えてあげたり。二人のブースにも素敵な物がたくさんあり日本ではなかなか受けられない質の刺激をもらう。

同日にミラノに到着したTOOPの吉川さんと合流し設営。ブース内にインフォメーションの場所を予定しているのですがその材料を買いにフィエラ内のショップへ。木材自体はあまり無かったものの塗料やパテ、工具は一式揃っている事を確認。そして材料を買いに数駅向こうのボノラ駅に到着し、ブリコと言うホームセンターへ。

様子がおかしい。開いていない。どうやら日曜日は休みだったらしく、結局フィエラに戻ることに。インフォメーションは明日に回してそれ以外を完了させる。ブースの目地の部分がパテで抑えられているのでカッティングシートを貼ると塗料が剥がれるアクシデントが。しかしそれを見た作業のおじさん。明日もう一度塗るよと。どうやらよく在るパターンらしい。とりあえず初日の任務が完了。

吉尾さんのお宅に戻るのに、国鉄に乗ってみようという事になりトライしてみる。しかし乗り場はわかるが券売機の使い方がわからない。イタリア語しか書いていないので上級者向けかも知れない。キップは各駅の三桁の番号を入力し、お金をいれて購入するとのこと。3.75ユーロの券を買うのに20ユーロを入れる。しかしお釣りが出てこない。あれ、どうして?と思っているとエンヤが通りすがりの英語の話せる人に聞いてくれた。どうやら大きいお釣りは大きな駅で貰えるらしい。ということでガリバルディ駅へ。

無事にお釣りを貰い、ガリバルディ駅から戻る時にトラムを探したがキップの売っているお店を見つけられず、徒歩にて帰宅。今日は相当歩いた。吉尾さんの奥さんの手料理に迎えられ、楽しい締めくくりに。

そうして設営初日が時差ボケのタイムリミットで終了。泥のように眠った。

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2012/4/16 設営2日目


今朝も雨。すこし肌寒い。TOOPの吉川さんとBONOLAと言うRhoのそばの駅にあるブリコというホームセンターで待ち合わせの予定でしたが、先にフィエラに行きインパクトドライバーなどの貴重品を置く。というのもBONOLA地区はあまり治安が良くないらしくすられたく無いものは持っていかない方がいいかなという判断でした。

エンヤと二人でトラムのチケットを買う。トラム一回券という1.5ユーロのチケットを買うために乗り場のすぐそばの本屋へ。本屋のおじさんはとても陽気で僕にちょっとイタリア語を教えてくれる。地図とチケットを購入後7番トラムでガリバルディ駅の側まで。

昨日食事した店の前を通る。その辺りのお店にもフオリサローネのマークが。街全体でのデザインウィークの取り組みは何度きても学ぶものがあるし、東京はそうなってきていますが大阪ではまだまだそんな感じにならない。大阪もデザインウィークのような期間があるけど、その時に大阪中のデザイン事務所でオープンオフィスをやったり飲食店とかも巻き込んで同じような情報発信ができそうな気がしてきたのがちょっと収穫。この企画に乗りたい人は連絡下さい(笑)

ガリバルディ駅からフィエラ会場まで。地下鉄に比べて混雑のレベルが全然違う。とても有意義な電車の旅。Rho地区は少し郊外ですのでリアルに世界の車窓からが楽しめます。

会場到着後、サテリテアワードと言うコンテストに参加するために荷物を搬入。一番に到着し、どこでもいいよと言われたので一番いいと思っていた所に置く。しかしその後に来た他の参加者に勝手に見え辛い奥の方にされるというアクシデントがあり、ほかの参加者の気迫は伝わったものの、何だか虚しい争いになりたくなかったのでスペースの空いている場所に後から移動する。絶対にそういう事をしない日本人の礼儀正しさをここで感じてしまった。きっと海外の展示会ではこれが当たり前なんだろうと思いますが、僕はあくまで日本人らしく世界中のどこにいても礼儀をわきまえておこうと改めて誓う。エゴイストにデザインはできないし他人の気持ちを考えられない人にどんな賞が送られてもそれは偽物だと思う。そうまでして勝った所で僕なら虚しい気持ちになるだろうなと思った。当然相手の恨みも買ってしまうだろうし、そうでもしなければ勝負に勝てないのであれば所詮はその程度の人間なのだろうと思う。もしこのブログを読んでいる人で同じような場面に遭遇した場合、あるいは他人のスペースを奪いたいと思った人は一度思い出して欲しい。

その後にブリコに向かいましたが吉川さんの姿が無い。どこにも見当たらず、電話にも出ない。後から体調不良でホテルで療養していたと連絡があった。その時は1時間待っても来なかったのでどうにか自分で買い物を済ますことに。持ってきた図面を店員さんに見せて木材で欲しいんだと伝えると、向こうも単語のレベルでの英語しか話せないので身振り手振りでどうにか伝える。

いい感じのお兄さん、モヒカンでタトゥーが入っていたけどほんとうに親切にやってくれる。人は見た目ではないと思っていたけど、海外では特にそうなのかも知れない。みんな色々助けてくれる。ここは日本人がもっと見習うべき事だと思う。

タクシーを呼んでフィエラまで。どうにかブースのインフォメーションが完成。インパクトドライバーを持ってきて正解。サテリテの制約に、電気を使うものはイタリアの企画の物を使う事とあったので、すでに充電されているインパクトドライバーを持ってくるといいと思います。充電は会場ではせずにホテルとかですれば問題ないかと思います。

ブースが完成し、僕もエンヤもクタクタに。荷物も多く、タクシーで帰る。その後フェイランさんと合流し、エンヤと三人で昨日行ったお店に行く。一通り昨日メニューを説明してもらったので記憶を頼りに注文。その後吉尾夫妻も合流し帰宅。時差ボケが治らず電池切れにて就寝。明日から頑張るぞと言う気持ちすら湧く前に鉛のような体が横たわる。

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TOOP 吉川さん(足だけ)と同行してくれたEnya Houさん

2012/4/17 サローネ初日

いよいよサローネがはじまる。閉まっていたゲートも開いて駅から会場までは華やかなムードに。会場全体は有料だが、サテリテは無料らしく、裏からなら誰でも入れる。したがって会場内からサテリテに行くにはゲートを通らないといけない。来てみると昨日までのゴチャゴチャが全くなくなっていて企業ブースは完成している模様。しかしサテリテブースにはまだ完成していない場所もちらほら。

設営を始めた時からすでに完成していた隣のブースの人たちとはじめて会う。グイドとセヘと言う夫婦。とても陽気な人たち。イタリアの別の街からの参加。だから設営がとても早かったのだと思う。陸続きとそうでない所の差はやはり大きい。

僕のブースはD11。僕らの場所は一番奥の人通りの少ない場所。ラウールの隣のブースのイタリア人はとてもユニークで、人が少ない時間帯にたくさん来ている学生たちを集めて、君たち僕が合図したら一斉に拍手するんだ、いいね?と言って3,2,1。パチパチ!ワー!ブラボー!と彼の指示で集められた20人ほどの人間が盛り上がり、ここにもブースがあるぞ!と示した。アイデアの勝利である。おかげで少し人は流れてきてくれるようになったと思う。

ちらほらお客さんが流れ始める。D11にもお客さんがたくさん来られる。学校で来ている学生さんも多く、あるイタリアの学校の中学生二人が器をレポートに書きたいと、その場で床でスケッチし始めた。英語も通じているみたいですごく楽しんでもらえたようで良かった。

今回のサローネは開催初日だけが晴れ。あとはずっと天気が悪い。サローネにはもう一つフオリサローネと言うミラノ市街地でゲリラ的にいろんな箇所で展示をしている所がある。後からわかった事ですが2日目以降のお客さんがとても多くなった。みんな天気を気にしているのだと思う。視察に訪れた経験から言うとそれだけたくさん歩くと言う事だと思う。

今日はジャーナリストが多い。海外に住んでいろんな事を発信している日本人のジャーナリストも多く、日本語で細かく内容を説明する。彼らの目にどのように映ったのかわかりませんがとにかくつながれて良かったと思える瞬間。

たくさんの人がマテリアルに興味があるようで興味深く見てくれる。彼らもすでに見飽きてしまったような物より刺激的な何かを求めてサテリテを回っているように思う。そしてみんな口を揃えて、とても日本っぽいデザインだね。と言う。基本的にミニマルな造形を良しとしているのでそうなったのだが海外の方にはそれがとても日本を感じるらしい。

赤いバッグはプレス専用らしく、多く見かける。D11は角でその横の通路にはテーブルがあるのだが、早速ウェブにアップしている。これは相当なスピードだと思う。報道の在り方もほんとに多様化していると感じた。スピードか質か。ウェブか雑誌か。

有名なプレスも来てプレスキットあったらちょうだい。と言って手渡すとサッと帰る。持ってきて良かったと思いつつも内容をちょっと話す時間が欲しかったと思う。一緒に制作をしてくれた人や多くの友達が来てくれて初日は終了。一日でかなりの疲労感。ケバブを買って帰り食べて寝る。

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2012/4/18 サローネ2日目

今日はビッグニュース。仲良くなったラウールがサテリテアワードを受賞した。彼らの作品はコーヒーの出し殻をある方法で固めて(そこは秘密)構造体とした照明器具。どの視点から見てもいいなと思っていたけどやはり大きな評価を得た。

僕らのいる一番端の道は人通りが少なくも隣の隣のブースの彼らがアワードを受賞したのでジャーナリストをはじめ多くの人が動き始めた。サローネの注目度を感じた瞬間。すごく刺激的。

もう一つニュース。サテリテ内を歩いていると向こうから歩いてきた女性に日本語で「マジデー!?」と叫ばれる。前職のデプロデザイン一緒に働いていたシモンと言うユダヤ人とサテリテの会場内でばったり。かれこれ5年ぶりだろうか。彼女は今ポリテクニカ ディ ミランというCOMOにある学校に居るらしい。母国語であるヘブライ語、英語、日本語に加えてイタリア語も話せるようになったらしい。語学の重要性を思い知らされる。サテリテアワードのセレモニーではイタリア語を日本語に通訳してくれた。

この日あるメーカーから声をかけてもらった。日本的なミニマルな造形と棚の構造を気に入ってくれたらしい。まだまだどうなるかわからないけど見てくれる人は見てくれる。多くの人に受け入れられなくても必要な人に深く刺さればそれでいいような気がしてきた。

この日からきちんとスーパーでサンドイッチを買って昼食に。会場内の食事は日本の展示会と同様に高い。スーパーで2ユーロで買えるサンドイッチが会場内では5ユーロもする。滞在費を抑えるための工夫。

この日はラウールの祝勝会も兼ねて、ラウールとモニカ、グイド、セヘとトルトーナ地区に遊びに行く。トルトーナは2004、2008と行った事があるが当時はゲリラ的にいろんな小さなブースで発表があるような場だったが、会場にいくと日本企業の大きなブースが一番手前にあって、様変わりしたなぁと言う感じ。

トルトーナの中にあるスーパースタジオという場所の中のガラスメーカーとNendoとのプロジェクトのレセプションがあってそこに行った。ラウールは吉岡徳仁氏のポエティックな作品が好きだし、グイドもNendoの事を知っている。世界で日本人が認められている。僕も頑張らねば。

その後グイドの友人のファビオとシシと合流。どのお店も激混み。経済効果はとても大きいだろう。それがフオリサローネの大きな役割の一つだと思う。美味しい食事と楽しい会話をして今日は帰宅。

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左から Guido Garotti, Monica Serano, Raul Lauri, Marcantonio Raimondi Malerba みんな元気かな

2012/4/19 サローネ3日目

フィエラまでの行き方にも随分慣れ、朝のトラムも国鉄に乗るのも余裕が出てきました。同じ「裏通り仲間」のラウールやグイド、セヘ達は毎朝元気に挨拶してくれる。日中も目が合うたびにスマイル。こっちでは友達はこれが普通なんだと思う。

同行しているエンヤは台湾で生まれ、カナダで育っているのでかれらのカンバセーションにはすぐに馴染む。彼らは僕のつたない英語でもしっかりと聞いてくれるし、僕にはゆっくりと話してくれる。英語が5、イタリア語が3、日本語が2割位の暮らしをしていると耳が慣れてきてはじめはエンヤ抜きでは話せなかったけど後の方では英語で直接話すようにした。

今日はデザインリポートと言う雑誌が主催しているまた別のアワードがあって、そのセレモニーがあった。審査にブースのデザインも含まれるようで選出されたブースはとても美しい展示で商品の内容を感じさせるようなデザインだった。設営の日に他の出展者がかなり遅くまでやっていたのにはしっかりと訳があった。

日本から設営資材を持って行くのは不可能に近い。特に重量の問題をクリアしなければまず無理だと思う。どうしても必要な箇所だけ日本で作って、あとは向こうで調達するのがいいと思う。また照明はサテリテの一般規約で「ブースで使用する電気関連の設備は必ずイタリアの基準にあったものとする」とある。

おそらく過去に海外からの出展者が変圧器を使って何かあったのだと思う。つまり照明器具も持っていくなら日本でイタリア仕様にカスタムしなければならない。一通りの材料はホームセンターで揃えれるので結線ができる人は問題ないかも知れませんが、そうでなければこちらで調達するしかなさそう。ブースを考える時はその辺りもしっかりと裏を取って進めるのがいいと思う。

今日はあるメーカーが器に興味を持ってくれた。最初にきて触れて、ちょっと一周回ってくるからと行ってしばらくしてまた来てくれて「大きな家具は取り扱ってないんだけど小さな家具と小物を取り扱っててこの器はほんとうにいいと思ってる。」と言ってくれ、また来るねと行って去ったその数時間後に上司を連れてきましたと行って三人で来てくれた。振り会えれば今回のサテリテで一番いいリアクションかも知れない。必ず連絡すると言ってくれたのですが、帰国後にしっかりとフォローして行きたいと思う。今日は普段読んでいる日本の雑誌のジャーナリストが来てくれたり、とても充実している。

今日は日本からきたメーカーの人と食事。中央駅付近でシチリアンレストランへ。中央駅のような圧倒的な建築に出会うと、ヨーロッパの歴史の長さを感じる。食事は結構高かったが、本格的な地中海料理に舌鼓。日本でもたまにはいいお店で食事しようと思った。

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2012/4/20 サローネ4日目

もう折り返し。充実した時間はいつも過ぎるのが早い。ここらへんからお客さんの層が変わり始める。他の出展者や海外のデザイン学校の先生。あと他の国の展示会のお誘いも多く来る。TENT LONDONや上海、モスクワなどのデザインの展示会から出さないかと言われたが、これらは当然のとことながら全て実費のよう。投資できるなら行ってみたいけど投資の金額が大きいのであればやはりサテリテにもう一度出したいところ。

今日はブースの模様替えをちょっと行う。あくまで作品が美しく見えるように。日本人らしく整理整頓された空間作りに徹する。そうすると変化が起こる。伝わりにくかった棚が伝わりはじめる。いいことを学んだ。ここでの展示はわかりやすさが無ければ難しいように思う。一瞬前を通る瞬間に理解できるような展示が来場者を惹きつける。ここにあまり時間をかけられなかったのは少し反省。

この辺りからさらに一日の終わりが早い。あっという間にサテリテも終わるだろう。今日は泊めてもらっているところに夕食に招かれる。美味しい食事に楽しい会話。あと夜更かし。

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2012/4/21 サローネ5日目

サローネも残り2日。思えばいろんな人との出会いが会った。安積伸さんや、柳原照弘さんなど、日本でもあまり話せない人ともブースを持つことでそこにきて話してくれる。LGのコンペの時に取材してもらった日経デザインの方も来られたりと多くの日本の人との交流が海外で行われるのもサローネの特徴かも知れない。物事は待っててもこないけど発信することで呼応する。リアクションはリフレクションと言うことだと思う。光を充てる事でどうなっているかが本当の意味で理解できるのだと思う。

裏通りでは明日で終わるなんて寂しいという話に。すごくいい友達ができた。これはお金では買えない大きな資産だと思う。独立してからというもの、人脈の重要性をとても感じる。ラウールやグイド達の活躍を感じながら僕は日本でまた頑張ろうという気持ちになった。と言うより、軸足はやはり日本で、その良さを海外に伝えることの重要性を今回強く感じた。

明日は搬出があるので忙しくなるから今日はみんなで食事しようと言うことでフィエラの中のバイキングに。日本の話になって日本語の事や普通のお寿司と軍艦巻きはどう呼び方が変わるの?とか日本でどんな仕事しててどんなソフトウェア使ってる?とか。本当に日本に興味があるよう。

ラウールとモニカは結婚したら日本に遊びにきてくれるらしい。今からとても楽しみ。

後から聞いた話ですがラウールはフリーランスではなくて家具の工場のデザイナーらしい。グイドはデザイナーというより自分で家具を作る半分作家のようなデザイナー。みんなそれぞれの立場がある中で何かを伝えて何かを持って帰るために来る。それがきっとサテリテなんだと思う。

もう明日で最後。楽しむことを忘れずに残りのサテリテを満喫したい。

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安積伸さんとサテリテ会場にて。

2012/4/22 サローネ最終日

今日はなんだか特別な朝だ。とうとうこの日がきてしまった。妙な静けさを感じる。

搬出のために大きな段ボールがあるのでタクシーを呼んでもらうと偶然搬入の時と同じドライバーに。彼も覚えていてくれてて出発するなり今日はマラソンはないから道はスムーズだよと冗談混じりに言ってくれた。ドライバーと話すうちに自分から色々と話していることに気づく。知らず知らずのうちに英語も上達したんだろう。人間は知らず知らず成長し、それを実感した時に生きている喜びを感じるのだと思う。

会場に早く到着し、まだ人のいないサテリテのブースをうろちょろ。出展者の特権だと思う。すべての出展を一通りの見たあと裏通りへ。今日も一日が始まる。

せっかくフィエラにいるのでブースをエンヤに任せて本会場に。イタリアにとって家具はほんとに大きな産業だと思う。日本のモーターショーの何倍もの規模で、より多くの展示と新しい見せ方、全てが新鮮。COVOと言うブースで田村ナオさんが昔サテリテアワードを獲ったSeasonsというカトラリーケースを発見。このメーカーはその前にも小林幹也さんが椅子を発表したブースだと思う。もしかすると日本人のエージェントが居るのかも知れない。

そんな事を考えながらブースを見ているとMATTIAZZIというイタリアの家具メーカーのブースで話しかけられた。秋田先生のformroomから生まれたイニシャルに折れている名刺をブースで配っていたのですが、そのブースの人が覚えていてくれてて、一番人気のカタログは本当はもうないんだけど特別にあげるよと言ってストックから持ってきてくれた。

サテリテ会場で出会った人は筋が通った面白いことにはとても素直に感動し、受け入れる無垢さを感じる。そしてそういうきっかけをしっかりと覚えていてくれていてつながっていく。とても健全なつながりの始まり。

ブースにもどるとあと一時間でサテリテは終了。ラウールは業者に撤収を任せて一足先に帰国するらしい。同い年のスペインのデザイナー。暮らしてきた所や見てきたものはすべて違うけど強い縁を感じる。近い将来にまた会いたいと思う。

そうしてサテリテが終了。会場の至るところで拍手。彼らは本当にピュアだと思う。そして撤収開始。

金物の一つがうまく外れず明日業者に切ってもらうことに。そして日本から持ってきたカートが壊れるなど。トラブルがこんなところで待ち構えているとは。

ミラノ在住のデザイナーでサテリテに出展していたタハラヒロオミさんのヘルプでどうにか荷物をタクシーに。その後日本人みんなで打ち上げする為にチャイニーズレストランへ。一週間以上お箸を使わず、一週間以上白いご飯を食べていなかった僕は、なんだかほっとしてしまった。エンヤは中国語でオーダー。美味しい食事をしてサテリテ出展を締めくくる。

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Enya Houさんとsuperstudio内(たぶん)のnendoとLasvitの展示会場にて。
帰国する飛行機の中でエンヤさんをリクルーティングし、結果2018年間まで一緒に活動することになる。

2012年4月23日 ミラノ探索と帰国

搬出も何とか終わり、搬出の為に取っておいた月曜日はミラノ市街地を見学に。ミラノ在住のデザイナー吉尾元基氏(よしおもとき)に案内してもらう。

まずは外れなくなった棚の横棒を切ってもらうために近所のハードウェアショップ(商店街の金物屋さんみたいな感じ)に行って見てもらう。吉尾さんにイタリア語で説明してもらう。英語以外の語学はほんと習得した人がいると心強い。もう15年もイタリアに居るそうなのですが、それでもまだまだ満足というレベルではないらしい。頭が下がる。横棒は、中で変なことになっているね、と店員のお兄さん。19:00頃に来て。どうにかするよ。と任せて市街地へ。

まずはいつものガリバルディ駅の方に向うトラムに乗る。7と31は乗りなれた番号。覚え方は黄金時代の真弓と掛布だそうだ(このブログを読んでいる人でそこまでわかる人もまずいないだろう:笑)。

道すがらにカスティリオーニ氏の娘さんがやっているアクセサリーショップに行く。小さな素敵なお店。ここでまずお土産を買う。店を出て、そういえば何か食べたいものはありますか?と吉尾さん。

イタリアに来て本格的なピザはまだ食べていなかったので、朝食兼昼食でガリバルディ駅を超えた向こうのピッツェリアに。ガリバルディ駅近辺は少し近代化が進んでいる。高層ビルが建ち始めて遠くからでもそれが見える。古い街並みが好きな僕はちょっと複雑な気持ちだが、日本の都市のようにはならないだろう。イタリアの人たちは日本の人以上に古い街並みが好きなはずだからだ。そのくらいこの街は美しいと思う。

ピッツェリアでメニューを一つ一つ日本語で説明してもらう。アンチョビが好きなのでアンチョビ入りのピザに。エンヤはサーモンのピザ。吉尾さんは生ハム。本当に美味しいのに、日本に比べてはるかに安い。

店も町並みも景色も普段見慣れない僕にとってはどれも贅沢だが、食事に関しては日本より安く感じる。衣食住の水準が高いからだと思う。ミラノに来てわかったことは、彼らは衣食住の基本的な事に対してかなり貪欲だと思う。あまりジャンクな物も食べないだろうし、コーヒーはバールで飲むのが安くておいしいのを知っているのだろう。駅などにも日本のような紙コップの自動販売機も当然あるし、0.5ユーロとかなり安く、味もおいしいと感じたがミラノの人がそれを買っているイメージはあまりない。自動販売機がとても古いのが需要の少なさを物語っている。

何軒かお店を見た後に、小雨が降ってきたので地下鉄でドゥオモへ。僕は二回目。エンヤは初めてだったので、とても興奮。中に入って改めてその巨大な建造物に圧倒される。どうやって建てたんだろう。現代建築はずっとこれと競わなければならないのは本当に大変だと思う。そしてこんな素晴らしい造形の建物を物心ついたころから飽きるほど見ているヨーロッパ人は、造形が強くなるのは当たり前だと吉尾さん。カーデザインの世界で生きている彼はもっとリアルにそのすごさを感じているのだと思う。だからこそイタリアに居続けているとも思う。

ジェラートを食べたいと吉尾さんにお願いし、ジェラテリアへ。ここまで言うとブログタイトルと全く関係なくなるが、面白い話があるので書こう。僕がイチゴとピスタチオにしようと吉尾さんに伝えると、イタリアではシャーベットとクリームは同時に頼まないという暗黙のルールがあるとのこと。僕が怖気づいてやめたところでエンヤが注文。店員さんが一瞬険しい顔をしたが、きちんと盛ってくれた。そこは仕事。当然の事ながらとても美味しかった。

少し話しは変わるが僕の好きなデザイナーに、ミラノ在住の蓮池槇郎(はすいけまきお)さんがいる。デザインしたバッグがほんとうに素敵なのだが、日本ではあまり大きいものがなく、仕事でよく使うA3ノビが入るケースを選ぶ。それは今スペシャルプライスだよ。と店員さん。どうやらサローネにはたくさんデザイナーが来るから、そのサイズが売れるそうだ。77ユーロ。あまりに安かったのでキーケースも新調。YOSHIDAからMHへ。結局日本人のデザインが好きなのかな。なんて。

エンヤがポストカードを選び、家路へ。最初の金物屋に行くともう作業は終わっていた。横棒をきってもらった。これで持って帰れる。小さなお店だが、鍵が壊れたら直してくれるし、金物で困ったらここに来るらしい。こういう関係性は昔の日本ではあったが、今はあまり無い。商店街からスーパーに行くようになったからコミュニティの質が変わってしまったのかも知れない。いずれにせよもったいない。顔なじみほどきっと良いサービスをしてくれるのだろう。

荷造りも終わりいよいよ明日日本へ。荷物の多い、ミラノに慣れていない僕らをロングステイさせてくれた吉尾夫妻に感謝。本当にありがとうございます。

あと色んな人の協力があってミラノに来れたこと。ここでのことはまず忘れないし、たっぷり吸収し日本でたっぷり吐き出そうと思う。そして僕はまたここへ来るだろう。その時までミラノはお預け。日本でみんな待っている。

帰りの空港でセヘからさっそくフェイスブックの申請が。きっと昔に比べて世界は近くなったんだろうな。と思う瞬間。でも自分にとっては本当に大きな旅だった。航空券を自分で買ったのも初めてだった。でも経験がその距離を縮める。それを理解できた事がまず収穫なのかも知れない。

世界はいつもフラットに僕らを見てくれる。そして叫べば十分に響く。それがわかった10日間だった。

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ドゥオーモを見上げてまたミラノに来ることを誓う(2012)

その後どうなったか ※追記

結局サローネサテリテには2015(34),2016(35)と三回出展しました。サテリテは35歳までに3回しか出展できないので、ぎりぎり3回出展したことになります。

また2012年に反応があったパリのエディトリアルブランドは、何度かアプローチしたものの結果商品化しませんでした。こういうのはなかなか難しいですが、今はもうそうしたアプローチをすることはなりました。

2015年には2012年の経験を踏まえてかなり準備をし、そのものは結果は出ませんでしたがいくつかの海外のブランドとの仕事がはじまりました。

10年前のことを回想するのは悪いことじゃないなと思う。自分で見てもとても若い自分の姿があるし、ここからはじまったことも多くて改めて初心に戻る部分もありました。

過去のことはもう戻れないので、いつも悔やむことだけは避けるように毎回フルスイングします。準備もできる限りすべてやることで結果を受け止める準備をします。それを続けると過去は空気が澄んだ大きな部屋のように、時々そこに行きたくなる場所がたくさん生まれます。そうやって未来に来る困難に立ち向かうための呼吸をしているのかも知れません。

10年経って僕は今10年後の自分にまた何か振り返らせたい気持ちになり、今日からまた進んでいこうと思いました。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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