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夏休み

2021年もあと数日で終わる。

過去に意識が飛ぶと結局のところ落ち込むだけだから、
あまり1年を振り返るとかはしたくない方なんだけど、
時折無意識に過去に引っ張られて嫌になる。

聞かれはしないが、
2021年はどんな年って聞かれたらこう思ってしまう、

進んでいた物に見えないブレーキがかかって、
周りを見たら同じような現象が起きていて、
それでもどうにか前に進もうとしても中々進まない。

抽象的な言葉でまとめる癖がある。
それも自分の嫌なところだ。


夏に思ったことがある。

「この国の、この町の人たちは今何をしてるんだろ?」

毎日都内のあちこちを車で走らせながら、
消えた群衆を探すように彼らの行方に思いを巡らした。

勿論、各々の巣の中でじっとしていたはずだが、
確実に人流は戻りつつあって、
店もある程度開いてるし、
ちゃんと渋滞は見かけるし、
人混みがないわけではない。

ただ、大都会にあのまとまった人の流れがここまでないと変に不安になる。


それから僕は不思議な感覚に陥った。

大衆が当たり前の日常から消えた時、急な疎外感と孤独が押し寄せ、僕から皆が消えたとさえ思った。

その時、
この感覚に見覚えがあることに気付いた。
それに妙に懐かしくて悪い気はしなかった。

夏休みに入り、
毎日会っていた同級生との長期的疎遠による反動で、
8月後半に感じた小学生の時の
あの感覚だった。

夏休み、親戚の家で、

「あの子は今なにしてるのかなぁ」
「早く会いたいなぁ」
「僕以外で楽しいことが起きてるんじゃないかなぁ」


と、ふと思ったことがあるのは僕だけだろうか?

会えない不安が、
色んなことを思わせ、
思い過ぎて全てが大事に思えてくる現象。

それは僕を悲観にさせたわけではない。

そこまで話したことのない同級生だったり、
黒板だったり、 
教室だったりが、
急に特別に思えて、懐かしく感じさせたのだ。

たった1か月が精神と時の部屋に入ったみたいに、
1年後に感じられた。

だからこそ、
夏休みが終わっての最初の登校は
家を出る前から緊張したし、
クラスメイトと顔を合わせるだけで照れてしまった。
あの教室には同窓会に近い不思議な空気が流れていた。

これも僕だけだろうか?


30歳になった僕から人混みは消えたけど、

大衆の気配はずっとあって、
どこにあったかと聞かれたらよく分からないんだが、
当たり前の話、
どっかに行って、 
何か食べてて、
楽しく過ごしてるんだろう。

それはSNSでなのか、
テレビでなのか、
聞いた話によるのかは分からないが。

皆、どこかで何かをしてたんだろう。

漠然と思いを巡らせながら、
この懐かしい感覚に浸るのも悪くないが、


いつ終わるのか分からないこの長ーい夏休みが終わって、


久しぶりの群衆の中で、


皆と会って、

照れ臭そうに話すのも、悪くない。


今になってこんなこと思い出して、
久しぶりの投稿。


本当に自分が嫌になる。



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