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『こどもが床にひっくり返した卵スープを拭きながら、なんだか涙が出てきた』〜居場所づくりへの気づき〜

こんばんは。ikedaです。

いつも介護職として想う呟きを書いていますが、今日は育児ケアから想うことを書いてみたいと思います。

・・・

先日、こどもの1歳6ヶ月検診に行った。
市の施設で、集団の歯科検診だ。

4歳の上の子を連れて、受付20分前には並んだ。

受付番号を呼ばれて、母子手帳や問診票を確認している間、早くも下の子は、身体をよじりながら全身全霊のグズグズモード。
10kgを超えた男の子のパワーに逆らえず、仕方なしにそのまま床に置いた。

受付を終えて、こどもの発育や生活についての話をする問診の順になったが、未だグズグズモード。話すにも話せない状況、何に泣いているかもわからない状況で床にふんぞり返る姿をみた保健師さんが、「お母さん、お子さん癇癪とかあるようだから心理相談行きましょうか?」と言った。

正直びっくりしてしまった。確かにグズグズモードは困ったけれど、これが癇癪というのか、という複雑さ。またそれを第三者に指摘されたことへの複雑さ。心理相談という、自分には縁遠いと思ってたことを突き付けられた複雑さ。
そんなに、自分が疲れて見えたのか?それとも子どもに対して何か問題がある?

様々なことを思いながら、気がつけば「あ、はい。では、お願いします・・」と言っていた。

それからスタッフたちの「心理はいりまーす!」という声かけのもと、問診票には赤ペンで「心理」と書かれた。

心理相談員さんを紹介され、別室に移動した。
大きな和室の畳部屋だ。

靴を脱ぐと、上の子が大喜びでおもちゃに走る。さっきまで大泣きだった下の子も、けろっとして大喜びで走り回っている。

それを見て、さっきまでのグズグズは一体何だったのか、またどっと疲れてしまった。

心理相談員さんは悩みというよりも、日頃のいろいろな話を聞いてくれて、終始優しく楽しく接してくれた。

自分も最初は少し身構えていたけれど、ふと時間の流れがゆっくりとした空間に癒されていたのかもしれない。
話が終わると、「ありがとうございました」とポロっと涙が出た。

それにとても驚いたのは自分自身だった。心理相談員さんはその事に後追いして励ましもせず、追求もしなかった。ただただニコニコしていた。それが自分にとってもありがたかった。

思っていたよりも自分は限界だったのだと実感することができて、気が少し楽になった。
それは、もっと自分がしっかりと、もっと上手くやらねばと、もっともっと自分がと思う事を、ちょっと辞めてみても良いかなという理由づけに思えたからだとおもう。

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もちろん大変なことばかりではない。楽しいこと、嬉しいこともたくさんある。ただ、母親業というのは自分が大変なことをやっていると認めていいのか分からなくなるときがある。
もっと大変な人もいる、みんなちゃんとやってると思うと、恐れ多くて自分を認めることを拒絶してしまう時がある。

ふと落ち着き、さまざまなことを俯瞰してみられる状況になった時に、何を自分はあんなに追い詰めさられていたのか少し楽観視して考えられるようになるのに。
息苦しくなるときは、"今"をやり抜くことで精一杯になってしまう。

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今回、心理相談員さんに話を聞いてもらえて、改めてよかったと思う。それと同時に、相談機関や窓口、制度はたくさんあるかもしれないけれど、そのような場所に行くことは自分の中ではかなりのハードルがあると学びになった。

まず、そのような場に行こうと思う前に、自分が対象であるかもわからない状態だからだ。
産後うつや、育児ノイローゼ、様々なことに隣り合わせだろうが、やはり自分には縁遠いものだと感じてしまうことが多い。日常の中心にケアがあると、大変さや厳しさが当たり前になり、助けを求めにくくなる傾向にあると感じる。

だからこそ最近は、日常に人と繋がれる場がある大切さと必要性を実感する。
ケアラーズカフェ、子育て広場、こども食堂、さまざまな場所や活動の意義を、最近さらに感じるようになった。ほっとする場、居場所づくりを、さらに日常のものへとしていきたい。日頃のコミュニケーションから支え合いができていたら理想的な社会だと感じる。

今行っている交流会も、そのような取り組みへと繋がっていけたら良いなと目標ができた。

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こどもが床にひっくり返した卵スープを拭きながら、なんだかやりきれなくなり涙が出てきた。

そんな日だって、ピコンっと携帯が鳴る。

「みかん持っていこうか。」
「お疲れ様。」

母からだ。

よし、また頑張ろうか。


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