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『鬼滅の刃』の女性像は「不自然で気持ち悪い性的倒錯」なのか?

このようなポストを読みました。

 うん、まあ、この手の実在するのかどうかすらさだかではない外国人の言葉を利用して自分の心情を代弁させるポストはいいかげん価値が失効していると考えているからいまさらどうとも思わないんだけれど、ひとつ面白いなあと感じるのは「セクシーでもエロでもなく性的倒錯」という一文です。

 つまり、エロだから悪いわけじゃない、「倒錯」しているところが問題なのだといっているわけですよね。

 しかし、この「倒錯」って何なんですかね? 仮に「童顔・巨乳」の女性を好む人が実際にいたとして(もちろんいるでしょう)、それを「倒錯」とみなすということは、つまり童顔でなく「適切」な「普通」のサイズの乳房の女性に性的関心を感じるのが「正常」なのであって、そうでない人間は「異常」だ、「倒錯」しているという発想ですよね。

 いやいや、どう考えても、控え目にいってそれは「性差別」以外の何ものでもないのでは。他人の「性的しこう」をノーマルとアブノーマルに分けて考えているわけですから。

 もちろん、それは単なる「性的嗜好」の問題に過ぎないのであって、異性愛や同性愛といった「性的指向」に対する差別とは違うといういい分はありえるでしょう。

 しかし、そもそも「性的指向」と「性的嗜好」の区別そのものが恣意的なものに過ぎないし、「性的嗜好」であれば赤の他人が「おまえはまともじゃない、倒錯している!」と指弾してもかまわないというのもわけのわからない話です。

 本来、ある人がどのようなルックスやスタイルを好もうと嫌おうとその人のかってであって、他人に口を出される筋合いはないというのがリベラルな理想なのでは。

 「わたしは同性が好き」は「正常」で「当然の権利」だけれど、「わたしは童顔で胸の大きい子が好き」は「倒錯」であって「不自然で気持ち悪い」というのはいかにもおかしな話です。

 仮に巨乳好きのレズビアンがいるとして(当然ながらたくさんいるはず)、その「レズビアン」の部分は認められるべきものだけれど、「巨乳好き」のところは正常だとか異常だとかジャッジされなければならないということなのでしょうか。

 そのラインはだれがどうやって何の根拠で決めるのでしょう? 「わたしが気持ち悪いといったら気持ち悪いんだ!」というのならそれでも良いけれど、それってまさに歴史上、「同性愛は異常であり、異性愛だけが正常である」としてきた異性愛規範を正当化する感情とまったく同じものですよね。

 たしかに、いわゆる「ロリ巨乳」はオタク文化を象徴する「気持ち悪い」アイコンとして過去、連綿と非難されてきました。で、気持ち悪くないのかといったら、気持ち悪いのかもしれない。そこは個人の価値観だから何ともいえないけれど、そう感じる人はいても良いでしょう。

 おそらくその背景にあるものは「成熟」に対する考え方です。「ロリ巨乳」は「精神的な未熟さ」と「性的な成熟」を併せ持った属性として見られているわけです。それはじつは「オタクは頭が軽くて肉体的にだけ成熟したセックス・アイコンを好んでいるんだ!」という非難であるわけですね。

 現実にはオタク文化の歴史のなかでも「ロリ巨乳」のキャラクターがそこまで多いのかは議論があるところでしょうが、「オタクはロリ巨乳を好む」というバイアスは伝統的にものすごくある。

 「ロリ巨乳」キャラクターを「気持ち悪い」という人は、そのキャラクターそのものではなくその背景にいる作家やファンの存在を不気味に感じているのだと思います。そこには暗がりで幼児を襲うような陰湿な異常者という差別的バイアスがいまなお厳然と残存している。

 また、ここで「不自然」という言葉が語られていることも注目に値します。この言葉をある種の非難としてもちいているということは、つまり「自然」なことが正しい、良いことである、「倒錯」していることは間違えているとしているわけで、どう考えてもリベラリズムの発想とはいえないですよね。

 村中さんはおそらく自分自身をリベラルなフェミニストと自認していると思うのだけれど(違ったら謝ります)、現実に語っているのは「不自然」とか「倒錯」とかきわめて保守的な思想です。

 こういった、「なぜか自分ではリベラルだと思い込んでいる極端な保守差別主義者」が現在のネット世論における対立や議論を生み出している大きな一因だとぼくは考える。

 彼女のような存在は「パヨク」とか「ネトウヨ」みたいな古典的な言葉では捉え切れない。あえていうなら「パヨクの皮をかぶったネトウヨ」みたいな表現になるはず。自認と実態が乖離しているんですね。

 いったいこういう言説をどう言及し、批判していけば良いのか、むずかしいところだと思います。

 まあ、でも、『鬼滅の刃』ってめちゃくちゃフェミニズムの教科書的な、女性読者をエンパワーメントできるマンガだよね、とぼくは思うんだけれど、どうだろう?

 『ジャンプ』のような「男性文化」からこういった作品が出て来る一方で、「女性文化」からはいまひとつそこまで独創的な女性キャラクターが出て来ないようにも思えるのはなぜだろう?と思ったりもします。これは、課題ですね。

 とりあえず、Netflixで『鬼滅の刃』を楽しく見ているであろう大半のドイツ人とは仲良くなれそう。いや、面白いよね、ほんとに。どんなに気持ち悪いといわれてもさ。

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