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海 // Ocean

毎夜、海へ行って足をひたした。

カナダの夏は夜が長い。いつまでも明るいので花火大会は、夜の22時を過ぎなければ始まらない。

お世話になっていたオーナーの家から、歩いて15分くらいでビーチについた。19時に店が終わって帰宅したあとでもまだ夕日がまぶしい。ビーチ沿いに大きく曲がる道をてくてく歩く。アスファルトに映る影が濃い。ひらけた庭を、野ウサギがぴょこぴょこ飛んでいる。私のささやかなガーデンのトマトを食いちぎった奴らは警戒心が強く、近づけた試しはない。ビーチに近づけば近づくほど家が大きくなり、この辺りは豪邸ばかりだ。広々としたデッキ、何人も入れそうな布のパラソルには白くて大きなテーブルとチェア。家の中でも日焼けしそうなほど大きなガラス張りの窓。

細い道を折れると、もう海だ。一気に視界が開ける。白とグレーのグラデーションが重なった雲の上、橙色の夕陽がばしばし光を放っている。向こうの向こうまで水平線が見えない。少し先にはもう黒い影に見える森がある。静かに寄せては返す波、黒く濡れた砂。白い小石に青緑色の海藻。乾いたさらさらの砂の上には、カリブーの標本みたいな巨大な流木があって、地元の人がそっと海を眺めている。

「島へ来ませんか」というタイトルの求人広告に、ダウンタウンのマリファナくささに参っていた私は一も二もなく応募した。このビーチタウンは、日本を脱出して海外移住をすると決めたオーナーが、カナダを横断し世界のあちこちを旅し、吟味した結果、「ここに住むと決めた」のだと言う。リタイア後に移り住んでゆったり暮らす年配の人と、街で働く若い人と、夏の間だけ来る少しだけの観光客がいる、地球の歩き方にも載っていない島の街。

遠浅の海岸は、歩けばゆうに1時間はかかる隣町までつづくほど長い。運が良ければ、白い砂の上を歩きながら、両側に海をみながら歩くことができた。

あたたかな砂の上をサンダルで歩いて行く。8月の頭、日中はまだまだ暑いが、日が陰りだすこの時間になると、海水が冷たく感じられる。爪先まで覆われた黒のサンダルのまま、波へ向かう。じわじわ、底から海水がしみてくる。ザ…と静かな音を立てて波が寄せる。爪先が波につかり、指の腹がつかり、足の甲、そしてくるぶしまで。私は海へ近づいていく。

今日も1日、生きていた。重たい息が肺から出て行く。黒いもやが目の前に見えて、夕日に散ってゆく。

どうか今日も、大丈夫でありますように。毎朝祈らなければならなくなったのは、いつからだっただろう?主治医が「お守りに」とくれたインド菩提樹の種がついた首飾りをかけて、ぎゅっと手のひらに握り込む。銀細工のちいさなパーツが手のひらに食い込む。種の皺を、たなごころに感じる。今日も、無事でありますように。声には出せず、ただ必死で目を閉じて、祈る朝。

働くことが怖かった。オーナーは本当にいい人で、初日に「忙しいのは来月からだから、それまでに仕事を覚えてくれればいい。失敗してもいいし、なんでも聞いてね」と言った。こんな「上司」がいるのかとびっくりした。カナダに来る前、住み込みの仕事をいくかやって少しマシになったものの、働くことへの恐怖は心の底に焦げつき、ドロドロした嫌悪感が拭いきれなかった。この店で働く人たちは、本当にいい人たちだった。お客さんも気持ちの良い人しか来ない。Trip adviserのレートはほぼ満点。オーナーの人柄がそのままこのお店になり、ふさわしい人しか来られないようになっているんだろう。それなのに。私は毎日祈らなければ、部屋の外へ出てゆけなかった。

今日も私は海へ行く。足をひたして、ようやく1日が終わっていく。寄せる波で、何かが胸へ、そして喉まで上がってくる。泣きたい、なのに涙が出ないんだ。きもちわるい。もう何年も、目の下に涙が溜まっているような感覚。涙の代わりに、何かが口から出た。言葉にならない、言葉。

心に迫り上がっているものは苦々しく重たいのに、なぜか私の顔は笑っているみたいだった。なんで。とっさに、片手で目を覆う。手のひらの向こう、夕日がある場所が黒い影になって、まぶたの裏に見える。夕日の周りには、火花のような細い光がぱっ、ぱっ…と散っている。

こんなに綺麗な場所にいるのに。こんなに夕日が綺麗なのに。

こんなに綺麗な海なのに。どっかにいっちゃいたい。


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