タグラグビーから得た学び -生活やビジネスのヒント- ⑤努力と成長とは

【練習は質×量】
チームの目的や目標が決まり、チームの中で役割が分担されればいよいよ練習へと話が進む。

練習は「質x量」だ。というより、努力自体が「質x量」なのである。

ベクトルという考え方がある。物理が得意な人の方が詳しいかもしれないが、私は「力の向きと大きさ」をベクトルと呼んでいる。
私は努力とはベクトルがあると考えている。つまり、努力は頑張る量も大切だが、頑張る方向も同時に考えるべきだということだ。

上手くいかないからオーバーワークで怪我をする。
周りの声が聞こえないほどに愚直な練習をする。
いわゆる、闇落ちするみたいなことは、たいていうまくいかない。
これはまさに、量だけではなく、向きの観点でうまくいっていないことの証左だ。

頑張っているのに結果が出ないのは、量が足りないのかもしれないし、方向性自体が間違っているのかもしれない。そのどちらなのかは状況によるが、努力には向きがあるのだから正しい向きで行うことが効率的に少なくとも闇落ちまではしない。

認められないのは、あなたが頑張っていないわけではない。大切なのはそれが結果となること、あるいは評価する人に伝わって初めて認められるのだ。そのために、相手の立場になって「相手が何を求めているのか」つまり、なぜ頑張るのか、目的が大切である。

タグラグビーをやっていて驚かれるのは豊岡の練習量だ。
全国大会に出場したチームではもっと短いチームもあったが、私の所属する豊岡土曜タグは、毎週土曜の練習と日曜の試合くらいしかしていない。
過去は平日夕方も練習していたが、廃止にした。理由は選手が区内の様々な学校から集まることになり、帰宅時の安全が確保できないことや学生コーチなしに成立しない持続性のない活動であることもそうだが、何より、練習をした気になってしまうことを避けたかったからだ。
週2日の限られた時間の中で、重視しているのは練習の取り組み方、効率化といった「質」をどれだけ高めるかを練習設計の中で大切にしている。

【目的を忘れない】
練習の質を語るときに大切なのはやはり再三にわたって説明をするが「練習の目的」である。
練習とは「目的達成のための手段」だ。
あなたのチームは、何のために練習をしているのだろうか。
たいていの指導者は、この目的を見失うことなく、練習設計や、プレーのフィードバックをしているのだと思う。やみくもにやれといっている場合もあるが、多くの指導者はなぜその練習をやっているのか、説明をしてくれる。問題はそれが選手と共有できていない場合が多いことである。
選手が「ただ怒られないように」や「この練習はこれだけすればいい」という思考に陥ると練習をしている意味はないのかもしれない。
上手くなるため、試合に勝つため、あるいは課題を解決するために練習をしているはずなのに、選手は怒られないようにやっている。
こんなことはないだろうか。

怒られないことが目的ならば、練習をしなければその問題は解決できる。
したがって、「怒られないように」練習をすることは選手にとっても、課題解決を願う指導者にとっても苦痛の時間となっているはずだ。
つまり、言い換えるとこのような時間は「練習のために練習をしている」状況だ。この場合、練習自体の意味が薄れていき、練習の質が低下する。これが続くとやっているだけ怪我のリスクが上がる一番よくない状況につながるのだ。

練習の中で自分のプレーが終わった後に選手が何も話していないときはかなり危険なサインだ。
もちろん選手個人で内省している場合もあるが、多くの場合、何も話していない選手は振り返りを行わず淡々とこなすパターンに陥ることが多い。練習が怒られないための作業に変わり、「これさえやればいいんだ」と思考を停止してしまっているのだ。
これは練習だけでなく、仕事にも置きかえられる。何か仕事が終わった後に次どうしようかを考えていないときは手段をこなしているだけなのかもしれない。

【指導者の心構え】
ではどうすれば、目的を忘れず、全員が共有できるのか。
まず、指導者側はその指導が何の目的なのか説明をする必要がある。漠然と「とりあえず、練習する」などの指導をすると練習が練習のためになっていく。さらに練習の中で、「これをしなさい!」や「今のはこうだ!」などの指示を出す指導者を見かける。もちろん、それ自体が悪いといっているわけではない。私自身も時にそのような指導をするときもある。だが、それは「混乱している選手に選択肢を与え落ち着かせるため」という目的があるからだ。どうしたらいいのかわからないときは、いったん道を指し示すことも時には大切だ。だがそのような場合であっても、次に行うステップとして、「今は、なぜうまくできたのかな?」や「こうしたらこうなったよね?どうしてだと思う?」といった振り返りを選手と行うことを大切にしている。このステップによって最終的に選手と練習の意図が共有されれば、それは選手の学びへと昇華されるのだ。ただやること自体に意味があるわけではないということは覚えておいてほしい。ネクストアクションやその練習が何のためでそれが結果としてどうなったのか、振り返ることが大切であるということだ。

意外と子供の方が目的には厳しいと思う。子供が言うことを聞かないのは目的が分からないからといったパターンも多いので、どうするだけではなく、目的を伝え自分で答えを導かせると意外と話を聞いてくれることが多いのだ。


【選手の心構え】
また選手側も目的は何かを考えなければいけない。
選手の視点、これは生徒、部下とも言い換えられる。
その意味で大切なのは「この練習、勉強、仕事の目的は何か」意図をくみ取る能力だ。

わかりやすい例を出せば、「数学なんて社会に出たら使わない」という論説があるが、これは本質ではない。
たしかに球の体積の公式やオイラーの多面体定理を覚えること自体はあまり意味がないかもしれない。
だが、本質はなぜ数学を学んだのか、つまり数学から何を学べたかを考えることだ。因数分解はそのままの形で使わなくても「問題解決をするときに課題を要因分解すること」につかえるわけであるし、「仮定を整理して、わかる事実から結論を導く」といったことは図形の証明で我々は習ったのだ。数学なんか使わないではなく、数学をこちらから使うために勉強は大切なのだ。

目先のことにとらわれ、意味を考えず作業をするのではなく、能動的に、この知識や練習をどう使うかを考えること、これこそが学びである。
このような学びを得ることが次につながり成長となるのだ。
成長とはこうした1回1回の積み重ねである。

これは技術にも同じ話だ。
たまに「技術を磨く」ことが目的になった練習をしているときはないだろうか。もしそうであっても、目的じゃないかと思う人もいるだろう。
では、なぜその技術は必要なのか考えたことはあるだろうか。
技術があっても使い方がわからなければそれは宝の持ち腐れだ。
技術は極めたくなるが、日本の道路で500㎞で走る車は必要ないのと同じように、いま必要なことを考えて技術は習得するべきなのである。

逆に言えばどんなに地味な技術でも使い方次第で強力な武器になるのだ。
目的をもって今何が必要なのか、どのくらい必要なのか、しっかりと見極めることがあなた自身の力の向きをただしてくれるのかもしれない。

【練習をして昨日の自分を超える】
ここまで、練習の質は目的をみんなが共有し、練習から学びを得ることが大切だと話してきた。
練習は目的達成の手段、つまり成長するために行うのだ。成長の定義はいろいろとあるかもしれないが、私は「昨日できなかったことが練習によってできるようになること」だと思っている。昨日の自分から新しく一つできるようになれば一歩成長になる。それがどんなに些細なことであってもいい。昨日より1個大きくなった自分が積み重なると、1年後にはもっとできることが増えているはずだ。そして、それはタグを超えても続けることで人間としても10年、20年成長できるのではないだろうか。

これは、スポーツだけではない。勉強でもわからなかったら答えを見てもいい。仕事でもわからなかったら聞いてもいいと思っている。「なぜその答えになったのか、その理由を人に説明できるまで理解する」ことが大切なのだ。1つ出来るようになれば、明日また一つと続けること。これこそが成長し続けるということなのだから。

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