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上京の逆

大都会から田舎暮らしに

 今年で大学に通い始めてから2年目になる。理系学部で建築の構造やデザインを専攻している、しがない理系大学生だ。
 現在通っている大学は関西圏の山奥にあるごく平均的な大学で、家の周りといえば田んぼばかりだ。ここ最近あった特筆すべき出来事といえばアパートのベランダに鷺が入り込んできたことくらいだろうか。電車も30分に一本だから、便宜上坂道を自転車で通学している。
 そんな私は、東京の杉並区生まれ。いわゆる江戸っ子だ。
 小・中は事情がありアメリカで過ごしていたのだが、それはまた別のnoteで紹介します。とにかく、ずっと東京に住んでいて、実家から大学に通うという特権を私は蔑ろにした。
 東京には腐るほど大学があって、勉強したかった建築学を得意とする学部なんて数えきれないほどあるだろう。なのになぜ私はわざわざ500kmも離れたこんな辺境の地で苦労しているんだろうか、と思う日々を過ごし続けてはや1年半。何か今の生活に意味を見出したい。

なぜこうなった

 アメリカで育った私は、受験というものに得に重きはおいていなかった。なんとなく大学に入ってから就職するのが普通だろう、という適当な生き方をしてきた。こんなおおざっぱな人生設計しかしていなかった私は、高校の時に大学はAO入試(自己推薦入試)で入学しようと考えた。これの理由も、受験が早く終わるし、遊べる時間も増えるからという極めていい加減な理由だった。
 もちろんこんな大学入試を軽視している人間の考えは、大学側もお見通しだった。AO入試で出願した大学はすべて不合格。高3の11月、私は途方に暮れていた。
 幸い高校の授業だけは面白くて基本的に聞いていて、持ち味の英語能力のおかげで一般入試の勉強はそこまで苦労しなかった。しかし、当時第一志望としていた大学の狭き門には及ばず、合格した大学は現在の大学と、滑り止めのみだった。
 このnoteを読んでくださっている皆様は、「じゃあなんでそもそも今の大学を志望校に入れたんだよ」と思ってらっしゃるだろう。
 答えは、祖父の紹介である。祖父も学生時代同じ大学に通っていたらしく、私の入学年度から新たな学部ができるため、「受けてみたら?」の軽い一言で受験を決意した。
 しかし、私の調査不足が理由で、今の生活が始まった。私が受験した大学は、そこそこ栄えている場所にキャンパスを構えていた。が、新学部はすべて、山奥にあるキャンパスに開設されていたのだった。

今の生活の「意味」

 今の生活に嫌気がさしているわけではない。ただ、実家から近場の大学に通っていたらどれだけ楽だっただろうか、と思う。親しい高校の友達とも毎日遊べるし、東京だったら遊ぶところなど無限にあっただろう。
 そんな代償を払ってでも、今の生活に意味を持たせたい。と考えたときに、実家暮らしと現在の一人暮らしでは何が違うのかを分析してみた。
 まず、一人暮らしという経験。これは将来自立したときに相当大きな糧となるだろう。1年半特にトラブルなく、金銭管理や家事などをこなしている。これは本当に誇れることだ。
 そして、関東と関西という文化の違いを体験できている。大学の友達は様々な地域からきている。大阪から通っている子も、熊本や福岡、三重や奈良などの関西圏出身の子もいる。また、福井や横浜など、東の方から来ている子もいるらしい。なかでも東京は当然珍しいらしいが。
 関西に来てから、私も影響を受けてなんだか明るくなった気がする。みんな気さくで、何より面白い。関西人はみんなおもしろい!というと各所からおしかりを受けるだろうが、私は出会った関西人はもれなく面白いと感じている。このような体験をできているのは貴重だと思う。

今後の暮らし

 実家に帰る度に、親に「もう東京の大学に編入でもしたら?」といわれることがある。当然、私立大学の学費を払いながら下宿の費用も払わなければいけなくて、我が息子が実家から離れている。そりゃ帰ってきてほしいよな。
 だが、ここで折れたら本末転倒だ。私は嫌になっても、一人で頑張ってみたい。インターンも多数応募してみた。とにかく、あと2年ちょい、今の暮らしをどうにか自分の糧にしてみたい。なんなら、来年から友人ともう少し都会の方でシェアハウスでもするか、なんて話も上がっている。

まあせいぜい楽しんでみますわ。長々と自分語り、失礼しました。良い一日を。


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