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またnoteを書いてみようと思った話

 社会人になってから2年が経過した。毎日職場と家を行ったり来たりで変化に乏しく、心が貧しくなったように思う。入社したての頃は目のきらめきが失われたサラリーマンになんてなってたまるかと思って、勉強とか読書を頑張ったり、ジムに行ったり、映画を見たり意識的に毎日を充実させようと努力していた。ところがそんな日々は最初だけで、段々仕事の空虚さに日常が浸食され、今や下に見ていたサラリーマンの仲間入りを果たすこととなった。
 まず仕事終わりの勉強はとてもしんどい。どうやら人間の精神エネルギーというのは無限ではないらしく、仕事で気力を使い果たすとその後は何もできなくなってしまうらしい。体が拒否反応を示し、スマホでできるお手軽コンテンツに流されてしまう。水は低きに流れるものなのだ…
 次に読書もきつい。昔から本を読むのは割と好きで、大学時代などはそれなりに読書をしていたと思うのだが、これができなくなってくる。勉強ができなくなるのと同様に精神エネルギーの枯渇が原因で、好きなはずの読書があまり気乗りしなくなってくる。そうなると元々俺って本好きなんだっけ?とか本好きな自分が好きなだけじゃない?とか、余計なことを考えはじめますます読めなくなる。エネルギーは常に一定に保たれるのだ。
 ジムにも全然行かなくなる。元々ふくよかな体型だった僕は、社会人になると同時に一念発起しジムを契約しそれなりに通っていた。社会人の最初は仕事が楽だったため、会社の同期と一緒にジムに行ったりして楽しかった。体重が目に見えて減っていったり、体型がスリムになっていくのは面白かった。だが仕事で余裕がなくなると同時に段々ジムに通う頻度が減少し、今や月に高いカネを提供するいいカモとなった。ちょっとずつ体型も戻りつつある。
 こんな惨敗続きの僕の社会人人生を少しでも豊かなものにするべくnoteを書いてみようと思う。なぜ文章を書くと人生が豊かになるのか。それは文章というかたちに残すことで自分の感情や思考が整理されるからだ。何となく仕事がいやとか、何となく人生が辛いという悩みを何となくスマホコンテンツで気晴らしして生きていくこともできる。しかし、その何となくを文章を書くことでかたちにし、暫定的な答えを出していくことでより深く物事を考えることができるのはないかと思う。それが人生を豊かにするうえで必要なのではないかと思う。
 実は大学時代にもnoteを書いていた。だが、下手糞な文章しか書けないくせに無駄に高いハードルを自分に課していたため、文章を書くのが嫌いになっていた。大学時代の暇な時代ならまだしも精神エネルギー枯渇問題に直面している僕にしっかりした文章をかく元気はない。よって省エネで適当にダラダラ文章を書いていきたい。
 文章を書くなら日記と言う選択肢もあった。自分しか見ないキャンパスノートに気ままに思ったことを書くのも楽しいだろう。しかし誰にも見られないのは気楽だが少し寂しい。1人でいるのは好きだが、誰かに多少はかまってほしいというめんどくさい欲望をnoteは簡単に解消してくれる。
 3年目の社会人生活は今より多少はよくなっていればいいな…


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