見出し画像

10 自由について

9 三日月が見せた幻 より続く

 変なところで律儀な性格だと思う。
 この前の金曜日、オノセンの授業はちゃんと出席しようと決めてしまったせいで、彼が頭から離れないのに、授業をまたサボることはできなかった。サボって図書館に行きさえすれば、また会えるかもしれないのに。
 唯一の救いは、オノセンが観せてくれた映画が、三日月目の彼を天秤にかけても勝てるくらいのめり込めるものだったことだ。少なくとも二時間は彼のことを忘れていられた。忘れたい気持ちと忘れたくない気持ち、それはたぶん均衡を保つけれど、彼の存在が張り付いていることに変わりない。でもこの二時間だけは、意識もせずに忘れていられたのだ。
 ため息の代わりに、大きな進歩だよ、と呟く。忘れたほうがいいに決まっている。

 自分のことは自分で決めろ、とずいぶん前に観た映画で言っていたように、わたしもこれからのことを考えて決めなければならないと思う。彼に限った話ではなく、卒業した後のことを。進路は決まっているけれど、何がしたいとか、どうなりたいとか、漠然とした気持ちすらないまま過ごしていたら、大学生なんてあっという間に終わってしまう。今思えば中高の六年間ですらあっという間だったのだから、なおさらだ。
 無心に未来の明るさを信じられるほど楽観的でなくとも、未来の大きさに比べたら、彼の存在はとてもとてもちっぽけで、米粒くらいの衝撃かもしれない。今のわたしにとっては宇宙のようだとしても、広がり続ける保証はないのだ。諦めて良かったと思う日が来るかもしれない。きっとそうだ。どんなことも未来に繋がっているなら、どの選択をしたって未来が作られることに変わりはないのだから。

 この一週間、わたしはわたしじゃなくなったみたいだった。今までのわたしはこんなんじゃなかった、と何度思ったことだろう。どちらのわたしも本物のはずなのに、違和感が拭えなくて、どうしたらいいかわからない日々だった。心と身体が分離してしまったようで、どちらかをいつも持て余していた。
 今までのわたしだって、十分じゃないか。街行くひとにアンケートを取ったら、きっと大多数のひとが貴女は恵まれているよ、と答えるような生活を送っている。それなりに名のある学校に通って、大学にも進むことができて、家族や友だちもちゃんといて。それなのに。
 これまでの人生で、何が不満なのだ?

 考え込まなくても、その答えは三日月目の彼が教えてくれた。
 わたしが惹かれたのは確かに三日月を描いた瞳だったし、美しい黒の深さだった。一目で吸い込まれてしまう、その引力だ。
 けれど、授業が行われるべき時間に図書館にいたということ、それがもつ自由の形に、わたしは恋をしたのだ。
 ここから羽ばたきたいと思うわたしと、共鳴したのだ。

 彼を諦めたら、わたしの自由を求める心まで、暗い檻に閉じ込められてしまう。
 行かなきゃ。
 駆け出したい気持ちを抑え、図書館に行くことを誓う。
 わたしがわたしでいられるために、わたしはもう一度、彼に会わなければいけない。


(続く)

***

連載小説『授業をサボる、図書館には君がいる』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?