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9 三日月が見せた幻

8 ありふれた言い訳 より続く

 月に一度の全校朝礼も、わたしにとってはこれが人生最後だった。来月にはもう卒業式に取って代わられるし、在校生にとっても来月の朝礼は終業式になるはずだ。「えー」の回数が無駄に多い校長と「あのー」の回数が無駄に多い学年主任、その回数を数えることだけが唯一の楽しみだった。だいたい眠気が襲ってくるのが先で、何回数えたかは忘れてしまう。
 教室で出席をとってから体育館に向かうまでの間、気付かれないように列を抜け出してトイレに行った。特に用はなくて、洗面台に手をつき時間が過ぎるのを待つ。冷たい石の感触がわたしを落ち着かせるが、クラスから離れたわたしに躊躇する理由はなかった。今日しかないのだ。
 廊下のざわめきが若干収まるのを確認して、他学年に紛れながら体育館へと向かった。その間もきょろきょろと辺りを見回してしまって、まるで初めて校内を歩く新入生のようだ。右も左もわからず誰かに着いていくしかない、フレッシュだったあの頃が遠い昔のように思えてしまう。頭でっかちになるばっかりで何か成長したのか、わたしにはわからなかった。

 体育館に入りじぶんのクラスの列をみつけると、静かに一番後ろに並び直した。本来はずいぶん前のほうが定位置で、人探しをするには不都合なのだ。チャンスは今日だけだ、と言い聞かせ、怪しまれないように首を左右に振った。きっと後ろ姿でも彼を見つけられる、そんな気がしていた。ゲームで宝物がわかりやすく光るように、わたしの目は吸い寄せられるはずだ。
 念のため高校三年生の列も見たけれど、やはり彼の姿はないようだった。やっぱり下級生なのかな、と不安が押し寄せてくる。この不安は彼を見つけられないことから来るのか、彼が年下であることから来るのか、それすらもよくわからなかった。ただ見つけたいという気持ちだけは本物だと思う。
 イントレの軋む音が聞こえ、校長の話が始まることがわかる。後ずさるようにして体育座りをした。全生徒がぱらぱらと座っていく。頭の高さが変わって、さっきまで見えなかったところが見えるようになったけれど、彼は見えなかった。

 彼はわたしがわたしに見せた、幻なのだろうか。
 先週の金曜日、図書館で会った日。
 六時間目が終わるころ、梅香とわたしは帰り支度をして図書館から出ようとしていた。相変わらずひそひそ声で話しながら、そっと彼がいたキュレルを覗くと、彼は忽然と消えていたのだ。何事もなく、普通に帰っただけかもしれないけれど、わたしは彼が帰る姿を見ていない。隣に梅香がいたことで集中して読書に励んでいたとはいえ、気付かないものだろうか。わたしが鈍感だっただけだろうか。あんなに探していたのに?
 もちろん梅香が彼を認識しているはずもなくて、不完全燃焼のまま帰ることになってしまったわたしは、今日の全校朝礼で彼を見つけることを決めたのだった。

 先生方の話なんていつも以上に頭に入らない。退屈も忘れて見渡せる限りを舐めるように見たけれど、彼は見つからなかった。
 同級生でないことは確かだ。でもそれ以外のことはこの一週間、何もわからないままだった。図書館でしか会えない存在。そろそろ自信がなくなって、やっぱり幻なのかもしれないな、と思ってしまう。
 いつの間にか体育館がざわめきで満ちていて、全校朝礼が終わっていた。隣のクラスが移動を始める。仕方なくわたしも立って、後に続いた。教室に戻る前に図書館に行って彼の存在を確かめたかったけれど、卒業間近の学生にそんな自由は許されなかった。


(続く)

***

連載小説『授業をサボる、図書館には君がいる』

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