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伝えることは等身大の自分でいること 常に心を動かし見つけた伝えるの形

伝えるということはどうしてこうも難しいのだろうか。 けれどしっかりと心に「伝わる」言葉は存在する。それは編集者/ライターである、あかしゆかさんの言葉だ。
彼女は日々心を動かしながら自分と向き合い、時に偶然に身をまかせ 人生を紡ぎながら言葉を綴る。 彼女の言葉は、等身大の彼女だからこそ書けた言葉だった。 彼女の原点から伝えるとはどういうことなのかについて考える。


「言葉を書くことは、誰かにわかってほしい、伝えたいという祈りだ」
そういった彼女はまっすぐに言葉と向き合ってきた。
彼女とは、サイボウズという会社のブランディング部で企画編集を経験したのち、フリーの編集者/ライターとして活躍しているあかしゆかさん(30)だ。

【プロフィール】 1992年生まれ。 京都出身。 2015年サイボウズに入社し、サイボウズ式編集部での経験を経て、フリーになり編集者/ライターとして活躍中。


彼女の言葉や文章には、ずっと触れていたいと思わせる力がある。なぜこんなにも彼女の言葉に心を動かされるのだろうか。

彼女のブログの中に、村上春樹の小説の一説にある青の表現に感銘を受けたことが書かれていた。それを受け、彼女が綴った言葉があった。

「人はみんな、自分の目を通して世の中を見ている。青という表現が表す色の種類みたいに、70億人の人間が存在すれば70億通りの『世の中の見え方』がある。(中略)ことばを知ることで、見える色や、世界は変わる。(中略)目じゃなくて私たちは『ことば』で世界を見ている。そうだよなあ。目はことばであり、心なんだよなー」

彼女は、私たちが心の奥底で感じていたけど言葉にできなかったことの代弁者だ。
細やかに丁寧に生きていないと溢れてこないであろう言葉の数々。1つのブログの中に優しく濃厚なストーリーが紡がれている。

わたしたちは毎日何かしら言葉や文章と対峙している。家族、友達、同僚、上司、本、誰かのブログの言葉。そこでの言葉が自分の人生を変えるきっかけをくれることもあるだろう。それと同時に言葉の難しさ、伝えることの難しさにも直面する。意図したことが伝わらない、伝えたいことがあるのに伝わらない。そんな歯痒さを感じたことがある人も多いのではないだろうか。筆者もそのうちの一人だ。
筆者は人と話すのが苦手で繊細で、いつもどこか自分に不安だった。
たくさんの彼女の言葉に癒されてきたのだが、とあるブログの中に印象に残っている言葉がある。

「『できる』ことばかりに目を向けがちだけれど、きっと、『できる』ことも『できない』ことも能力であり、その能力に良し悪しはまったくないんだなあ、ということを思う」
彼女は「できないことにこそ宿る能力がある」ということを言っていた。彼女が伝えたかったことと、筆者が感じ取ったことに齟齬があるかもしれないが、できないことに対して、その自分に対してマイナスに思っていた筆者は、彼女の言葉に救われた。彼女から湧きあがる言葉の原点を見つめ、伝えるとはどういうことなのかについて考えていきたい。

本屋でのアルバイトが編集者やライターへの道に進むきっかけに

2014年、就職活動真っただ中。
面接で何をしたいと聞かれると、たとえそこがIT企業であっても「本を作りたいです」と取り繕うことなく答えた。「バカ正直だったんですよね」と彼女は当時を振り返る。

小学生の頃から本を読み漁っていたかというとそうではなかった。当時はダレンシャンや伊坂幸太郎、恩田陸などの流行りの本を月1冊読む程度だった。読む本が大きく変わったのが、20歳になり自由を手に入れたとき。
20歳になるまでは門限やバイト禁止など、母親が厳しかったが、20歳になると自由に生きなさいと母親の中でもけじめだったのだろう、突然自由を手にした。最初はそれに戸惑ったが、たまたま出会った本の中に自由な生き方をしている魅力的な大人がいて、自由に生きていいのだと、ブロックが外れた。
そして大学2回生の時に、地元である京都の本屋でアルバイトをすることになる。でも、面接を受けた理由は「本が好きだったから」ではなく、「エプロンが可愛かったから」。
けれど、本屋でアルバイトをするようになり、店長がセレクトした本棚の魅力に取り憑かれ、次第に将来はおのずと本に関わるような仕事がしたいと思うようになる。
就職活動をしていく中で、出版社が候補にあがるが、自分が好きな作家さんの本づくりに関わりたいと思っても、募集も少ない上に狭き門。
他の業界も見た方がいいと思っていたときに出会ったのがサイボウズだった。
サイボウズはITの会社であったが、そこにはサイボウズ式という編集部があった。企業の中での編集者という入口があることを知った。
そこから彼女のサイボウズでの奮闘がスタートしたのである。

大学時代本屋で働いているときに出会い、 何度も何度も読んだという本。
弱さや不完全さがあってもいいんだと、気づかせてくれた。

肩書きありきでなく「あかしゆか」という個人としてみてほしい

入社してまずはマーケティング部に所属した後、念願叶ってサイボウズ式編集部へ。そこで先輩から編集のいろはを手取り足取り教えてもらった。
そんな中オウンドメディアの編集者同士の集まりに連れて行ってもらう機会があった。
サイボウズ式はオウンドメディアとして名を広く知られていたのだが、まだ入社2年目の彼女のことを当たり前だが誰も知らない。そのうえほとんどが経験者ばかりで話も合わない。
「サイボウズ式の編集者ですと言うと、みんなあのサイボウズ式さんの!って言うけど、誰も私自身には興味がないんです」
悔しさがにじんだ。
発信力をつけるためにTwitterやnoteにことばを綴り始めた。

しゃべるのが苦手。
自分を開示できる場所がないから言葉を書いた。

あかしさんにインタビューをし、いろいろと話をさせてもらったが、しゃべるのが苦手という言葉はとても不釣り合いのように感じた。意外ですと率直に伝えると、「意外って言われます」と笑う。
しゃべることへの苦手意識は幼少期のころからだという。特に彼女にとって大切なパートナーや母親に、例えばコンプレックスなどのすごく個人的なことを話すのが苦手だという。
「三姉妹の真ん中で、お姉ちゃんだから我慢しなさい、妹だから我慢しなさいって。愛情の取り合いみたいになっていたのかな。だから私が我慢したらいいと思う癖がついた」
両親からの愛情はあっても、自分がどうあるべきなのか敏感に子供ながらに察知できてしまうタイプだったのだろう。それがのちの彼女の編集者としての仕事ぶりにも通ずる部分があるように思う。自分の感情や思いを話して誰かに受け止めてもらうのではなく、自分だけの居場所をつくり、思いの丈を開放できる場所が必要だったのだ。

自分の気持ちは置いてきぼりに 会社に行けなくなった。

「本当に、ガラガラガラと音を立てて、今まで積み上げてきた自分の生き方が、崩れ落ちていくことがわかった。涙が止まらなくなって、会社に行けなくなった。自分自身のことが大嫌いになった。周りの人のことを愛せなくなった。周囲にいる、純粋に生きている人のことが、憎くて憎くて、羨ましくて仕方なかった。正直なところ、26歳から1年半くらいにかけての私の精神状態は、ちょっと周りが心配するほどに、グラグラと揺らいでいた。」

彼女のブログにあった言葉だ。
当時の彼女は、サイボウズ式編集部での企画編集とあわせて複業(サイボウズでは副業のことを複業という)もやり始めるようになっていた。
編集者になりたかったからそのことが嬉しくて、くる仕事はなんでも受け、全力で向き合ってきたのだが、コップの水があふれるみたいに、限界がきた。それ以前にすでに限界寸前のところまできていたのだろう。
彼女は何でもうまくできてしまうし、求められればそれ以上にして返す。自分の思いはそっちのけでどんどん自分を差し出してしまっていたのだ。それは誰もができることではない。誠実に向き合ってきた証であり、少し遠回りをしてしまったのかもしれないが、だからこそ自分への違和感に気づくことができたように思う。そこから自分と向き合い、徐々に自分を認めてあげることができるようになっていった。

ピュアな部分を守りぬく力

彼女の編集者としての技量を感じるのが、主観と客観のバランスだ。
サイボウズ式編集部で企画編集した「会社員が個人の力を身につけるには?」の連載は共感したビジネスパーソンも多いように思う。会社に所属しながら多方面で活躍している方々へのインタビューを通して、個人の力を身につけるヒントをもらえる。
彼女もそのテーマに興味があったことはもちろん、世の中の興味といい具合にすり合わせた企画だった。ちょうどその頃、働き方改革が注目され始めたタイミングで、企業に属す個人から企業に属さない個人へと潮目が変わりつつあった。
彼女は本の編集企画もしているが、何のためにその本を作るのか、「目的」を見失わないことが大切だという。商業出版の場合は、売れる本でないといけない。でも、自分自身が本気で作りたいのかという気持ちも蔑ろにはできない。様々なピースがかちっとはまって初めて本ができる。
その難しさを理解しているからこそ、自分の純粋な気持ちだけを大切にしたモノづくりもしたくなるという。
「今はプライベートで実家の写真集を作ろうとしています。これは純粋に自分の中から出てきているものだけで作っている。」
自分だけの純粋な思いから端を発したモノづくりには、それへの思いが尋常じゃなく詰まっている。誰かの心を動かすものになるにちがいない。

あかしさんが編集企画に携わった本。 本を1冊作るのに2~3年を要する。
例えて言うならWeb記事は短距離走で本は長距離走。使う筋肉が全然違うという。


言葉の向き合い方の変化

筆者は彼女をとても繊細で心が豊かな人だと思っている。彼女の選ぶ言葉や綴られる心の機微からそう感じていた。
繊細ですね?と聞くと、少し考えるように「繊細…だと思います」
「でも昔ほど繊細ではなくなった。」と答えた。
「相手が悲しいことは自分も100悲しかったんです。感情を引きずってしまって、でもそれをしていたら生きていけないと年を重ねていくごとに思うようになった。」
彼女は離婚を経験している。繊細さはパートナーシップにも影響を与えた。
文章を書くことにおいて繊細さはとても大事なことだが、パートナーや誰かと生きる上でその繊細さは本当に難しいと、彼女は感じていた。
繊細さとの付き合いを模索していく中で気づいたことがある。
「大事な人と生きることと、言葉を書き続けること、どっちが大事なのかと考えたときに、私の場合は誰かと生きる方が大事だと明確に感じた」

彼女は書く必要があったから、伝えたい、誰かにわかってほしいと切実な思いで書いていた。
だが今は少し言葉との向き合い方が変わりつつあるのかもしれない。
生きるために言葉を書くことで満たされないものを埋めていたが、今彼女の中で言葉はもう少し開放され、新たな意味を持ちつつあるのではないかと思った。
そう思えたことがまた彼女を次のステージへと昇華させていくのだろう。
彼女は彼女なりの「書く」を続けていく。そんな意志を感じた。

偶然に身をまかせて 本屋aru.ができるまで

2021年4月、彼女は瀬戸内海を見渡せる自然に囲まれた場所、児島で本屋を始めた。岡山駅から電車とバスで1時間ほど、間近に見える海を背にして、坂を登ったところにある一軒家。
その名前はaru.(アル)という。aru.を作るきっかけをくれたのは、岡山の児島でDENIM HOSTEL floatを運営している山脇耀平さん(30)とその弟の島田舜介(28)さんだ。
2人はデニムをこよなく愛し、デニムの作り手やその魅力を発信し、デニムの製造を行いながら、全国各地をキャンピングカーで旅した。通称「デニム兄弟」。現在は児島でデニムを基調としたホステル・アパレル・カフェの複合施設を運営している。

DENIM HOSTEL floatを運営している 山脇耀平さん(右)とその弟の島田舜介さん(左)

それはちょうど2020年、彼女がサイボウズを辞めてフリーになり、またパートナーとの別れを経験した激動のタイミングであった。
そんなとき親交のあったデニム兄弟から2週間くらい岡山に来てみたらどうかと誘いを受け、岡山での暮らしが始まる。瀬戸内海の雄大な景色や2人の優しさに触れ、ここでの暮らしが心地いいと感じていた。
彼女とデニム兄弟の出会いは、2017年にデニム兄弟からの「会いませんか?」とメッセージを送ったところからスタートした。
島田さんがSNSで彼女を見つけ、「面白い子がいるから会ってきて」といい、山脇さんが連絡し、会うことになったのだ。当時彼女はサイボウズで奮闘していた時だった。

あかしさんの親友の山脇耀平さんにお話を聞いた。 あかしさんとは同い年。 ライフステージが同じため、これから直面する物事にともに向き合っていきたいと話す。 まさに大きな家族のようだ。

滞在も中盤にさしかかったころ、突然2人から「物件余ってるしなんかやろう!」と提案される。すぐそのあとには「本屋やりたい!」と答えていた。
なぜ彼女に児島の地で何かやろうと声をかけたのだろうか。
「フリーになって働き方も縛られない。あかしさんが定期的に来ようかなと言っていたこともあり、何か来るきっかけや理由になるならと軽い気持ちで言った、ノリで言った部分もあったと思う」と山脇さんは言う。
彼らと彼女を結びつけているものは何かと聞いたとき、「究極的にはこの岡山の空気感が好きということなのかもしれない。土地の空気感、そこに集まる人、同じ好きが繋がっている理由なのかもしれない。」
たとえその場のノリで軽く言ったことだったにしろ、この地で時間をともにしていくなかでできた確かな繋がりの証のように思えた。
そこから彼女とは家族みたいな関係になっていく。

あかしさんと山脇さん。
キャンピングカーを図書室みたいにし、本にまつわるイベントをしていた。


aru.店内。 あかしさんがセレクトした本が並ぶ。 オンラインでは「海から届く」という名前で選書サービスを実施。おすすめの古本1冊を届けている。

彼女はaru.で何をしたいと明確にあったわけではない。いろんな偶然が必然となった。
何でも受け止めるよと優しく包み込んでくれるような広大な海を前に、本と向き合うことができる場所の体験こそ、彼女が伝えたいもののような気がした。

これからの伝える形

「自分の伝えたいことを誰かの前に『置く』。伝えたいしわかってほしい気持ちはあったけど、読んでーってするのは苦手だった」
「置く」ということは相手にそれを取るか取らないかゆだねるということだ。そのスタンスでいることが読者である私たちとの心地いい関係性を築くことにつながっている気がする。
今は多くの人に届けたいが前よりなくなったという。置いたものが、その大切なものが勝手に知らない人によって望まない形になってしまうのは耐え難い。それならと最近はinstagramも非公開アカウントにし、noteも定期購読にしている。
「ちゃんと知りたいと思ってもらえる人に知ってもらえたらいいや、と思っています」
伝えるとはつながることだ。読む人にも読むなりの責任、受け止める力が必要だと思った。

一方で誰かの本を企画編集するなどにおいては、多くの人に届けたい。
大事なことは、本当にいいと思っているものを作る。自分にうそがないか、そこを問われているような気がした。

あかしゆかさんを通して考える、「伝える」とは

わたしたちが伝えたいことがあるのに伝わらないと感じることはなぜなのだろうか。
それは「さらけ出す覚悟」がないからなのかもしれない。
彼女は等身大だった。よく見せようとするのではなく、ありのままでい続けた。
自分と丁寧に向き合い、日々の些細なことにも心を動かし続けた。
だからこそ私たちは彼女の言葉に魅了され続けるのだろう。

山脇さんはこう言っていた。
「白黒はっきりしたものの言い方をしないし、断定的な言い方をしない。それでいて何かを言い続ける。バランスが難しいはずなのにすごいなと思う。」
彼女の言葉を届けるうえでのスタンスにも通じる。

以前彼女のブログで読んだ言葉だ。

「白か黒で判断をしてしまうことは、コンテンツを見るひとりの消費者として、絶対にしたくないなと思った。また、これからコンテンツを作るひとりの生産者としても、白か黒を決めきってしまうような描き方はしたくないなと思った。
相手への敬意を持ち、『思いやりを込めて』描かれているものを、見たい。そして、作りたい──それは、何事においてもそうだなと思う。」

これが彼女の根底にあるからこそ、彼女を通して触れるものに信頼と尊敬をもって接することができているのだろうと感じた。
自分をさらけ出してありのままでいること、そして思いやりをもっていること、伝えるとはそういうことなのではないだろうか。
包み隠さずさらけ出すことは、とても勇気がいることだ。
まずは少しでもいい。その壁を取っ払った時、他者と深いところでつながることができるのではないかと思う。
時にその伝える形は変化していく。まずは自分にとって正直であること。
彼女の「伝える」を通して、そんなことを教えてもらった。

あかしゆかさんの人生が続く限り、私たちは彼女の祈りのような言葉を求め続けるのだろうと思う。


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