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入院日記 2

12月15日(木)
 まどろみから覚める。窓がないので時間がわからない。ドアの向こうに見えるナースステーションの窓が明るくなっているのを見て、今が朝なのだということに気づく。腕の痛みは続いている。G医師が来る。「順調におしっこ出ているな」と笑顔で話す。ようやく腕のナワがはずされる。右腕で左腕をかかえ、身体に引き寄せる。ほとんど感覚がなく、ぎしぎしと筋が鳴る。少しずつ動かすと、血が通い始め、痛みがやわらいでいった。身体を動かせるとは、なんとすばらしいことか、と思う。そのまま朝食。
 11時すぎ、集中治療室を出て、もとの病室へ。雪景色がまぶしい。病棟の看護師にねぎらいの言葉を次々にかけられ、少し気恥ずかしい。夕方、パートナーが来る。疲れたような顔つき。この数日のことを思えば当然のことだろう。 
 夜、看護師に手伝ってもらい、三日ぶりに歯磨き、洗顔をし、少しさっぱりとした気分になる。これでべとついた髪を洗えればうれしいのだが。消灯後はまる二日寝ていないので、すぐに眠りに落ちた。

12月16日(金)
 目覚めてすぐ手の甲を見る。むくみはないのを確認して安心する。以降、これが毎朝の習慣となる。左腕はまだ痛い。だが夕べゆっくりと眠れたこともあり、気分はよい。二日分の寝不足のせいで、何度もまどろんだが。テレビのニュースで「よい週末を」の言葉を耳にして、今日が金曜であることを知る。時間の感覚がおかしくなっている。尿がすぐに膀胱にたまり、頻繁に尿を出す。用を足したあとの尿器の重さがうれしい。一日、ゆったりとベッドで過ごす。

12月17日(土)
 起床、手の甲チェック、排尿、いつものごとく。G医師が来て、痛みの残る腕を診る。どうやら針が動脈と静脈をいっしょにつらぬいてからみあい、動脈血と静脈血がまざりあっている状態になっているという。また患部がベルトで圧迫される。先日の痛みがまた腕によみがえる。朝、右手の点滴がぬかれ、車椅子に乗り移れると思っていた矢先のことに、少しへこむ。それにしても予定外のトラブルの多い身体に、我ながらうんざりする。午後、パートナーが来る。買ってきてもらったインスタントコーヒーがしみじみうまい。テレビを見たり、話をしたりして腕の痛みをまぎらわせる。夕方になると、少しだけ痛みがやわらいできた。

12月18日(日)
 いつも通り起床。尿順調、むくみなし。腕の痛みはかなりおさまってきたが、午前中のG医師の見立てでは、血管はまだからまっているという。ベルト継続。しかたなし。昼近くにパートナー、両親、弟が、午後になるとパートナーの両親がきて、ベッドのまわりがにぎやかになる。自分にはこんなに家族がいるのだな、と素朴なうれしさがわいてくる。検査のこと、外の雪のことが話題にのぼる。雪はきが大変だ、と皆口々に言うが、全く冬を体感していないので、どこか遠い世界の話を聞いている気分になる。パートナーひとりが残ってからは、コーヒーで一服。あとはのんびりと。腕の無事を祈りながら、その日はすぎる。

12月19日(月)
 朝食後、G医師が超音波エコーで腕を診る。やはり血管のからまりはとれていない。切開して血管を離す処置を受けることが決まる。エコーを見ていた心臓血管外科の医師が担当してくれることに。「血管の名人だから心配するなよ」G医師がなぜか耳打ち気味に言った。
 昼近くに処置の説明に立ち会うため母が来院。まもなく処置開始の連絡を受ける。手術室かと思ったら、血管外科外来の処置室に案内された。少し拍子抜け、安心する。ベッドにねると、痛み止めの注射を打たれる。間もなく感覚がなくなる。できるだけ頭を空っぽにして天井を向くが、ときおり視界のすみにメスやハサミがかすめる。しばしばタコ糸のようなものも見える。事前の説明のとおり、これでやぶれた血管をしばるのだろう。時々痛み止めの効き目がなくなり、電流を流されたような痛みが腕を走るのがこわかった。そのたびに裏返った声でうったえ、痛み止めを足してもらう。それにしても手際がいい。手の動きの迷いがないのはよくは見ていなくてもわかる。
 予定時間の一時間後、処置が終わる。これでとりあえずやらねばならないことは終わったな、と母と笑い合う。G医師がきて、27日に腎臓の働きを見るレノグラム検査をやり、そのあとの28日に退院しよう、ということが告げられる。正月には帰っていい、という言葉に、つい笑いが顔に浮かんだ。また、病棟内なら車椅子で動いていいことも言われる。これもうれしい。退院の期日をたしかめるため改めてカレンダーを見ると、入院から十日すぎたことに気づく。まだ十日なのか。もう一月も前のことのように感じられる。

12月20日(火)
 朝一の排尿を、車椅子でトイレに行ってする。左腕は縫合したあとがつっぱる感じがある、またむくみもあるが、なんとか車椅子は動かせる。久しぶりにこぐ車椅子は、よちよち歩きの赤ちゃんみたいだが、晴れやかな気分。午後になってから、病棟のデイルームに出向いてみる。コーヒーを飲みながら、週刊誌などをながめ一時間ほど過ごす。至福の時間。車椅子のアームレストをなで、窓の外の雪景色を眺めながら、ここまでこれたなあ、と思う。

12月21日(水)~23日(金)
 少しずつ身体を動かす日々。尿は順調、腕も少しずつ動くようになってくる。ただ血圧の結果には一喜一憂。昼食後のコーヒーが楽しみとなる。病棟を出ていい許可が出てからは、売店まで行き週刊誌や雑誌を買い、喫茶室でコーヒーを飲みながら読むこともしてみるようになる。22日の深夜、隣にいた初老の患者の容態が急変し、どこかへと運ばれていった。翌朝、空になったベッドに目を引き寄せられる。
 ひさしぶりに本も読みはじめる。身体がよくないときは、本を読む心地にもなれなかったのだ。佐伯一麦の初期作品集「ショート・サーキット」。最近の作品とは違う、あかむけの皮膚がひりつくような文体に驚く。ともすれば崩れそうな現状を、それでも生き抜く主人公の姿に、生きるというのは難いことだと、今の自分につい重ねてしまい、涙のにじむ思うがした。23日から三日間、パートナーがパソコンボランティアの研修のために来るのが少し遅くなる。
 
12月24日(土)
 クリスマスイブ。だがいつもの同じように過ごす。パートナーの吹奏楽仲間であるAさんが見舞いに来てくれる。血液がさらさらになるようにと黒豆茶をいただいた。夕方近くになると、今度は職場の同僚であるAちゃんが来てくれる。ほぼ五分後、パートナーも来たのでにぎやかに話す。見舞いにとチーズとチョコのミニカップケーキをいただく。入院してから甘党になったと聞いたから、と。ありがたい。夕食がきて驚く。チキンロースト、オニオンスープのパイ包み、サフランライス、チョコムースというクリスマスメニュー。いつも食事についてくるカロリー表を見ると、いつものメニューのほぼ倍のカロリー。そういえば前日の夕食から、おかずが精進料理みたいに質素だった。このメニューのカロリーと帳尻を合わせるためだったんだな、と納得。美味しくいただく。

12月25日(日)
 10時すぎ、職場の直接の上司が見舞いに来る。自分が担当していた記念誌が、予定より校了が遅れ、今から印刷だという話を聞き驚く。入院前には直しもなく下版するばかりという話だったのに。すみませんがお願いします、と心からお願いする。昼近く、両親が来てコーヒーを付き合わせる。売店に寄ったとき、課長と出会い驚く。部屋にいなかったのでずっと病院内をさがしていたとのこと。すっかり恐縮。部屋に案内しようとしたが、顔色の良さに安心したから、とその場で立ち去っていった。夕方近く、三日間の研修を終えたパートナーが来る。記憶が鮮明なうちにと、職場に出す報告書の下書きを書いていた。

12月26日(月)
 この日より、次の日の検査に伴って尿量を計ることになる。トイレにわきに金具で吊り下げられた目盛りつきのビニール袋に尿をためていく。最終的に一日で2リットル近くになった尿に、こんなに大量の水が身体から出るものか、と我ながらあきれる。午後、病院の美容室で髪を切る。頭が軽くなり、晴れやかな気分になる。鏡をのぞきながら、ようやく外に出てもいい顔に戻ってきたかな、と思う。

12月27日(火)
 本日誕生日。だが検査にそなえて朝食ぬきの朝をむかえる。10時すぎ、レノグラム検査を受ける。CTのような機械の下にねそべり、少量の造影剤を注射し、腎機能を調べる。数え切れないほどの注射もこれがとりあえず最後。痛いのに変わりはないが。30分ほどで終了。検査担当の医師より、誕生日なんですね、おめでとうといわれる。診察表を見て気づいたらしい。三十代はじめての誕生祝いはお医者さんからか、と苦笑。ともかく今回のおつとめはこれで終了。ほどなく昼食の時間。空腹に飯をつめこむ。
 夕方、G医師が来て検査の結果、腎臓はちゃんと動いていると、予定通り明日退院と告げられる。その時はあまり実感はわかなかったが、夜になってからなんとなくそわそわし始め、実家に電話したり、デイルームと病室を意味もなく往復したりする。遠足前夜の小学生のような気分。

12月28日(水)
 退院の日。だが退院する時刻は午後四時なのでいつも通りすごすつもりだったが、向かいにいた患者もこの日の午前中退院で、身の回りの片付けをはじめているのを見て、こちらもなんとなく荷物に手をつけはじめる。思ったより本腰が入り、一時間ちょっとであらかた片付けは終わってしまった。昼食後、母が来て、共にG医師より現況の説明を受ける。腎臓は動いているが、半年から八ヶ月の間に再度つなぎ目の狭窄が起こる可能性が10~15%、それまでは経過を注意深く見なければ、とのこと。半年以上の執行猶予か、と、ネガフィルムにやきつけられた自分の腎臓を祈りに似た思いで見つめる。
 病室に戻ると、先日夜中に急変してどこかへ運ばれていった患者が戻ってきた。酸素のチューブが鼻から伸びていたがしっかりした口ぶりで看護師と話している。その姿になんとなく泣いてしまいそうな思いになった。
 午後四時。パートナーと母と共に退院。20日ぶりの外の空気は、晩秋から真冬のものへと変わっていた。

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