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いのちの削ぎ落とし

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短編、掌編小説など。
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#連載小説

掌編「カッシアリタ」 春の歌

掌編「カッシアリタ」 春の歌

 電線が幾本も走る窓から、春の日差しが差し込んできていた。やわらかい毛布みたいな光だ、とリタはずっと待ち望んでいた陽を、あぐらをかいた姿勢で全身に受けた。
 あったかい。
 ついつぶやいてからふと思い立ち、着ていたクリーム色のパーカーとTシャツ、膝が擦り切れはじめたジーンズを脱ぐ。下着も取ろうか、と思ったが、まださすがにそこまでやるには寒そうなのでやめた。
 半裸のまま、床の上に大の字になる。胸元

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掌編「カッシアリタ」 イチカさんの幸せ

掌編「カッシアリタ」 イチカさんの幸せ

※勝手ながら投げ銭制を再開させていただきます。以前とおなじく全文読めます。

 あ、来たよ。
 リタが右手にある窓の向こうに首を伸ばし、手を振った。おれもつられてリタの視線を追う。黒いダウンジャケットに白のトレーナー、いい感じに着古したジーンズといった、ラフな姿のナカイさんが歩いてきている。事前に聞いていたように背が高く、浮かべた笑みは一見してひとの良さを感じさせる好青年だった。向こうもおれたちに

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掌編「カッシアリタ」 ーリター

掌編「カッシアリタ」 ーリター

 尿漏れシート、敷かないとなあ。
 汗ばんだTシャツを脱いでいると、リタがけだるい様子で押し入れを開けた。乱暴に包装を破いた八個セットのトイレットペーパー。ビニール紐で結んだ古雑誌。聴くこともなくなったCDを入れたボックス。冬に使うハロゲンヒーター。引き出しになにを入れたかさえ忘れたカラーボックス。必要なもの、半分ごみと化したものが、雑然と押し込まれている。
 そんななかに、寝たきりの年寄りが使う

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掌編「カッシアリタ」 それがあなたの幸せとしても

掌編「カッシアリタ」 それがあなたの幸せとしても

 ひと月前から、リタが働きはじめた。
 仕事についたきっかけは、おれの体調悪化。仕事と自己導尿で倦怠感が常にまとわりついているおれを見て、リタは突然、あたしも働く、と言い出した。
 具合の悪いあんたにだけ苦労させて、あたしばっかり楽してたからだね。気づくの遅れてごめん。
 リタは元来あまり体力がない。だから共に暮らして以来、必要以上に外に出ることなく過ごしてきた。だからからだは大丈夫なのか、と心配

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掌編「カッシアリタ」アケミとリタ

掌編「カッシアリタ」アケミとリタ

 やたら冷たい秋風のせいで、安ライターは何度こすっても火がつかなかった。
 あたしは煙草をくわえたまま舌打ちしつつ、ライターを持つ右手を左手で囲むようにしながら、さらにやすりを回した。それでもすき間から風が吹き抜け、どうしても火が消えてしまう。
 もう、ちくしょう。
 煙草をくわえた唇でもごもごと悪態をついていると、横からすっと手が伸びてきた。軽く指の曲げられた細い手は、あたしの両手を優しく包み込

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掌編「カッシアリタ」 逃げて

掌編「カッシアリタ」 逃げて

 本当に久しぶりだねえ。
 車いすの膝の上にお盆を乗せながら、マキははしゃいだ声を上げた。
 だな。突然悪かったね。
 ううん、来てくれて嬉しいよ。ありがとうね、わざわざお土産まで。
 マキはお盆からお茶と、おれの買ってきた栗ようかんをテーブルに置いた。安物のせいかようかんは思ったより小さく貧弱で、おれはひそかに肩をすぼめた。こじんまりとしてるけど、きれいに掃除、整理がされたバリアフリーのリビング

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掌編「カッシアリタ」 朝の人間観察

掌編「カッシアリタ」 朝の人間観察

 休日の朝の街にはまだ、昨夜の喧騒の余韻が残っていた。
 かすかに漂うアルコールの残り香。焼き魚や揚げ物の脂のにおい。道端に転がる煙草の吸い殻や紙くず、ビールの空き缶。例の疫病がとりあえず鳴りをひそめてから、あたしや男の住む街の繁華街も、少しずつだが夜の活気を取り戻していた。
 人通りのほとんどない道ばたに、あたしと男は車いすを並べ、ガードレールに背をあずけ、ぼんやりとたたずんでいた。今朝はよく晴

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掌編「カッシアリタ」 祈り

掌編「カッシアリタ」 祈り

 膨れに膨れた薬袋を携えて病院から帰った後、くたびれ果て、床に溶けるみたいに眠った。西日に瞼を突き刺さされて目覚めると、部屋にリタの姿はなかった。
 トイレにでもいるのか、とドアをノックしたが返事がない。リタの室内用車いすはからっぽ。よくよく見ると外出用の車いすもなくなっている。
 携帯に電話してみる。すると近くから耳に馴染んだ曲が流れてきた。
 リタが少し前に動画サイトで見つけた「鹿のように」と

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掌編「カッシアリタ」 死の淵

掌編「カッシアリタ」 死の淵

※この記事は投げ銭制です。全文読めます。
※これまでの話をマガジンにまとめています。よろしければあわせてどうぞ。



 今、あたしは男の首を締めつけている。
 裸の男に馬乗りになり、両手を首にかけている。指がぎりぎりと頸動脈に食い込む。男の喉からきしついた声が漏れている。苦し気だが、抗う様子は一切ない。両腕はだらりと床に伸びたまま。身じろぎしてあたしを振り落とそうともしない。
 

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小説「わたしのともだち」6(全6話)

小説「わたしのともだち」6(全6話)

 体育館が騒がしくなっているのに気づき、由紀は顔を上げた。
 いつの間にか友香里の他に女の子たちが五人、集まってきていた。由紀とおなじように車いすに乗っている女の子もいた。ベリーショートの髪型がよく似合っている。背もたれは赤いチェック柄で、両側のサイドガードにはコカ・コーラやペプシ、ルート66、ニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・レイカーズなどのステッカーがたくさん貼られていた。
 友香里たち

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小説「わたしのともだち」5(全6話)

小説「わたしのともだち」5(全6話)

 一年前、千鶴の姉に長女が誕生した。
 早く子どもが欲しいと、結婚当初から願っていた姉夫婦にとっては待望の第一子、千鶴の両親にとっても待ちかねた初孫だった。
 千鶴がその子にはじめて会ったのは、生まれてから三日目のことだった。仕事が忙しく、平日は会いに行けなかったのだ。土曜の休日、可愛いぞお、とにやける父の車に乗って会いに出かけた。母と叔母は千鶴たちよりも先に病院に向かっていた。
 病室のドアを開

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小説「わたしのともだち」4(全6話)

小説「わたしのともだち」4(全6話)

 千鶴と友香里は、幼馴染だ。
 元々母親同士が中学からの親友で、結婚したのもほぼ同時期だったという。家もどうせならと、近所になるように求めたらしい。
 友香里はその家の長女として誕生した。千鶴が五歳の時だった。
 千鶴のきょうだいは二歳年上の姉だけだったので、妹ができたみたいですごく嬉しかった。幼稚園から帰るとすぐ友香里の家に遊びに行き、友香里と遊ぶのが習慣になった。友香里の母親も、お姉ちゃんがき

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小説「わたしのともだち」3(全6話)

小説「わたしのともだち」3(全6話)

「ねえ、由紀ちゃん」
 弾むボールの音に紛れ、千鶴が言った。
「ん?」
「変なこと、訊いていい?」
「なに?」
「友香里ちゃんみたいな人って、これから良くなったりとか、しないのかな? もうずっと、あのまま、なのかな? 少しずつでも治ったりしたりとか、ないのかな?」
 ひと言ひと言を区切るように、千鶴は由紀に問いかけてきた。
 予想もしなかった質問に、由紀は眉をひそめて千鶴を振り返った。切羽詰まった

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小説「わたしのともだち」2(全6話)

小説「わたしのともだち」2(全6話)

 出入り口付近に据えられたテレビの前で、数人が二時間サスペンスの再放送を観ていた。性別も年齢もばらばらだ。電動車いすに乗った初老の男性がテレビの真ん前に陣取っていたが、ほぼ居眠り状態だった。
 千鶴がそっと出入り口に歩み寄りかけた時、彼女に気づいた女の子が椅子から立ち上がり、こちらに近づいてきた。まわりの人の視線が一斉に集まった。
「千鶴ちゃあん」
 女の子は食堂から飛び出してくると、はなやいだ笑

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