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台詞のできる瞬間、迷惑……-㉛

 三谷幸喜の「NHK 大河ドラマ」は、やはり面白い。キャスティングもそうなのだが、役者の方々の演技を見ていて、沢山の気づきを与えてくれる。出演者のみなさん、リアルな舞台を積み重ねて沢山の実力を付けて来たな、と感心させられる演技が随所にうかがえた。舞台の役者の力は、まずは感情を表現する型の引き出しをどれだけ沢山持っているかだ、と思う。そこをベースに、その人の人間性で、表現にプラスアルファを加える。
 ただし、大泉洋は例外だ。演技力と言うより、存在だけで味がある。三谷幸喜のキャスティングの「妙」である。
 出演している役者を一人一人取り上げて批評するのは、また別の機会にしないと、収拾がつかなくなるので、一旦中止。
 で、今回は小説を書く上で欠かせない、会話について書きたい。
 小説の「要」の一つは、登場人物たちの会話である。人と人とのかかわり方を会話によって表現していくわけだが、問題は、その内容。そこに、作り手としての魅力、個性が発揮される。
『いい会話』ができると、人に伝えたくなる。

「こんなのができたんだけど、どう?」

 と、人に見せたくなり、話したくなる。私の場合、それが早朝になることが多い。で、いい会話のアイデアが浮かぶと、Lineとかメッセンジャーとかメールとか、早朝にもかかわらず相手に送信してしまう。
 自分の場合、これらのツールには「着信のチャイム」のような通知の設定をしていない。だから着信があろうがなかろうが、無音のままなのだ。しかし、相手によっては、「着信アラーム」のような「通知設定」をしている人がいるだろうことを、全く気にせずに送る。すると、送信したとたんにいきなり、怒りのメールやLineやメッセージが返ってくる。
 どうして、相手は怒りの返信になるのか、最初はわからなかった。自分は、着信用のチャイムは設定してないから。みんなが、そうしていると思っているから。
 逆に世の中の大半の人は、「着信の音通知」を設定しているから、早朝から「キンコン、キンコン」と音がするわけだ。そりゃあ、常識のある人から見れば、非常に迷惑なことだろうと最近、気付いた。いや、正確には以前から気付いていたが、自分自身に気付かないフリをしていた。
 それを最近、知り合ってまだ四ヶ月の、しかも、お茶の先生にしてしまった。当然、感情の抑えの効いていない返信が返ってきた。その怒りの感情露わな返信に、私はびっくりした。
『どうして、この人、機嫌が悪いんだろう?』
 と。失敗してしまった。
 他人も、自分と同じようにしていると、私が勘違いしていた結果なのだが……。
 そんなことで、私の場合、小説の「いい会話文」、もしくは「いい台詞」が思い浮かぶと「知人に教えたくなる癖」には、慎重に動作を起こそうとつい最近、再確認したのでした。
 お茶の先生、早朝に失礼しました。

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