今でもやっぱりよくわからない、音楽のこと

子どもの頃、本を読むことはあっても、音楽を聴くことはあまりなかった。習い事の定番として、ピアノ教室に通ったこともなかった。

「音楽を聴く」という習慣が、生活の中になかったのかもれない。

だからだろうか、学校で友達が前日に観たテレビの歌番組の曲について盛り上がっていても、話に入れたことがほとんどなかった。
「あのバンドかっこいいよねー!」とどれだけ熱く語られても、うまく話にのることができなかった。

その結果、音楽の楽しみ方はほとんど知らないまま育った。それで別に、困らなかったのだろう。厳密には友達と共通の話題がないという困りごとはあったけれど、それ以上に、音楽はわからなかった。わからないものをずっと聴いていることのほうが、苦痛だったのかもしれない。

音楽はわからないから、音楽を聴いて楽しむことは諦めていた。

中学生の頃、友達に「カラオケに行こう」と誘われた。当時、友達と遊ぶ手段として、カラオケはそこそこメジャーだった。
けれど私は、カラオケに行ったことがそもそもなかった。加えて、カラオケで歌える曲はおろか、知っている曲がほとんどなかった。せいぜい、スーパーやコンビニで流れている曲を聞いたことがあるくらいで、歌手の名前も曲名も、ろくに知らなかった。

見かねた友達が、自分の好きな曲を教えてくれて、友達の家で一緒に聞いて、歌う練習をした。
教えてもらった曲のうち、1曲くらいはぎりぎり歌えるかもしれない、くらいになった段階で、件のカラオケは実行された。

結果は、惨憺たるものだった。

友達はみんな、歌がうまかった。
自分がぎりぎり歌えると思っていたのは、まやかしにすぎなかった。実際に歌った私の歌は、リズム感はなく原曲よりも早すぎたし、音程は外れていた。

それ以来、私はカラオケが嫌いになった。カラオケで人前で歌うということを極力避けるようになった。もう二度とカラオケで歌うもんか、と心に誓った。

それと同時に、わからないと思っていた音楽に、「苦手」という要素が追加された。

私は、ますます音楽を避けるようになった。

そんな私に、二度の転機が訪れる。

一度目の転機は、高校生のときに訪れた。
友人が演奏するピアノの発表会に呼ばれたときのことだった。

ふだん、学校でしか知らなかった友人の、まったく知らなかった一面を垣間見た気がした。
それくらい、舞台の上でピアノを弾く友人は、楽しそうだった。

衝撃だった。
私はそれまで、その友人がそんなに楽しそうなところを見たことがなかった。友人は、やさしい人だけれど、いつもどこか遠くを見ているようで、どこか心ここにあらずな儚い感じがする人だった。

その友人が、その日は、まるで違ってみえた。ピアノを弾く背中はとても楽しそうで、まるで今にも踊りだしそうだった。

そしてふと思った。この友人をここまで虜にする音楽とは、一体なんなのだろう、と。

それは、それまでわからないと思って諦めていた音楽が、気になりだした瞬間だった。

大学生になってから、少しずつまわりの友人たちにCDを借りたり、おすすめの曲を教えてもらって聴くようになった。いくつか聴いてみたし、好きだと思われる曲も多少は見つかったけれど、やっぱり音楽はよくわからなかった。

そもそも生活の中で音楽を聴くという習慣がなかったので、音楽を聴くときは音楽を聴く以外のことができなかった。BGMとして流すという習慣がないので、何かをやりながら音楽を聴く、ということができなかった。

ただ、困ったことに音楽を聴くという習慣がない人間がいきなり音楽を聴いても、どう楽しめばいいのか、よくわからなかった。何度も聴いているうちに好きだと思われる曲はいくつかできたけれど、それらを聴くことが楽しいのかは、よくわからなかった。

働きはじめてから2年目の冬、もう一つの転機が訪れた。
その年の年末に観た、紅白歌合戦だった。

テレビ初登場らしいその音楽家さんのライブに、私は釘付けになった。

目を奪われたなんてものではなかった。その圧倒的な歌唱力に、全身がぶわっと総毛だった。

あの瞬間、たしかに私はその人の虜になった。

それが、米津玄師さんだった。演奏が終わってしばらくしてからも、興奮が冷めなかった。

その年の冬から少しずつ、私は米津さんの曲を聴くようになった。

そんな私が、最近1枚のアルバムを買った。
人生ではじめて、ではおそらくないけれど、働きはじめて自分でお金を稼げるようになってからは、はじめて買ったCDだ。そしてたぶん、私自身がはじめて、「この人の曲をもっと聴きたい」と思って買ったCDだった。

それは、数年前の紅白で、私が虜になった米津玄師さんの出したアルバムだった。

そこに思い入れがあるのかはわからないけれど、そのアルバムの曲を、私は連日のように聴いている。加えて言うのであれば、以前にリリースされた曲もほぼ連日聴いている。

その人の曲の何が好きか、正直私はまだよくわかっていない。
よくわからないけれど、なぜだかその人の曲をずっと聴いていたい。
その人の曲の中でも、特に聴きたい曲をずっとエンドレスでリピートして聴いているような状態だった。ちょうど、好きな作家さんの書かれた小説を全部読んで、好きな作品を繰り返し読んでしまうような、そんな感じに近い。

以前、米津さんのインスタで「音楽は人の心に作用するもの」というフレーズを読んだ。
読んだ当時は、どういうことなのかいまいちよくわからなかった。

最近、米津さんの曲を通勤途中に聴きながら、よくこのフレーズを思い出す。

好きな曲を聴きながら職場に向かう足取りは、なんだかいつもより軽いような気がする。いつもよりちょっと、テンションが上がるような。
仕事からの帰り道で聴く曲は、疲れた身体に染み入ってくるような気がする。何度も聴いていると、なんだか少しずつ、聴いている曲に励まされるような気がする。

音楽の楽しみ方は、今でもやっぱりよくわからない。

よくわからないけれど、今はまだ、この人の曲を聴いていたい。
それだけで、十分な気がした。

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