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【トーク抜粋】芳賀直子✕かげはら史帆 バレエ・リュス、女性ファン、宝塚~『ニジンスキーは銀橋で踊らない』の舞台裏

2023年5月に刊行された小説『ニジンスキーは銀橋で踊らない』(河出書房新社)


本作に登場する20世紀の革命的バレエ・カンパニー「バレエ・リュス」やその周辺をめぐって、舞踊史研究家の芳賀直子さんとTwitterスペースでオンライントークをいたしました。
芳賀直子さんには、本作の原稿チェックをお願いし、刊行にあたってもたいへんお世話になりました。

90分にわたるトークを一部抜粋・再構成し、以下に掲載しました。
トークをぜんぶ聴きたい方は、こちらからぜひどうぞ(2023年7月21日頃まで公開予定)。

Twitterスペース「バレエ・リュス、女性ファン、宝塚~『ニジンスキーは銀橋で踊らない』」より(一部抜粋・再構成)


男性スターを観るバレエ──バレエ・リュス

(かげはら史帆)(以下かげはら)『ニジンスキーは銀橋で踊らない』は、主人公のロモラが、バレエ・リュスのダンサーであるワツラフ・ニジンスキーに強く魅了され、激しい混乱に陥るシーンから幕を開けます。
この小説ではじめてバレエ・リュスを知った方、あるいはまだ小説を読んでいないという方もいらっしゃると思います。バレエ・リュスとは何かということについて、あらためてご解説いただけますでしょうか。

(芳賀直子さん)(以下芳賀)バレエ・リュスは、1909年から29年の20年にわたって存続したバレエ団です。この間には第一次世界大戦や、「1920年代(ナインティ・トゥエンティーズ)」と呼ばれる、小説『グレート・ギャツビー』の時代が挟まるので、まさに激動の時代を生き延びたバレエ団といえます。セルジュ(セルゲイ)・ド・ディアギレフが創設し、彼が亡くなるとそのまま解散しました。

「バレエ・リュス(Ballets russes)」のリュスは、ロシアのことです。つまりバレエ・リュスとは、「ロシアのバレエ団」「ロシア・バレエ」という意味で、実は固有名詞ではありません。それにもかかわらず、長年、バレエ・リュスといえば「ディアギレフのバレエ・リュス」のことを意味してきました。これはとてもすごいことですよね。

バレエの中心はそれまで女性ダンサーでしたが、「男性スターを見るバレエ」を作ったのがディアギレフでした。バレエというと今日の私たちは「芸術」だと思うでしょう。でも、19世紀後半以降のパリでは、バレエといえば、男性が女性ダンサーを観に行ったり、恋人を探したり、自慢するために行く場でした。それが一変し、バレエ・リュスにおいては、一流の画家が美術を、クチュリエが衣装を、音楽家が音楽を手掛けるようになりました。今日、私たちが観ているバレエの直接の先祖がバレエ・リュスである、といってもいいでしょう。

芳賀直子さんの著書『バレエ・リュス その魅力のすべて』(国書刊行会)


女性ファンが多かったバレエ・リュス

(かげはら)バレエ・リュスは、女性のファンがたくさんいたところが興味深いです。

(芳賀)バレエ・リュスの登場によって、バレエは突然、社交界や芸術界の見逃せないイベントになりました。だからこそ、この小説の主人公であるロモラもアクセス可能だったわけです。

(かげはら)ココ・シャネルをはじめとする、パトロネス(女性のパトロン)もたくさんいたそうですね。

(芳賀)シャネルをバレエ・リュスに紹介したミシアという人も有名です。オルセー美術館で展覧会が開催されるほどの著名人で、フォーレに音楽を習い、ルノワールによって肖像画が残された、芸術家のミューズのような人でした。
彼女はバレエ・リュスが成立するより前の1908年、ディアギレフがプロデュースしたオペラの上演を観てファンになりました。ミシアは本当に「ファンの鑑(かがみ)」のような人で、空席のチケットをぜんぶ買い占めて、お友達に全部配っていたそうです。まさに正しいパトロネスよね(笑)

ルノワールが描いたミシア(1906年頃)

(かげはら)いまでいう「布教」ですね(笑)
実際にバレエ・リュスの演目を観ると、女性に人気があったのがわかるなあと思います。

(芳賀)バレエ・リュスの有名な作品のひとつに『薔薇の精』があります。薔薇の精は、それまで女の人が踊る役でした。でも、実際にニジンスキーの写真を見ると、なんの違和感もないですよね。ニジンスキーは空気にでも、音楽にでも、花にでも、妖精にでも、人間にでもなれたダンサーで、その魅力が女性の観客にアピールする部分は大きかったと思います。

時代的にも両性具有的な表現が受けていて、ニジンスキーと一緒に踊った女性ダンサーのイダ・ルビンシュテインも、胸がなくて、背が高くて、という両性具有的な人でした。そういう意味では性への感覚がすごく「今っぽい」。現代のようにLGBTという言葉もないなか、そうした表現を「男でも女でもないけど素敵」と、すごくフラットに受容していたのがこの時代でした。

『薔薇の精』を踊るニジンスキー(1911年)


「好きだったものが全部バレエ・リュスにある!」

(かげはら)芳賀さんのお話はこれまでzoom講座などを通して何度か聴かせていただきましたが、伺っていると、バレエ・リュスへの愛を強く感じます。芳賀さんご自身のバレエ・リュスとの出会いはどのようなものだったのでしょうか。

(芳賀)出会ったのは大学生の時です。短期間にいろいろな出会いがあり、それが私をバレエ・リュスに導いてくれました。
まず、青山学院大学の斜め前くらいにあったキノ青山という映画館で、ニジンスキーの娘のキラ・ニジンスキーとパトリック・デュポンが出演した『バラの刻印』という作品が上演されたこと。同じ頃、鎌倉のたらば書房という本屋さんで、市川雅さんが訳されたニジンスキーの手記を入手して読んだこと。それから、バレエ・ダンサーのジョルジュ・ドンが踊る『ニジンスキー 神の道化』を池袋の芸術劇場で観たこと。……

これらが立て続けに起きて、「これしかない!」と思い立ちました。そして実際にバレエ・リュスについて調べ始めたら、私が好きだった音楽家、文学者などが参加していると知って驚きました。ストラヴィンスキーの作曲家デビューがバレエ・リュスの作品だったなんて、最初に知ったときはウソかと思ったくらいで(笑)。だって学校でピカソやストラヴィンスキーについては習うけど、バレエという単語なんてひとつも出てこないじゃない。疑り深い人が研究者になるとはいいますけど、でも詳しく調べてみたらやっぱり本当で、自分の好きだったものが全部バレエ・リュスにある! と知り、「もうやだハマる~!この時代最高~~!」という感じでしたね。
 

バレエ・リュスが息づく少女漫画の世界

(かげはら)私がニジンスキーやバレエ・リュスに出会ったきっかけは、漫画でした。子どものお稽古ごととしてバレエを習ってはいたのですが、バレエ史に関心を持つきっかけはありませんでした。でも、90年代に昔の名作漫画が文庫でたくさん刊行されて、山岸凉子さんの『アラベスク』、有吉京子さんの『SWAN』『ニジンスキー寓話』などを読み、それでバレエの歴史を知りました。

『アラベスク』では、主要キャラクターのひとりであるミロノフ先生がライバルに対抗するために、わざと派手な跳躍やパ(動き)を除いて踊るパフォーマンスを行い、それを見たライバルが「その昔20世紀の天才といわれたニジンスキーがやったのと同じことを!」「なんという自信なんだ」と叫ぶくだりがあります。これが、私がはじめてニジンスキーなる人を知ったシーンだったと記憶しています。

山岸凉子『アラベスク』(上の表紙はKADOKAWA版

(芳賀)漫画の波及力って、すごいものがあるんですよね。バレエと直接かかわりのないはずの同級生がバレエに詳しくて、どうしてそんなに詳しいの?と訊くと、『アラベスク』や『SWAN』の話が出てきたり。これは良い意味で日本的な現象だと思います。ヨーロッパだと、ハイアートであるバレエがサブカルチャーである漫画によって広がるということ自体がありえませんから。

私自身は『ニジンスキー寓話』が大好きです。完結まで10年かかりましたが、あれを描ききったことがすごいです。有吉さんのひとつのニジンスキー理解ですよね。
それから、あまりみなさん知らないのですが、木原敏江さんの『摩利と新吾』にも、バレエ・リュスが登場するんですよ。第一次世界大戦中、留学中だった彼らがスイスのジュネーブに避難するくだりで、1コマだけバレエ・リュスの人たちが登場しています。しかもディアギレフがきちんと片眼鏡(モノクル)で描かれていて。木原さんはちゃんと知っててお描きになっているんですよね。

(かげはら)まったく知りませんでした! 日本の大河ロマン的な少女漫画のなかにいろいろな形でバレエ・リュスやニジンスキーが息づいているのはすごく興味深いですね。

(芳賀)だから本や小説は漫画に勝たないといけない、というところもあるのですが(笑)
今回、小説をお書きになる方から原稿チェックのご依頼をいただいたことをうれしく思っています。作品を出版前に読めるとは本当になんて贅沢なんだろうと感じました。

私はバレエ・リュスの公式プログラムをコレクションしていて、それをzoom講座で公開しています。そこに掲載されている化粧品などの広告からは、当時の人びとに関する想像をふくらませることができますが、それを形にするのは研究者ではできないことです。クリエイト(創造)でなければできないバレエ・リュスの世界は、きっとあると思っています。『ニジンスキーは銀橋で踊らない』では、これまであまり語られてこなかったロモラと宝塚歌劇団とのかかわりに切り込んだのも面白かったです。

(かげはら)ありがとうございます。


●トークの全編を聴きたい方はこちら

●芳賀直子さん 次回のzoom講座(7月2日)はこちら

●芳賀直子さん noteはこちら

●かげはら史帆『ニジンスキーは銀橋で踊らない』(河出書房新社)はこちら

『ニジンスキーは銀橋で踊らない』刊行記念トークイベントはこちら(7月8日 東京・西荻窪)





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