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ものを売る時代から再び時間の価値を売る時代へ。

こんにちは。
最近は案件が増えすぎていて全くnoteに手がつきませんが、コンサルの仕事で必要になってきたので少しだけ記事にアップしておきます。

余談


私たちのような海外(スイス)と日本の複数地域居住(マルチレジデンス)の人たちにとって、時間は有限であり、一つの地域に住んでいる場合よりもかなり多くの制約を背負っています。
そういう暮らしに慣れている人たちにとっても、「その時間はどういう意味を持つのか」について真剣に考えることが多いように思います。
ある意味、一つの場所から動かずに暮らすことは、最も効率が良いかもしれません。何より経済コストには限度がありますし、下手なことをしなければリスクが増えることもあまりないからです。
しかし、時間や場所の制約が多い方たちは、一拠点居住の方よりもモノではなく時間の使い方やそのものの意味についてが優先されがちで、モノを買うよりもサービスを購入する割合が相対的に増えていくのです。
この観点をより広義にとらえることができないか、思案した結果次のような観測が可能なのではないかと議論の余地を残しておきたいと思います。

相対感

さて、経営コンサルティングのお仕事をしていると否が応でも販売に関する企画、差し当たりマーケティングのようなお話を進めていかなければならないシーンが必ずありますが、その際に私から差し出がましくもご意見させていただくのが、「モノを売らないでください」ということです。

2012年前後に、スターバックスジャパンの元社長さんや六本木界隈のコンサルの方々も同じようなことをおっしゃっていましたが、今はモノを売らない時代です。というのも、当然ながらモノは瞬時に手に届き、無数に存在し、また新しいものに取って代わられるのもおよそ光陰の矢の如しで次の瞬間には新しい商品ができています。

モノの価値が相対的に下がる・・・そうですね経済学ではインフレーションの状態です。この背景には、もちろん情報化産業があります。いわばモノの情報化が進んでいるため、モノを主体とした製品は競争優位性を確立するのが極めて困難なのです。

金融業のクライアント様の時も、「まず証券を売らないことを大前提に製品や広告の企画を考えましょう」からブレインストーミングが始まります。(無論「ない」系の認知理解が人間にとって難しいことは承知していますが、ゲーム感覚で進めやすいので便宜上こうしています)

こうすることで、これまでに死角に入っていたお客様の目線や需要が浮上してくることが多いのです。

実際に消費者になったときにもわかると思いますが、最近はタワシを買いたい時に金物屋さんではなく全国の無印良品や京都なら和小物ショップ、Day and day's(福岡だけのようです)などおしゃれな雑貨屋さんに買いに行かれる方が多いと思います。日本の場合はあまりスーパーでは売っていないので、探した時に結果的にそうなってしまうのではないかなと思われます。

それでもなければAmazonを頼るでしょう。

モノを買うだけなら正直どこでもいいのでしょう、最悪、「あるかないか」だけの利便性でいうなら有形物に関してAmazonに勝てる企業はこの世界にそう存在しません。

身も蓋もないことを言うようですが、初めからバッサリ切ってしまうともうモノを売っても仕方がないのです。

モノ以外が経済を運んできてくれる。

一般教養のおさらいですが、お金は簡単に言えば交換力です。交換力のある別のものと交換するためだけの媒体です。金券やチケットも現金と同様です。従って、交換力のあるものを生み出すことが企業の生産価値となります。

企業の生産価値とは一体何なのか?

この着眼点を先ほどの「モノ以外で」縛りで考えると結構色々と客観的に自社製品や企業利益について検討できるので面白いです。こちらの方が実に多様なサービスや会社が出来上がるのではないかと思います。

実は、先に言ってしまうと交換力の正体は「情報」なのです。

えぇ、その時代はもう終わったのでは、とお勉強されている方なら思われるでしょうけど、その「情報」の定義、古くなっていないですか?

昔でいう「情報」とはラジオや新聞、雑誌やテレビ、最近ではインターネット経由で得られるものを総合的に「情報」と定義している反省があります。それらは「情報」そのものではなく情報を届けるための運輸方法についてのみ触れていませんでしたか?

そのため、商業で情報というとメルマガのようなものを思い浮かべてしまう嫌いがあります。

私がいう「情報」はむしろ物理学の世界観でいうところの「情報」の定義であって、例えば物理量、例えば<テンソル>や<電圧>なども情報です。境界有限の個体を持たなくても実態があり再現可能なものであればそれは情報と言えます。

その前提で言うならモノも情報なのです。

矛盾するようですが、モノを情報と捉えるとすると、モノを含めた商流や資産実態その他万物は情報と置き換えることができ、経営というのは情報のマネジメントのことを言っているのだと定義を書き換えることができます。

そう考えると、わかりやすい例で言えば医療現場でも心拍数、体格、コレステロール値、血糖値、身長、体重などの基礎からATP産生やゲノム、細胞分裂などのミクロの生理現象まで全てが情報だと改めて認識しやすくなります。
癌などの疾病も細胞分裂のエラーだとわかれば情報そのものだとわかります。

考えてみれば宇宙の全ては情報です。植物の蒸散頻度から細胞密度、水滴の結露から惑星の運動まで全てが情報の塊です。人の歩行運動、重力、浮力(いずれも合成力)なども1次元から数えてさまざまな次元階層での事象と捉えれば情報だとわかりますし、ビッグバンも山麓で迷子になった人の精神状態でさえも情報です。

経営に話を戻すと経営はこの情報と情報を交換する流れを管理することを経営と言ってもいい。いっそ法的な観念ー例えば株主の代理人だとか法的行為の全権限がどうという話ーから離れて、そう考えた方が実態としては現実に近いからです。

法的な観念というのは法的な理解を助ける上での便宜上の解釈でしかないのでそういうのはぶっちゃけ現場では全くあてになりません。日々の実務でそのような解釈が役に立つのは株主総会の時と登記変更の時くらいなものです。

情報と情報との交流を見直してみよう

結論から入ってしまうと、情報に交換価値があるか否かで経営成果は決まります。結果は希少性の一言で終わるので経済学のそれと一致します。

では希少性のある情報とは何なのかと考えるのが経営者の最大の役目です。あるいは、それを見つけ、見出し、結論に導いてそれを現実に落とし込んでいく(執行)。

経営者とコンサルタントの違いは、経営者にはその執行責任が伴うのに対してコンサルタントにその責任は求められません。要は実現責任はどこまで行っても経営者側にあるということだけ。(時々、実施や実現までも責任追求してしまったり、過剰に任務を課したり押し付ける方もいらっしゃいますが、それはもはや委任ではなく「経営放棄」と称すべきです。)

希少価値のある情報を作るにはたくさんの裏付けや認証プロセスを要することになります。マーケット調査はもちろんですが、そもそも企画する上で立案者がいなければなりません。この立案者が経営者と一致した時に初めて「起業家」と呼べるわけで、立案もしていないでただ単に法人登記しただけでは「起業家」とは呼びづらいわけです。*ただもちろん経営者にはなれると思います。

情報交換の流れを管理するのが経営者ならばお金も当然ながら入ってきます。そもそも、経営資源というものもすべて情報で説明がつきます。人事というのは(最近は労働という概念自体が非常に脆くなっていますが)有体に言えば労働力という情報。機械設備や不動産、車両やオフィスなどもいうまでもなく情報ですね。となると、商品という情報は何なのだろうか?ということになります。

商品が情報であり希少価値で企業体力や競争力が測れるとしたら商品企画はもっと容易で単純なものとして扱うことができます。単純に希少性のない商品はカットすれば良いだけだからです。

先ほどの例に当てはめるならタワシは今や世の中にそうたくさんはありませんから希少性が高い情報です。ですのでタワシは採用。笑

(経済が苦手な方のために念書しておくと、希少性が高いだけでなぜいいのかというと競争が少なく購買者の絶対量が少なくても相対量で市場占有しやすいからです。反対にすでに同業他社がいたとしてもすなわち希少性が低いとは言えません。なぜなら全ては相対量で測るべきだからです。細かい理由まではいちいちここでは書けませんが、経済活動の数値は全て基本的に整数ではなく分数で見なければならないのです)

ここで情報と情報との交換(あるいは交流というべきか)をマーケット(市場)と呼ぶことにしましょう。そしてマーケットが行われる場所のことをマーケットプレイスと呼びましょう。

そうなると、今までマーケットプレイスというとAmazonや楽天市場などを指していましたが、経済活動が行われているところはとりあえずマーケットプレイスであり、マーケットプレイスの中でマーケットが行われているならばそれは同時に情報と情報を交換していることだと仮に考えます。

そうすると人事も物流も全てがマーケットプレイスです。つまり、経営はマーケットプレイヤーでしかない。独自の情報サーバーやデータ空間を持ち、そのデータ空間内に置いてある設備を用いて情報の加工や編集を行うことで希少性を生み出してマーケットプレイスに配信していく。

住宅を除いて商業機能を果たす設備は皆この情報交換を行なっているのだということがわかります。(とはいえ住宅も消費するという意味においてはこの領域内に重複するところがある)

街や地域といったマーケットプレイス(リアルプレイス)を選ぶ場合、一番困難なことはいかにして来店してもらったり情報交換をしたくなるような場を作るかというところに起点を置いて商品を企画しなければなりません。

従来のようにバーチャルでのマーケットプレイス(バーチャルプレイスと略しておきます)であればひとまずその心配はないかもしれませんが、来客数を高めたり希少性を高めるヒントを常に探し続ける苦労は実店舗とさほど変わらないように思いますが、バーチャルプレイスの場合はリアルプレイスと違い観測が容易なのと商品(情報)の編集が容易なので修正速度が高いと言えます。(そのため、今ほとんどの業種業態がバーチャルを標準仕様として選択しています)

今の所、希少性は概ね時間価値に換算できる。

冒頭の表題から偉く遠くなってしまいましたが、物と物の交換の時代から、情報と情報の交換の時代に来てしまったと言うことはお分かりいただけたかと思います。

ただし、情報と言っても情報媒体の時代は終わり、情報そのものの価値について問われる時代に突入しています。ここで、時代の変遷が早すぎてついていけないと言う方に朗報です。

最近の傾向として、情報の希少性すなわち時間的価値に換算することができると言うことを伝えておきたいと思います。有り体に言えば「過ごし方」です。

少し前まではコロナ禍だったので、その間は自宅でどのような過ごし方をするのかについてかなり考え込んだ人が多かったのではないでしょうか。それは始まりにすぎず、コロナが終わった今でも、その癖や習慣自体がなくなるとは考えにくいのです。

共通する理由が一つ。それはコロナを通してリモート化が進んだため通勤形態や捉え方が変わったこと。それからこの2年を通じて自動化された業務が大量に輩出されたこと。

日本だと例えば税務申告が自動化されましたね。2025年には運搬業を自動化するそうです。朗報ですね。なぜならこれにてヒューマンエラーがなくなりストレスによる疾病が減るからです。文明が進んだ。

ところが生活様態だけが変わってしまいその間を埋める方法論についてはまだまだ未熟なところが多く持て余されています。したがってこの「時間的隙間産業」は検討の余地がかなりあると言うことです。

今は商業もIT化されているので、場所や時間の制約が前より50%くらいは減ったと思います。その分、海外に出る機会もコロナ以前よりは増え、中東や地中海域を含めて海外の旅行需要や国際取引市場は非常に活気のあるものになりましたね。

場所や時間の制約が減った分、そこを埋める財やサービスは今後も伸びる基調あると考えてまず間違いはないと思います。

よくわからないと言う方は、「時間の使い方」を見直していくことで、新たなサービスに発展する可能性がまだまだありますよ、と言う程度に思っておいていただければ。


まとめ

読者の皆さんはすでに相当勉強に励まれてこられた方だと思うので余計なことは書かず今回はこの辺にしておきます。
またコンサル中にお伝えしきれない補足部分をnoteにまとめておきますので、今後もブックマークしていただき後で国際線に乗り継ぐ時などにお読みいただければ幸いです。

BRIGANTIA KAPITAL

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