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教師としてのテンション(緊張):なぜ教師として幸せになれなかったのか?

教師として長く日本で働く中で、私は「幸せ」ではなかったと思っています。もちろん生徒は可愛い、授業は楽しい、英語が好きになって来れたら嬉しいし、それ(だけ)がむしろ教師としてのやりがいでもありました。

でもずっと長い間「私でなくても良い仕事」をずっとしている感覚はありました。もちろんできたことも、やり遂げたことも、挑戦できたこともあります。しかし根底には「私」としての能力や「私らしさ」をずっと出せずにいる感覚がずっと私の教師人生を下支えしていたのも事実です。それによって達成感も低く、自分の教師としてのアイデンティティを認められなかったことにも起因しています。

大学院での学びを深めるにつれて、教師という素晴らしい仕事、大好きな仕事についていたのに幸せではなかったのはなぜか、達成感を感じられなかったのはなぜか、それを阻害するtension(緊張や阻害をもたらすもの)はどのこにあったのかをずっと考えています。

もちろん、現在も現場で活躍する先生方の中にはテンションがない方もいらっしゃるでしょうし、それをそこまで問題視せずともやり過ごしたり、さまざまな方法で納得している方もいらっしゃるでしょう。
その方々と私の何が違うのかを知りたいと思っています。

そしてそれは「空気」を通すとよく見えてくると思うのです。
すでに何度かnoteでも書いていますが、学校における「空気」の存在については随分と理解が進んできたので「世間」と合わせてまた改めて紹介したいと思っています。

まず私の教師としての幸福度が低かった理由の一つ目は、

日本独特の「世間」でできている「学校文化」が周りと同等レベルで私の中には存在しておらず、同じコードを共有しづらかった。

ということだと思います。(私がなぜコードを共有できなかったか、海外経験に由来していると思いますが、詳しくは深掘りしていきたいところだと思っています。)

そして2つ目は、

これも「空気」と関係しますが働き方の問題です。新しいカリキュラムを含め、学校外では多様化、個別化が進んでいるものの「空気」を読むことで幻想的な「世間」の中、特に「犠牲文化」を中心とする学校のあり方に自分も取り込まれてしまい、私自身も海外経験などから生徒につけさせたいと思っている活動が十分できなかったり、働き方に疑問があったから(特に子育てをしないといけない時期には本当に辛かった。)

と、今は整理しています。

特に、日本教師界独特の「犠牲文化」と私が呼んでいた働き方に関しては、かなり自分なりの視点もありました。教職がブラックと言われる時代において、「犠牲」にならずとも働くことができる環境を追求することに、私は何の疑問も持っていません。しかしだからこそ、それが自分のテンションになっている感覚も薄かったのですが、今思い出してみれば働き方の理解がずれているがゆえに(①のポイントと重複しますが)辛いことも多く、気づけばnoteにも働き方についていくつか書いていました。先生の働き方のヒントはマガジンで整理しました。よければご覧ください。

みなさんの教師としてのテンションはどこにあると理解されていますか?
テンションの度合いや場所など人ぞれぞれかと思いますが、よければ意見を聞かせてください。

教師の素晴らしい仕事がもっと働きやすくなればいいと切に願ってやみません。



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