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クラス全体の理解度が理解できない現象〜アメリカの授業の個別化で見えなくなったものと日本で見えていたもの〜

教師として、ひとクラス40人の学力を把握しておくのは重要なこと。どのぐらいの難易度で教えてればいいのか、クラスのどこのレベルに合わせて授業をすればいいのかなどは、毎回気にして悩むポイントでもあります。

しかし、アメリカではクラス全体の理解度や学習レベルを理解するのがとにかく難しかった。分かると言えばわかるのですが「だいたい」でしか分からない感覚。気、気持ち悪い。。。。なぜー。

逆に、日本では何であんなに生徒の理解度が手にとるように分かる(と、思えた)のかを考えてみると、それは

同じタスクを全員にさせ、同じ(主に筆記による)テストで能力を測ることのくりかえしにあるから

と言えます。日本では基本的にクラス40人全員が同じことをしますから、誰が英語を読めていないか、誰がどの問題ができていないか、または前回はできていなかったけれど、今回はできたか、など把握することができるのです。

教師が生徒の能力や理解度を把握できるという点では良い点かもしれません。しかし、理解している能力の偏り(主に筆記ではかれる能力に集中)や一緒のことをみんなと同じペースですることが苦手な生徒には、これが小学から高校まで同じ教育活動が12年間も繰り返されるのですから苦痛でしかないはずです。

一方、アメリカで授業計画をする上で大切なのは、

Differentiated Instruction(個別化教授法)

これは生徒一人一人の学びのペースに合わせたタスクを与えることで、生徒が自分のペースで学習が進められるような考えです。個別化された(Differentiated) クラスでは、どの学びのレベルの生徒でも取り組むことができる内容が用意されています。もちろん一緒に取り組むこともありますが、能力の低い生徒がタスクAをしている時に、能力の高い生徒はタスクCをするようなクラス作りを目指しているのです。また、Scaffoldig (足場作り)といって教師は、生徒が用意した梯子を上っていけるようなイメージで、様々なタスクを用意してあげて、生徒が自分のペースで能力を上げていくようデザインすることを目的としています。

つまり、アメリカの教室では一人一人の学びのペースやレベルが違って当たり前なのです。違う種類のタスクをしてもいいし、することが推奨されているのですから。

誰がどのタスクをしているかバラエティが豊かすぎて、私は、生徒一人一人の学習レベルに対する理解度が「なんとなく」しか分からない状態になっていたのです。

それに下に書いたように↓アメリカに4技能の議論はなく、コミュニケーションを取れれば良いというようなざっくり枠で生徒の能力を評価していることも影響していたと思います。

学習内容の多様化、学習ペースの多様化、指導内容の多様化。そもそも、アメリカではひとりひとりが自分のペースで勉強を進めている限り、教師がひとりひとりの能力を把握する必要も日本ほどないように感じました。

日本は担任制度もあるように、生徒と教師の関係性がアメリカとは全く異なります。「この生徒のことを理解しなければ」と言った思いがアメリカよりぐんと強い一方、アメリカは意外とアカデミックに特化していて「この子の成績をあげなければ」と言う思いが強いと感じました。

もちろん、アメリカの全員の先生がこのような授業展開をできているわけではなく、それに対するプレッシャーや愚痴をこぼしている先生方もいらっしゃったことも付け加えておきます。

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