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世界の教育は同じ方向性へ向かうのか

教育関係のnoteで発信をされている方の記事を読むと、多くの方が同じ方向性を見ているのだということに気がつきませんか。もしかしたら、私がそういう風に感じているだけかもしれませんし、個人的関心で同じような方の記事を読んでいるだけかもしれませんが皆さんはいかがお考えでしょうか。

その方たちの記事を読んでいると、やはり「より良い」教育を目指しているように思います。目の前にある教育環境にはまだ改善できる余地が多くあるという問題意識や批判的視点をもち、生徒一人一人がその個性を生かして世界で活躍できる、また国内の多様化を支えることができる、そんな人材の育成ではないでしょうか。

そしてそれはまたこのグローバル時代における世界の流れのようにも見えます。

PISAをはじめとする世界的な学力指標の存在が大きな影響を与えるようになったことも大きな影響の一つです。

そんな中、面白い本を読みました。
Local Meanings, Global Schooling: Anthropology and World Culture Theoryという本で、まさに「世界は同じ教育へ向かうのか」という疑問から生まれたケーススタディです。

World Culture Theoryというのは簡単にいうと「世界は同じ価値観に向かって同化傾向にある」とする理論です。
これを教育に当てはめてみましょう。

教育の重要性はどこの国でも共有されています。どこの国の親も子どもに教育を受けさせたいと思うでしょう。教育を受けさせたいというのはつまり学校という場に行かせるということで、公教育を受けさせるという意味ですね。なぜなら学歴が子どもに利点を持たらすと考えているからです。どこの国においても多かれ少なかれ、良い教育を受けて、良い学校を出れば、良い仕事について、お金を稼ぐことができて、幸せに生きることができる、というような一見すると「神話」のように見える価値観を世界中の人が信じています。

そればかりではありません。
どこの国の学校制度を見てみても、同じように生徒に教えています。校舎や教室があり、先生が一人いて、何十人もの生徒を教えている。生徒は教科書を使い、試験があり、成績がつけられる。制服や校則があるところもあるでしょう。アクティブラーニングに見られるようにteacher-centered(教師中心主義)からstudent-centered(生徒中心主義)へも教育的価値観が大きく移行しています。

また、最近ではコンピテンシー(資質・能力)に注目した教育のあり方が世界的に議論され、「世界で必要とされている能力」を身につけるのにはどうすればいいのかという議論も増えてきました。これは日本だけではなく世界的にそうなっています。ちなみに大学院🇺🇸のクラスメイトでベトナム人の元先生がいるのですが、その方もベトナムのコンピテンシー教育について研究しています。

この本では、そのような世界の動向を受けて実際に同じような教育を世界中が行なっているのかということを考えるためにタイ、南アフリカ、ギニア、アメリカ、中国、タンザニア、ブラジル、フランスの学校でのケーススタディを行なっています。

結論から言うと、確かに世界的な流れはあるといえます。しかし、ローカルの多様性は全く失われていないということも事実です。教育という分野には多くの関係者がいます。生徒、教師、保護者、行政担当者、地域の人々…。それに、国々の事情や環境も違います。英語で型にはまることをcookie cutter と言いますが、まさにクッキーカッターで切ったらみんなそうなるということは無いわけです。
つまり、教育はそれ自体が多様なのだと思います。

例えば、教師中心ではなくもっと生徒中心にアクティブラーニングをする研修会を行なったとしても、それに教師のアイデンティティがついていかなければまず新しい授業環境は生じません。そしてそれは、教師の教育的価値観だけでなく経済的な支援や働く環境によっても左右されます。外国人教師がやってきて新しい教え方を実践したとしても生徒から反発が出るという事もあります。この本ではその様々なローカリティが紹介されていて、読んでいるとその多様性の素晴らしさに心が躍りました。

世界の多様性の一部である日本はどのような教育を見つけていくのか注視したいです。そしてその日本の教育を支える一人として、あなたはどのような生徒を育てたいのか、考えてみてはいかがでしょうか。


Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。