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どんな生徒を育てたいかの議論はどこでする?

教員の働き方改革についての議論は随分と脚光を浴びてきたけれど、現場の教員が本当はどのような生徒を育てたいと思っているかという議論は個人レベルでしかありません。今の学校教育では責任を持って生徒を未来に送り出せないと思っている先生方って、実は、たくさんいると思います。

そのような「声」はどうやって政策に反映されるのでしょうか。

「本校で育てたい生徒像」についての議論をすることが難しいのが公立高校の現実ではありませんか。昨日もこんなことがありました。

本校は今時珍しいのだと思いますが、「芸術」科目が音楽しかありません。しかも40人の一斉授業です。以前、日本の芸術科目の少なさについては書きました。

校内の教育課程委員会でその音楽の教諭から他の芸術科目を増やして欲しいという提案が出ました。しかし答えは却下。理由はその分の人員配置ができないからです。選択科目として科目を増やすのも他の教科との兼ね合いで難しいとのことでした。

まず「芸術で育める感性や想像力を生徒につけさせたい」というコンセンサスがありません。それに大問題なのはそのコンセンサスを産む(または産まない決断をするための)話し合意をする場がないということです。忙しい教育現場ですから、正直なところ「いちいち、そんなに時間のかかる話できない」という雰囲気もあるでしょう。でも、こういう瞬間に私は教師であることに無力感を感じるのです。

これを読んでいただいている教師の皆さんは、どのような場面で生徒につけさせたい能力や資質についての議論を、どなたとどのような場面でいつされていますか。もしよろし得れば教えてください。

色んな先生がそれぞれの「こんな生徒を育てたい像」があるはずで、そのすり合わせ作業する場所はどこかなのか、探しています。


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