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「忘却バッテリー」と双極性障害のわたし


最近見ているアニメ「忘却バッテリー」!

今通っている訓練所で出会った先生が、おすすめしてくれたアニメです。
うつのときの特効薬として、「こころの処方箋」にもなっています!
前の記事参照


実はこの作品が、「双極性障害」のわたしと重なって、心にクリーンヒットしまして…
その理由を、忘れないよう書き残しておこうと思います😌

よかったら読んでくださったらうれしいです!





中学時代、最強のバッテリーを組んでいた2人の少年。
甲子園を目指す強豪私立高校から数多のスポーツ推薦ももらっていたのに、彼らは弱小野球同好会しかない、近所の普通の都立高校に入学します。

なぜならキャッチャーの子が記憶喪失になってしまい、野球のルールもやり方も楽しさも、全部忘れてしまったから…。

各々挫折を経験して野球から離れてしまった高校生たちが、運命的な出会いを機にもう一度、野球を本気でやろうと立ち上がっていく物語です。



とくにおもしろいキャラクターが、「忘却バッテリー」の題名のもととなっている主人公 要 圭(かなめ けい)です。
彼は中学時代「智将(ちしょう)」と呼ばれるほどに、頭の切れ味が抜群のキャッチャーでした。

なので忘却する前は頭良い超イケメン
しかし忘却したあとは度を超えたアホ
(CV宮野真守、お察しください)



「わ~~99%ギャグだ!!野球のルールはよくわからないのにめっちゃおもしろい!!これ見ればうつの沼から抜け出せそう!」
と思い、毎日要くんのギャグを見てから目覚めるほどに(え?笑)
のめりこんでいきました。


ところがどっこい、話が進むにつれてわたしは、だんだんとこの要くんに、どこか既視感がある感覚を持つようになりました。




既視感の正体は、「双極性障害のわたし」です。


双極性障害の症状は人によりけりですが、簡単にいうと…
ハイテンションでなんでもできる、頑張れちゃう「躁」と
ノーテンションで無気力・無表情・無感情の「うつ」が
波のように交互に来るもので、
コンディションの落差が激しく、生活がその波に振り回されてしまいます。




要くんは、「智将」と「アホ」なときが、波のように交互にきて、別の人格が現れるような感じになります。
そして、モードが変わるともう一方の自分の記憶がありません。


【智将スーパーイケメンモード】
「俺がまさか都立に進学しているなんて…状況を把握するのに30分かかったよ…」
「このメンバーから推測するに、お前が練習内容を考えてくれていたんだろ?一緒に練習内容を共有していこう😉」
「このチームには圧倒的に練習試合が足りません。幸い顔見知りの監督だったので、直接交渉して練習試合のアポを取ってきました😉」

【スーパーアホモード】
「え?野球ってなに?やり方知らないんだけどォ🙄」
「えぇ~もうキャッチャーなんてヤダ~😭」
「つらい~ムリ~もう練習やめたい~😭😭😭」


イメージ図



…おいおい、あまりの落差だろ…と思ったけど
いや待てよ、わたしも…

【躁モード】
「授業の案があふれるほどに出て止まらない!✨」
「時間が足りない…もっと改善できる!ギリまでやるぜ!✨」
「さあみんな!今日も楽しく授業しよ!さぁて…今日のテーマはこちら!ドドン!!!😎」
「お~~~!正解!!すご~~い!Foooo!!✨」

スーパースマイル&ハイテンション&疲れすら覚えない
もはや狂気の沙汰


【うつモード】
「なんであの時はあんなにできたんだろ…自分が信じられない…」
「あの時の自分に戻れればいいのに…戻れるイメージが湧かない…」
「授業のやり方忘れちゃった…気力ない、できない、やりたくない」

スーパーネガティブ&無気力&無表情&無感情…



あまりの落差…笑
躁とうつとで、自分がまったくの別人のようです。

躁のときなんて、なんでうつになったのか、うつがどんな感覚だったのか、そんな自分すら忘れてしまうほどです。



しかも「躁」のとき、わたしはハイテンションになりつつも、自分の限界があることは気づいていました。
着々と限界が近づいてくる恐怖とずっと、逃れるように毎日戦っていました。

「だれかこの火だるまを止めてくれ」
「経験の差は埋まらないのはわかっているのに、できる先生たちとの差を埋めようと自分の身を削ってしまう」
「いっそ交通事故にでも遭ってしまえば、この自転車操業の苦しみから解放されるのかもしれない」
…と、もう無理だと思いつつ、それでもまた次の日は平然とやってくる。
それがなにより苦しかった。


見れば見るほど、要くんとわたしは似ているなぁと思うのです。


アニメはもう終わってしまうのですが、この先の展開がすごくいいらしくて…!続きが知りたい!
勇気を出してマンガを買って読んでみようかなぁ…✨




躁のわたしとうつのわたし。
どっちもわたしなのはわかります。
けれど、少しずつ元気になってきている今、人前でどんなふうにふるまえばいいのか、「素のわたし」はどれなのか、わからなくなってしまいました。


集団の中で訓練をしている今、もっぱらそれが大きな悩みです。


この作品には「素のわたし」の答えに少しでも近づけるヒントがあるような、そんな気がしています。


きっと双極性障害に限らず、たくさんの人が「素の自分」を知りたいと思っているのかもしれません。
わたしも仕事をしているときがまさにそうで、でも忙しくて余裕も時間もなくて、光の速さで毎日がすぎていく…そんな感覚でした。

そう思うと、休職中のわたしはとても恵まれているのかな…とも思います。


人生で初めて得られた「自分のための時間」で、ぽてぽて「わたし」のかけらを集めていけたら…とおもう日々です。



(毎度ながい…笑 ここまで読んでくださりありがとうございます!)




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