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ゆたかさとはNo Pain No Gainである。


おはようございます。
いっくんです。

昨日は久しぶりに友達と外食に行きました。
完全に緊急事態が解除されて始めて迎えた週末は予想以上に人で溢れていました。
自粛も相まって久方ぶりのリアルでの飲み会の楽しさに一入でした。

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さて、今回は#ゆたかさってなんだろう。のテーマで書いて行きます。

難しいテーマですね。
ものが大量に溢れている現代社会で、「所有」することがゆたかさだとは中々イメージできないし、
他人からの承認欲求が少ない自分にとって、感情の「共有」もそれだけがゆたかさだとはイメージできませんでした。

「楽しさ」ならすぐ出てくるのですが(お笑いを見たり友達と話をしたり将棋を指したり)、
多分ゆたかさっていうのはそれよりもっとより高次の状態だと考えています。

かといって、自分にとってゆたかじゃない事柄が起きない状態がゆたかだとも思えませんでした。
それは起きなかったら確かに嬉しいんですけど。
起きてしまった時にはもうゆたかじゃないわけで、起きなかったら時のことをイメージして
心が満たされるとは思えませんでした。

「あー、自分っていまゆたかだな〜」とすぐ感じるというよりも、
あとで振り返ってみてあの頃の自分でゆたかだったなーと感じれることがゆたかさ
を意味していると考えました。

じゃあ現在から振り返ってどんなことにゆたかさを感じるんだろう。
それは、何か目標が達成された時なんだと思います。
大学受験で自分が第一志望の大学に行けたのですが、この時こそゆたかさで
満たされていたと思います。

大学1年の1月で合格率が5%で授業中にフェアリーテイルも読んでしまっていた高校生が、
自分で努力して志望する大学に入れたのですから。

でも当時は苦痛以外の何物でもなかったですね。
世界史は好きでもはや趣味だったんですがそれ以外がダメダメで。。
金銭面から塾にも行けなかったので、独学を余儀なくされました。
進学校で塾に行ってる人が9割だったので○進や○合塾に通ってる
って聞いただけで偏差値10ぐらい頭良く見えちゃいました。
予備校に行くから偏差値が高いのか。偏差値が高いから予備校に行くのか。(哲学的!)
まあ実際にみんなの偏差値を聞いたわけじゃないので正確なことはわからなかったですが。
「肩書き」の何もない自分にとって、将棋で言うところの自分の段位(実力)を知らないのに
大会に参加するみたいなもんです。拠り所とする足場がないので不安でいっぱいです

なんとか受験は成功したんですが、
大学には受かったもののその先のことを深く考えていなかったのでその先の勉強のモチベーションが
急になくなってしまいましたのは反省点だなーとは思ってます(笑)


まとめますと、
ゆたかさ=持続性*苦痛 *成長
になるのだと思います。


ゆたかさは長期的に持続しやすい感情であり、
何か自分の目標を設定してそれに向かって努力していく姿が結果としてゆたかさにつながるのだと思います。

大事なのは逆説的ですけど、ゆたかさを追い求めないことがゆたかさを得られる近道
なんじゃないかと思います。
必要なのは自分がどうありたいのかを考えて逆算して
行動していくことです。

ただしそれには、苦痛が伴います。
でも長期的に見たらそれは単なる苦痛ではなくて、その分だけゆたかさを感じれる素地になっているとおもうんです。
No Pain No Gainです。


最後までお読みいただきありがとうございます!

こういったテーマはこれ!といった正解がない分人の数だけ正解があるので
色々な方のNoteを読んで面白いなーと思います。

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