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自信はどこからやってくる?

「今、お前が泣いてるのはさ。きっと自分に自信があるからなんだよ。」

自信がないです…とさめざめ泣くわたしに向かって、以前、この謎かけのような言葉をくださった方がいました。

自信はどこからやってくる?

今日は、そんな話を書いてみたいと思います。


そもそも。
「自分に自信あります!」オーラを全開に醸し出している人の方がレアだな、と思うのですね。仮にあったとしても、大抵はナチュラルに隠そうとする。
能ある鷹は爪を隠す、なんて諺もあるくらいだし。

かつて一緒に働いていた、とても仕事ができる男性上司も「プライドは高くても謙虚たれ」をモットーにしていると言っていて、実際それを体現している姿や、考え方に痺れたもんです。

謙虚に、慎ましく…親世代の価値観の影響を多分に受けて、こういった考え方を自然と刷り込まれて育った昭和世代の方には、特に分かってもらえるんじゃないかな、なんて思います。


ところが!です。
今じゃ「個を打ち出せ!」と、ガンガンに煽り立ててくる時代になりました。
SNSで軽やかに自己発信する若者。その発信力、自己プロデュース力、駆使するスキルは見事です。
大手企業でも、個の力で稼げる人になれ、と終身雇用のちゃぶ台をひっくり返すメッセージを発するようになりました。


そんな中で、謙虚に慎ましく、愚直に生きてきた昭和世代の同志たちが言うのですよ。

「自分には取り立てて”これ”と言うものがない」
「個の時代と言われても何を武器に勝負したら良いか分からない」
そして。
…自信がないよ…と。


うん、分かる。
じゃあね。

自信はどうやったらつけられるのか?

という、今日のテーマに立ち戻ろうと思うのですが。
かれこれ15年前に、ここに対する答えに気づくきっかけになるような体験をしました。

この体験がきっかけで、自信のカケラもなかったわたしは、

自信とは、自分自身の考え方、物事の捉え方次第で、誰もが持つことができるものなんだな、と。思えるようになったんです。

・・・・・・・・

当時、デザイナーだったわたしは、雲の上のような憧れの存在だった、現在も第一線でご活躍の某有名アートディレクターさん(憧れのスターということで、☆さんとしておきます)の講座を受講していました。

☆さんの講座は、受講生への伝え方自体がクリエイティブそのもので。
制作プロセス、考え方、視点…それらを毎回様々なアプローチで、余すことなく伝えてくれました。

また人としてもとにかくカッコいい方で。
毎回、講座終了後に受講生有志(と言っても結果的に全員)を居酒屋へ連れて、翌朝まで飲むという、相当クレイジーなルーチンが催され。
受講生のクリエイティブ力もグングン上がり、飲み交わす中でお互いを深く知るようになり、仲も一層深まっていきました。

クリエイターである前に、一人の人間としての大切なもの、哲学のようなものを、この方から学ばせてもらえたと思っています。


なのですが…それとは反比例するように。
講座へ通う足取りは回を追うごとに辛く、重たいものとなっていきました。


その要因が、毎回課される課題への講評、でした。

次の週に、一斉に受講生が取り組んだ課題が壁に貼り出され、一人一人の作品への講評が行われたのです。
全員の前で貼り出されるわけだから、みんな生半可なものは出せない!と必死になって制作に力を注ぎます。

そしていつからか、受講生の中に、高評価の指標が生まれました。
それが。
左側へ行けるか というものです。


壁一面に貼り出された課題を、☆さんが静かに見つめながら、一つ、また一つと、吟味しつつ壁の左側へ移していくのです。
左側へいった作品こそが、”良かったとお墨付きをもらえた作品” というわけです。

みんな、自分の作品が左側へ移されるのか…固唾を飲んで見守ります。
やがて全員の振り分けが終わった後で、それぞれの作品についての、Good & Moreを伝えてくれるのです。

他の受講生のアイデアや、表現方法を見ることもとても貴重なことだし、
さらにトップクリエイター目線での講評は、この上ない勉強となりました。


ただ、その中で、わたしの作品は、一度も左側へいったことがなかったのです。

平日仕事を終え、深夜から明け方まで課題制作に連日励み、睡眠時間を削りながら創作した渾身の作品(他の受講生も大概同じ状況でしたけどね)。

「今回こそいける!」という思いも儚く砕け散り、
「やっぱりダメだったか…」の繰り返し。

毎回、胃がキリキリし、心はどんどん重くなり、複雑骨折を起こしてました。

そして、ある日の講座終わりの飲みの席で。
受講生と話しているうちに、思わず泣けてきちゃったんですね。

…もう、自分はクリエイターとしてダメなんじゃないか。
…この道でやっていく自信がないよ。

と。

ある日突然、自信という岩の塊みたいなものが降ってくるわけじゃない

周りにいた仲間たちも、「自分もそうだよ」と。
「毎回、あの時間が辛くて、正直心が折れそうだ」と。
そして、少し離れた席で飲んでいた☆さんの元へ行って直接話すよう、促してくれました。

席を移り、☆さんに、そんな絶望的な気持ちを正直に吐露した時に。
☆さんがこんな言葉を伝えてくれました。

俺はね。今でも自分に自信がないよ。
眠れないこともしょっちゅうなの。
だからね。期待やプレッシャーを越えるには、ただやるしかない。
自分にできるのはこれだけだって思ってる。
だから毎日必死すぎて、涙も出ないの。

お前が泣いてるのは、自分のクリエイティブに自信があったからだと思うよ。
だから、そうならなかった現実に対して、流した涙なんじゃない?

さらに穏やかな声でこう続けてくださった。

自信ってさ。
ある日突然、でっかい「自信」という岩の塊みたいのが目の前に降ってきてくれるわけじゃなくて。
小ちゃい石ころみたいのを、コツコツ積み上げて、ふと気づけば、岩の塊くらいの大きさになってたなって。

そうやって築かれ、気付いていくもんなんじゃないかな。

話を聞くうちに、いつの間にか涙も引っ込んだ。
そうか、と。

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比べるのは他者じゃない

自分が比べていたのは、周囲の受講生だった。
とてつもなく小さなフィールドで一喜一憂していたのだ。視野の狭さったらない。
彼らの作品を見て、そのレベルの高さと自分を比較しては落ち込み。
講評結果にさらに落ち込み。
それは少なくとも自分に自信があったからこそだったんだ。

だってさ。
かどわきは、最初の頃に比べたら、だいぶ成長したと思うよ。
ちゃんと自分で気付いてる?
成長してないって言ったら、教えてきた俺が傷つくわ笑

確かにそうだ。
受講初期の頃の自分と、みんなと切磋琢磨し合いながら、乗り越え、乗り越えしてきた自分とは、明らかに違う。
それなのに、いつもその地点での周りのことばかりを意識し、凹み、勝手にズタボロになっていた…


自信とは。
過去の自分を振り返り、コツコツと積み上げてきたものを自覚することによって、心に宿すことができるもの。
周囲との比較じゃなくて。過去の自分と比較することが、何より大事。


私が、その時々の出来事や思いを日記やBlogなどに記すようになったのは、その頃からでした。
記録に残しておくことで、頑張ってきた過去の自分への感謝と、後々の自分へのエールや自信の源泉に繋がっていくのだと思っています。


これを読んでくださった方の中にも、
コツコツと積み上げてきた小石が、確実にあるはずですよね☆

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