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テクノロジーは世界を分断する

『日本の選択(4) プロパガンダ映画のたどった道』という本を読んだ。トーキー(サウンド付きの映画)というテクノロジーが無声映画に取って代わった歴史と、それを政治的に利用したナチスや、逆にあまり利用しなかったアメリカ政府の話が薄い200ページくらいの文庫で語られている。もともとは、戦後50年でNHKのやった番組の取材を基にして書かれた本らしい。

ナチスがリーフェンシュタールにベルリンオリンピックの映画を撮らせたりして、映画が政治のプロパガンダに使われていく歴史と日本がそれをどう取り入れたかが描かれている。ただ、そこよりも、米国商務省が作った日本の映画産業のレポートの話が面白い。

「近年アメリカからの映画の輸出はあまり増加を示しておらず、1928年の輸出は、前年1927年の輸出量1,800フィートの水準に達していない。アメリカの映画産業は、日本、フィリピンなど極東の地域を開発し、各国がより多くアメリカ映画を輸入するよう努力せねばならないと考えられる」

当時、アメリカ映画界は、サイレントからトーキーへの過渡期にあった。それまでチャップリンやキートンといった大スターを擁し、世界を席巻したアメリカ映画も、トーキーの出現によることばの壁が、輸出の「障害」となって、伸び悩んでいる状態であった。(中略)

「日本は自国の需要を満たすに足る国内映画産業を築き上げている」としながらも、その劣悪な制作状況をこと細かに伝えている。

「上流階級の人は、値段に関係なく上質の商品を要求し、中流階級は、値段も質も適当に良いもの要求し、貧困な消費者は、その趣味も洗練されず、最低値段の簡単な商品を要求する。日本には、6つの大手制作会社が、活発に制作、配給を行っており、日本で制作される映画の四分の三を制作している。大きな会社の年間スケジュールは、182本のノルマを持ち、その中の156本は、普通並みの作品で、毎週3本の割で制作され、1本当たりの制作費は、6千円から1万円、2,3週間で作られる(当時、アメリカでの制作費は、1本当たり、平均30万円余りであった)。これらの作品の大部分は、日本の配給組織にのるが、制作会社は、毎週3本の新作を映画館に供給しなければならないところから量産され、その結果多くは内容劣悪である。高級な映画ファンは、いきおい輸入映画の市場となっている」

インターネットやテクノロジーによって「世界はより近く、よりひとつになる」と僕は1995年に感じていた。でも気づいてみれば、脊髄反射でクリックしたことが自分を囲い込み、SNSによってほぼ永遠に維持し続けられる友達リストのなかで安住している自分がいる。こうして今は、世界はより分断されていくように感じている。

でも、これはインターネットの時代に始まったことじゃなく、無声映画がトーキーという最先端のテクノロジーにとって替わられたときにも同じことが起こっていた。言葉の壁が映画のマーケットを分断し、数少ない「理解したい人」にしか、相互理解は広まらない。テクノロジーというのはそういう性質のものなんだろうと『プロパガンダ映画のたどった道』を読んであらためて感じた。

不思議とこういうときに、箕輪くんが編集した、佐渡島くんの新刊が目に入ってくる。キュレーションがコンテンツ側に向かったのとは逆に、コミュニティは個人の属性(平野啓一郎さん的にいうと分人か)に向かうメディアだ。表紙に「現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ」とある。

どんなモノも供給側のテクノロジーの進化で、需要にオンデマンドに対応できるようになっている。そうなると「持続可能な経済圏」は個人の属性で輪切りにされたコミュニティになるのは必然かもしれない。

ゲラになる前の原稿を読ませてもらっていろいろ考えさせられました。絶対のオススメ、購入はこちらです。


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