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短編小説「将棋」



 将棋の魅力は一体何かと聞かれることが仕事柄とても多い。しかしそのような場面に出くわすと私はいつも答えに困ってしまう。先人たちが残した棋譜きふを、恋人からのラブレターのように読みふけり研究する。そして研究には膨大な時間を費やし、その研究が実ることは決して多くはない。寧ろ水泡に帰することのほうが多い。プロを目指すともなると、この無駄とも思える研究に没頭できる胆力を養わなければならない。私にはそれができなかった。いや、正しく言うのであれば〝プロにはなることはできたが、その環境で生き抜く精神力を養いきれていなかった〟だから私は、プロの解説者になったのだ。




 私は、ホテルのクローゼットから一張羅いっちょうらのスーツを取り出し、袖を通した。部屋に備え付けの机には昨日私が乱雑に置いたカバンが置いてあり、恨めしそうに私を見上げていた。カバンから手帳を取り出し、今日の会場入りの時間を確認する。今日の仕事は市民会館のステージ上で大盤解説を行うのが主である。会場入りまではまだ時間に余裕があるが、ホテルのバイキング会場へは向かわずベッドに横になった。




 天井は白を基調としているが、格子状に縁取りがされており幼少期の嫌な思い出を想起させた。小学生の頃の私は、将棋大会で負けると必ず自分の部屋にふて寝をしていた。その頃の話を正月などに実家に帰省すると母が話してくれる。「あの頃は負けるのが嫌だったら寝ないで将棋の勉強をすればいいのにと、ずっと思っていた」顔に増えた皺を目じりに寄せ、笑いながら話す母。そんな母に向かって私はいつも心の中で思うことがある。




 (あれには理由があって俺の部屋が悪かった。俺の部屋に吊るしてあるカーテンは遮光じゃない。だから夜になると月明かりで部屋が少しだけ明るくなる。そのタイミングで布団に入ると最悪だ。天井の白い格子状の壁紙が自分に迫ってくるように感じて、それを勝手に脳が盤に見立て、負けた棋譜を頭の中で並べ直して検討を始める。そうなるともう寝むれる気がしない)その反論を私は決して口にしない。きっとそこで睡眠をとるような人間だったから、私はプロでやっていけなかった。そんな自分で自分の首を絞めるような問答が展開されることは容易に想像できる。




 プロの世界は甘くない。〝きっと無駄になる〟そう心のどこかでは理解している事を延々と続ける。狂気の沙汰である。私はその境地にはたどり着けない。一生かかっても。




 「思いのほか早く投了になったね」私はホテルの自室に迎えに来た後輩へ車に乗りながら、素直な感想を漏らした。結果論ではあるが、朝食のバイキングに行かなかったのは正解であった。ベッドの上で思考の海を彷徨さまよい、自分の不甲斐なさに打ちのめされていたタイミングではあったが、気分はそれほど悪くない。「先手が持ち時間1時間を切った瞬間、後手が投了を宣言しました。いかがなさいますか?会場につくまで、棋譜や先ほどまで中継されていた対局の様子をご覧になりますか」後輩は車を発進させながら、後部座席に座る私に問いかけた。私は少し考え、「いや、初見でいいだろう。その方が私の解説の味を存分に引き出せるしね」と答えた。




 「いやー、素晴らしい。今の挙動はなかなか妙手でしたね。正座している右膝にわざと自分の扇子せんすを落としましたね。先手だからできる攻防一体の動きです。しかし、ここで後手も時間をおかずに右手で自分の頭を4度搔きました。これは百年近い昔、令和初期の頃の対局をずいぶん意識していますね。しかし、そこは先手も研究済みだったのでしょう、先手が持ち時間の7時間を費やしての渾身の『7六歩』」。これを指されたら後手はもう何もできません。127手詰めとなります」




 私は用意された大駒を〝7六歩〟へ動かすと会場からは、まばらな拍手が送られた。私だって同じ気持ちである。近年、プロ指す将棋の奥深さは常人には図りせれないレベルになっており、相手の立ち振る舞いから詰み筋を探る技法はまるで予言者である。解説で精一杯の私にはやはり到達できる気がしない。

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