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短編小説「ポエム」



 「この仕事はもうやめようと思う。時代が悪すぎる」旦那は乾いた筆を手に持ち、申し訳なくなさそうに私に告白した。私は早めの夕食の準備に取り掛かっており、急にキッチンに入ってきてそんなことを話す旦那に酷く困惑した。



 旦那は詩人である。二十歳を前にして名のある大会で入選を果たし、一時はテレビにも引っ張りだこであった。しかし、常に新しいもの、知らないものを求める視聴者に定着することはなかった。今は自宅を仕事場とし数少ない作詩の依頼をこなす程度である。



 「貴方が納得して選択したなら私は何も言わないわ」妻である私は旦那の選択を尊重したい。詩人の旦那が好きだったわけではない。好きだった旦那が詩人だっただけである。



 「仕事を辞めるだけだ。作詩は続ける。いや、こんな世の中だからこそ俺の様な感性の人間が、言葉を紡いでいかなければいけない」旦那の返答は意外なものであった。手に持っている筆の様に旦那の活力は乾いていなかった。むしろ、この世の中へ身を浸すことにより潤っていた。行動力の潤いである。



 「仕事を辞めるのはいいわ。でも、依頼を受けている分までは納品してから辞めるのよ」私は旦那にそういうと、やんわりと旦那を仕事部屋へ誘導した。



 少し経ち、お盆に急須と湯呑みを乗せ2階の仕事部屋へ向かった。休憩をとってもらう為である。部屋に入る前にノックをしようとしたタイミングでくぐもった旦那の悲痛な声が聞こえてきた。



 「ふざけてやがる。『ザ・ライジング・サン・桜風伝おうふうでん美麗子マリリン』なんて名前で〝名前詩〟なんて書けるわけないだろ……。狂ってやがる。こんな名前が普通と感じさせる社会が狂ってやがる」



 私は仕事で悩む旦那の苦悩を知り、急須に入った渋茶を捨てることにした。これ以上旦那の眉間に皺を刻むのは酷であると感じたからだ。



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