「年齢は関係ない」長男の言葉
長男(高2)は、やさしくて寡黙な男である。母から見た第一特徴が「やさしい」であることが、1歳のときからブレずにきた。
よく家族ぐるみで休日を共にする友人の、3人の子どもたち――上から中1長男(かえでくん)、小4長女(キョンキョン)、4歳次女(ここちん)――からも、彼のやさしさは一瞬で見抜かれた。
真ん中のキョンキョンが、まず最初に彼の膝の上を指定席にした。家族の中ではいつも、「私がしっかりしなきゃ」とがんばり、誰にも甘えられない子。家族以外に甘えられそうな相手を見つけると、飛んでいってべったり甘えるのだと聞いていた。彼女が長男を見いだすのはとても早かった。自分で歩ける道のりも、長男の首に抱きつき運ばれた。長男は彼女にせがまれるままにずっと抱っこして歩いた。
4歳のここちんは甘え上手でいつもあまり歩かない。ここちんは特段に長男に懐いているわけではないが、ここちんのママから頼まれると長男はちょっとこわごわ、ここちんを抱いた。ここちんはあたり前の顔して長男に体を預ける。
最後には中1のかえでくんまでもが、背負った大きなリュックごと長男に抱きついて抱っこされているのを見たときは、目をうたがった。かえでくんは、私の次男同様、心身の発達が少しゆっくりめな子ではあるが、それでも最近は筋骨隆々とした男らしい体つきになり、声変わりも始まっている。とはいえ、中学生になりたての彼の見た目はまだなんとか小学生でいける。
ショッピングモール内で高校生の男子がその子を抱っこして歩けば、さすがに目を引く。慌てたのはかえでくんのママ。
「かえで!あんたもう中学生なのにそんなことしていいと思ってんのか!」
と怒鳴った。
それに対し長男、
「年齢は関係ないでしょ!何歳だから必要ないって、線引きなんかないでしょ!」
と、いつものようにもごもご口ごもりはするが、いつもよりもはっきりとした意思の感じられる声でそう言い放った。いつになくムキになり、目には反発の気持ちをありありと宿して発せられた言葉に、少し驚く。
かえでママが彼を育てるなかで、TPOに合わせた振る舞いを教えたことには十分な合理性があった。それに対する長男の「年齢関係ない」という主張はTPOをひとまず置いといた話になるから、議論としては嚙み合っていなかった。
かえでママは長男の言葉が聞こえなかったか、聞こえなかったフリをして、隅の方でかえでくんに言い聞かせていた。
そばで見ていた私には、普段おとなしい長男がムキになって放ったセリフが悲痛な叫びとして響いた。3つ下に手のかかる弟がいたから、甘えたくてもやさしい彼は遠慮してしまい、寂しい思いをしてきた。それは親として十分に承知している。その気持ちがいまだに満たされずに、ここで発露した。私にはそのようにしか見えなかった。
長男はその言葉を、私の目を見ながら、それとなくかえでママにも聞こえるような声量で言った。だけど、ほんとうに伝える相手は私であり、かえでママに聞こえなくて正解だったと思う。
「年齢関係ないから、キミのことも抱っこしてあげるよ!」
と、そんなことは言えなかった。私よりもう遥かに背が高くなった彼を、持ち上げることなど到底できない。抱きついたところで私の方が彼の首にぶら下がることになるから、それはとんでもなく気恥ずかしいし、何か間違っているような気がしてしまう。私のその役目は、とっくに終わっているのだ。
その代わりに、肩を揉んだり、熱を出したときなどにオイルマッサージを施したりなどでスキンシップを保つようにはしている。
「さびしさも、その人の魅力の素になるスパイスの一つよ」なんて言ってしまうほど、私はのん気な母ちゃんをやっている。まあそう思えるのは、彼の抱えるさびしさが将来の彼を破滅的な苦しみに追いやるほどのものではないと感じているから。また、彼の幼少期のさびしさに対する穴埋めを、別の形で夫婦で協力してやってきたという自負もあるから。そして何より、今、彼との信頼関係がちゃんとできている実感があるから。
さびしさは、これからの人生で、いつからでも埋めていく方法があると思っている。
幼いときに「もう十分」ってほどには抱きしめてあげられなかった長男が、心も体も大きな男になり、今度は小さな人たちを抱いて歩くようになった。切なくも頼もしいと感じた。
※ヘッダー画像にはsassaさんのイラストを使わせていただきました。
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