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サッカー観て 神社に行きたい。ーサンフレッチェ広島編

広島弁かわいいよね~!
 って、Perfumeのあ~ちゃん見て思う。
わたしの主治医の先生(男性)も広島出身で「○○じゃろ~」って話すんだけど、いつも癒されてるかちこです。

今回はサンフレッチェ広島編!
サンフレッチェ広島さんは、2024年に新スタジアムが出来る予定。利便性も然ることながら、サッカー専用スタジアムはとっても魅力的!!うらやましい~!そして楽しみ!ドキドキワクワク。

それもあってなのと、エディスタの近くに神社がないこともあり、ピックアップする神社は広い範囲になってます。

まずは歴史から。
広島県は元々「阿岐国あきのくに」でした。
その後、律令制となり「安芸国あきのくに」と「備後国びんごのくに」に。東側の備後国は岡山県も含まれます。
安芸=阿岐の由来は様々。
豊穣を祈念してつけられた瑞祥地名説(「アキ」は禊の明けって意味合いもあるようで、瑞祥ってそういうことなのかな)、網子あみご(子の字が違うかも・・)説、水を吐く=はく=ハキ=あき説、水が湧く=わく=ワキ=あき説。
安芸を「アギ」と古くは読んだらしく、そこから「アゲ」「アグ」などが「高地」を意味するので、同じく高地説などなど。
阿岐国は阿岐あき国造一族が治めていたのですが、きっと阿岐氏は地名から名前を冠したのだと思います。

京と太宰府を結ぶ唯一の大路である山陽道のほぼ中心に位置し、中国地方で1位、全国でも10位の広さを誇ります。山地が多いですが、険しさはあまりなく穏やかな山並み。
「広島」の名称は新しい地名で、毛利輝元の命名によるもの。
旧備後には式内社が17社ありますが、いずれも小社。安芸には式内社が3社のみ、速谷はやたに神社(廿日市市)、多家たけ神社/埃宮えのみや(安芸郡)、伊都伎島いつくしま神社(廿日市市)、全て名神大社。
この差はなんだろう?と思ったのですが、両国の豪族のあり方に相違があるようです。朝廷との関係性などかな。今回は省きますね。

なので、広島の神社は中世の武士が創建したものも多く、特に八幡社は約4分の1を占めていて、鎌倉時代以降に関東御家人が移住して勧請されて広まったとのこと。
安佐北区には亀崎八幡、小田八幡、両延八幡、養山八幡、三入神社(八幡宮と呼ばれていた)、土井泉神社(別称・飯室八幡)など沢山あり、驚いて調べたら上記のことが判明したのでした。

安佐南区を中心に広島には、中国・四国地方に見られる黄幡おうばん信仰をベースにした「黄幡神社」があります。
黄幡とは、陰陽道の方位神で「羅睺星らごうせい」を示し、スサノヲや仏教の不動明王と習合されています。
羅睺は「ラーフ」という名前で、インド神話に出てきます。
なんで、中国四国地方なんだろう…て調べるとキリがない民俗学。

ちなみにサンチェくんとフレッチェちゃんは「ツキノワグマ」ですが、昔、ツキノワグマは喉元の月ノ輪の部分に呪力が秘められていると信じられていたのですって。
ツキノワグマ、冬眠中は掌のザラザラを舐めて過ごしてるらしい。

厳島いつくしま神社

安芸国一の宮。
 世界遺産にも登録され、海中にあることから「日本のモン・サン・ミッシェル」とも呼ばれています。
海に浮かぶ神秘的な朱塗りの社殿。かっこいい。
平清盛はセンスが良いと思う。黒糸威の鎧もかっこいいと思っていたけど。
 干潮満潮の最大差は4.5m。モン・サン・ミッシェルは15mですって。すご。

伊都伎いつき島と書かれ、元は斎島いつきしまの意味。島自体が御神体だったのですね。
周囲30kmの小島で、花崗岩から出来ています。
神奈備である弥山みさんは標高350m、頂上付近には磐座らしい巨石。
そして、厳島神社の奥宮である境外摂末社の「御山みやま神社」があります。奥宮って、なんか好き。
「弥」も「御」も美称、尊称です。

弥山にはロープウェーで行けるのですね。ロープウェーも旅行感があって好き。
徒歩で登山も出来るようですが、気軽にピクニック!ではなく登山用の準備が必要とのこと。(遭難するひとも出たりするんですって)

593年に創建され、その後、平清盛によって修造。
御祭神は宗像むなかた三神。
 市杵嶋姫命いちきしまひめのみこと田心姫命たごりひめのみこと湍津姫命たぎつひめのみこと
 元は市杵嶋姫命のみだったのが、後から二神も祀られた説が有力。
女神を祀るということもあり、当初の祭祀者は女性で「内侍ないし」と呼ばれ、神楽や舞を中心に奉仕していたが、戦国末期から男性になったという。
神紋は三亀甲剣花菱。
三つの亀甲紋の中に、花に剣が生えてる紋です。三つの亀甲は、三神であることと、亀甲は亀=玄武げんぶを示し、花は唐花、剣は天叢雲剣を表す。
ちなみに出雲大社の神紋は亀甲剣花菱で、市杵嶋姫命も出雲から来たと云われ、出雲との関係を感じるところ。

壮麗な寝殿造風な社殿、その本殿の裏には神様の通る門である「不明門あけずのもん」があり、広がる森は「後苑うしろぞの」と呼ばれる禁足地。元は市杵嶋姫命の本地仏の十一面観音がいらしたお堂があったた土地だそうです。
本地仏は神道の神様が仏教と習合した際にイコールになるようにされた仏様です。

社殿の広さは82坪。(西川貴教さんの自宅と同じ広さだそうです…笑。すごいな)
境外摂末社もたくさんあり、それを巡るのも楽しそうです。
大河ドラマでも源平合戦は取り上げられ易いので、平清盛が厳島神社を改修したのは皆さん御存知かと思いますが、
清盛は安芸国の守護職に10年補任されていたことがあり、それで安芸との関わりがあったとされています。

厳島神社のある宮島といえば!鹿。
鹿と猿は神使と云われている。けど、鹿がいつから住んでいるかはわからないんですって。
ちなみに、厳島が「宮島」と呼ばれ始めたのは江戸時代以降。
宮は神社のお宮があるからですね。
現在は地理的に「宮島」呼びがメインですね。厳島は神社の名称で厳島神社として使用されてます。
今ではお店も宿もありますが、昔々はお産は島の外でしなければならないなど様々な禁忌がありました。
現在は楽しく観光出来て、ありがたいことですね。

宮島には小さな神社が点在しています。
浦に多く、それらの神社を船で回る神事もあるとか。
「七浦巡り」「御島巡り」と謂うそうです。七浦の通り、七つの神社を巡るのですが、他にも神社がありますが
それらを含め宮島の神社は創建年など、詳細不明な神社が多く、それもまたドキドキしますね…。

美味しいものもたくさんの広島。
個人的には牡蠣が大好きです。お好み焼きも好きです。
そして、広島土産といえば、もみじ饅頭。
最近では、「生もみじ饅頭」が人気のようで…わたくしもいただいてみたいところ…。


邇保姫にほひめ神社

広島駅から徒歩36分、バスで21分。
広島市南区にある神社で、昔々は此の場所は「仁保島」と呼ばれる島だったんですって。
江戸時代に埋め立てられて、現在の形になったそうですが今でも小高い丘に鎮座。
仁保島は「邇保島」「香島」とも書かれ、「にほ」というのは「鳰」=カイツブリ、水に潜る鳥のこと。
ちなみ琵琶湖の異名も「鳰のうみ」と呼ばれてたそうな。

創始は392年。
御祭神は邇保都比売命にほつひめのみこと
神功皇后が三韓遠の際に、国造石坂比売命いしさかひめのみことに邇保都比売命が憑依して、祭祀するよう御神託されたのが始まり。
国造くにのみやつこ、今でいう県知事的なポジションが女性だったのですね。
憑依してってことなので、巫女としても崇められていたのでしょう。
邇保都比売命は天照皇大神の妹である稚日女命ともいわれておりますが、丹生都比売にうずひめと同一神と云われており、この神様は朱砂の神との説が有ります。「丹」とは「朱」のことです。
上記の創始譚も御神託の中に「赤土」についての神託もあり、この場所から嘗て、朱砂=辰砂がとれたと予測されています。
辰砂は水銀と硫黄の化合物(硫化水銀/HgS)です。
もう一種類、鉄系の朱があり酸化第二鉄(Fe2O3)、こちらはFC琉球のユニフォームでお馴染み「ベンガラ」、別名「そお」。赭に対して、辰砂は「真赭まそお」と呼ばれる。

ということもあり、地名の由来は鳰でなくて、邇保都姫という説もあります。
885年には宇佐八幡を勧請し「正八幡」と称されるようになりました。

こちらの神社は爆心地から約3.6キロの場所にあり、手水舎が被爆建物として広島市に登録されています。
被爆直後、本殿には家を失くした方々が身を寄せていたそうです。本殿も被爆建物として登録されていましたが、残念ながら火事で焼失してしまったとのこと。

お写真で拝見して、参道の階段がとても素敵でした。
それを見て行きたくなったのでした。

境内には「おねがいポスト」というユニークなものも。
ポストの前には小石が凸凹ある激痛ロード?を歩いて、おねがいごとを書いたポストカードを投函するんですって。
健康サンダルすらギブアップするわたしには厳しい…けど、がんばったら御利益あるかも?
公式のホームページには拝殿内と境内、そして墓地のライブカメラあり!防犯かな?


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