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異語り 169 古狸

コトガタリ 169 フルダヌキ

50代 男性

私の郷里は焼き物の街として有名です。
あちこちにたぬきの焼き物が置かれています。
駅前や役場には市が設置した特大のたぬき。
一般の家にも玄関先に小振りのたぬきを置いている家がたくさんありました。

私が中学生の頃の話です。

運動部に所属していたので大会が近づくと部活が遅くなることが増えました。
日も暮れて暗い中
狭い歩道を自転車で走るのが嫌でよく堤防の上を走って帰っていました。

その日も一人で薄暗くなってきた堤防の上を自転車をこいでいました。
土手の下の道には帰宅途中の車がしょっちゅう走っています。
線を引いただけの歩道にも岐路を急ぐ人がちらほら見えます。
変わって、私の走る堤防の上はほぼ人は歩いておらずとても快適でした。

鼻歌まじりでのんびりとペダルをこいでいると、前方の草むらで何かが動きました。
なんだろう?
白くヒラヒラとしたものが見えます。
もしかして鳥が怪我をして飛べずにいるのだろうか?
私は自転車を降り、鳥を怖がらせないようにゆっくりと近づいていきました。

近くまで来ると、それは鳥ではなく本のようでした。

なんだ、落し物か。

少しがっかりしたものの、せっかく近くまで来たついでに落ちていた紙の束を拾い上げました。

それは見た目よりもずっしりと重く、表には太い筆でぐにゃぐにゃと文字が書かれています。
上のほうは縄のようなものでまとめられていて、手でぶら下げられるようになっていました。

あれ、これってタヌキの帳面じゃないか?

我が町に溢れているたぬきたちは縁起物でもあります。
商売繁盛を願うものには『御通』と書かれた大きな帳簿を手に持っていたりします。
小さなものや、そこそこのものは帳簿やとっくりもまとめて焼き物になっているの場合がほとんどですが、ちょっとこだわったタイプになると本物の小物類を作って持たせていたりします。
老舗などでは本物の帳簿に徳利、簔傘や煙管を持たせている店もありました。

恐らくこの帳簿もそんな小物の一つだと思われます。

こういう場合は交番だよな

交番に行くには堤防を少し戻り土手を降りなくてはいけません。

はっきり言うと……
ちょっと面倒くさい。

でもたぬきの帳簿は縁起物です。
見なかったことにしてここに残していくのは少し気が引けました。

「しょうがないなぁ」

面倒くさいを振り切って帳簿を自転車のカゴに入れると、自転車をUターンさせました。

「あの~」

急に声をかけられて振り返ると思わず叫びそうになりました。

黒っぽいカッパのようなものを着たでかい男がすぐ後ろに立っていたのです。

川沿いの土手の上に視界を遮るものはほとんどありません。
向こうから歩いてくる人だってずいぶんと前からよく見えるはずです。

……この男はどこから現れた?

「あの~」

その立派な体格にはちょっと不釣り合いな高めの声で小首をかしげながら私の自転車を指差しています。

「はい? えっ?」

男はそれ以上は何も言わず指先だけで、「それそれ」というように自転車の前の方を示し続けています。
「あっ、もしかして帳面ですか?」
すっぽりと被ったフードの隙間から、にぱっと笑った口元が見えました。
どうやら正解のようです。

本来ならちゃんと確認するべきなんでしょうけど、その時の私は(よかった交番に行かなくても済みそうだ)と嬉々としてすぐに帳簿を男に渡してしまいました。なんとなくそうするのが良いとも思っていました。

男はぺこりと頭を下げて帳簿を受け取ると、手を振って私を見送ってくれました。
私はなんだかほっこりとしたいい気分でその場を離れました。

なんとなく気になって少し走って振り返ると、男の姿は影も形もなくなっていました。

堤防の下にも、いません。
あんな大きな人影を見失う方が難しいはずなのに……
時間にして一分も経ってないはず。
男は煙のように消えてしましました。

ちょっとありえない話ではありますけれど、
その時は(ああやっぱりな)と妙に納得してしまって、
そのまま誰にも話すことなく日々の生活に戻りました。


後日、あの堤防近くのお肉屋さんの前に紙の帳簿を下げた、特大のたぬきを見つけました。

ええ、何も関係ないかもしれませんけど

わたしはなんとなく

やっぱりなぁ

と思ってしまいました。

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