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異語り 097 のびあがり

コトガタリ 097 ノビアガリ

子供ができる前はよく劇場や映画館に足を運んでいた。
小さな劇場にもよく行ったけど、時々は奮発して大きなホールでの公演を見に行くこともあった。
小劇場と違い指定席というのがちょっと気分が上がる。

その時の席は前寄りのほぼ真ん中の席。
今回はついてる! と気分良く開演を待っていた。

舞台の内容はもうよく覚えてはいない。でもそれなりに集中して見入っていたと思う。
とても高揚して舞台を見つめていた


そんな中、視野の端のギリギリのところで何かが大きくなった。
クライマックスの最中とかなら気がつかなかったかもしれない。
でもその時は誰かが前のめりになって背を伸ばしたかと思ったからちょっとイラついて、少しだけ意識をそっちに向けた。

(そんなに大きく動いたら後ろの席の人とか見づらくなるのに)
そんな気持ちだったと思う。
(非常識なやつをちょっと見てやろう)一瞬だけのつもりで意識を横へずらした。


自分から1人置いて右隣。
普通の人の頭一つ分より上に大きな頭があった。


座席の背から離れ、席に直立するかのように背筋を伸ばしじっと前を見つめている。
日本髪を結った巨大な女。   だと思った。
薄暗いので着衣が着物かどうかまではわからなかったけれど、人の頭上にある頭部は確かに日本髪(時代劇に出てくる女将さん風)だった。


ちらっと見るだけのつもりが、あまりに予想外の光景にその後何度も様子を伺ってしまう。
顔を向けてまで見る勇気はなかったので、チラチラと繰り返し……繰り返し
その度に大女はさらに大きくなって行くみたいだった。


そのうち舞台は休憩時間となった。
明るくなる場内、右隣の人も席を立ったのでそれに合わせて奥の席へ顔を向けてみた。
そこに座っていたのはサラリーマン風の若い男の人。髪も短く、帽子などもかぶっていない。どう見間違ったとしても日本髪に見えることはないと思われる。
さらには、その後ろの席の人達も特に見づらかったなどの不満はなさそうだった。


見間違いだったのか? もしくは自分の目なり意識がちょっとアレだったのかも。
暗い中で直視できた訳でもないので、自分自身を疑うことにした。


休憩後、舞台はいよいよクライマックスへ。

でも先程のことが気になり集中しきれない。


そんな時、再び視界の境界ギリギリの隅が大きく伸びあがった。


不自然にならないぐらいの角度だけ、少し顔をそちらに向けてみた。


黒く巨大な日本髪の女が、先程と同じ席でまっすぐに前を向いて座っている。

だが、私の動きに気が付いたのか、ゆっくりとこちらへ顔を向けようとし始めた。


急いで顔を前に向け直す。

舞台はさらに盛り上がりいよいよ熱気が満ちている。でももう内容はちっとも頭に入ってこなくなっていた。


右側からの圧がすごい。
近づいてきたりとかはなかったが、恐らくじっと見られている。


右手の指先が冷たくなり手汗がひどい。
もう絶対に見ないと心に誓うものの、やはり気にはなるので境界ギリギリへ意識を持っていってしまう。

その度に黒々とした大女の視線がビシビシと感じられる。




終焉の幕が下り場内の明かりがつくとやっとその圧から解放された。

周囲の感嘆のため息に混じり、私は安堵のため息をつく。
ぞろぞろとホールを出る人の波に乗って劇場の外へと出た。
もう一度大きく息を吐き、ゆっくりと深呼吸していると、ふわりとお香のような匂いがそばを過ぎていった。
すぐにあの大女が脳裏によぎる。
慌てて周りを見た。


けれど、あの女も、先程のサラリーマンの姿も見つけられなかった。

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