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異語り 168 おっきいばあちゃん

コトガタリ 168 オッキイバアチャン

40代 女性

私は子供の頃鍵っ子だった。
学童もあったとは思うが、小学校に入るとすぐ鍵を渡され1人でお留守番をしていた。

もちろんずっと家にいるわけではなく、帰宅と同時にランドセルを放り投げ遊びに行くことの方が多かった。
友人にも何人か同じような子がいたので、そういう時代だったんだと思う。

父はたいてい寝る時間頃に帰宅。
母は日によっては私の帰宅と入れ替わりで家を出て、翌朝帰ってくる日もあった。

夜には必ず父がいたし、起きれば母もいたので寂しいと感じることはあんまりなかったと思う。

自分が子供を持ち時々夜勤があるシフトをこなしていると、
本当に寂しくないか? 夜が不安じゃないか?と気になってくる

我が子は夜勤があっても不満も文句も言わず、むしろ労ってくれるような素直で優しい子に育っている。
とても有難いけれど、だからこそ言えない不安や悩みがないのかと心配になる。

本人に聞いても「大丈夫だよ」「平気だよ」と返されるばかりで私の不安は増していくばかりだ。



ふと当時の自分を思いだした。
そういえば自分も寂しさは感じていなかった気がする。

なぜだろう?

母が夜勤の日。
遊び回ってすっかり日も暮れてから家に帰るともう母はいなかった。
でも、家の中は電気がつけっぱなし。
「暗い家は不用心だから点けて行くね」
と母はまだ明るいうちに家を出る日もあちこちの電気をつけてから出かけていったからだ。

そして、どうやっていたのかは分からないが、家中に美味しそうな匂いが立ち込めていた。
作り置きのはずのカレーや肉じゃがはいつもほんのりと暖かかったし、さらにはお風呂もちゃんと沸いていた。

今は電気鍋やタイマーを使い、その環境を再現している。
けれど、そんな便利グッズも少なかったあの時代の母がどうやってあの空間を作り上げていたのかは未だにわからない。
何度か聞いてみてはいるが、「何もしていないわよ」と流されてしまうのだ。


ある日、のんびりと時間が取れたので我が子に聞いてみた。
「ねぇ、本当に1人で寂しくない? おばあちゃんに来てくもらってもいいんだよ?」
「大丈夫だよ。おっきいばあちゃんもいるから」
「おっきいばあちゃん?」
「あっ! 何でもない」
「留守番中は人を家の中に入れてはダメだよ」
「入れてないよ! おっきいばあちゃんはいるだけだもん」
「だから、おっきいばあちゃんって……」

もっと詳しく聞こうかと思った時、昔の記憶が蘇った。

「ただいまあ」
( おかえり )
「今日はねー、○○して遊んだの」
( うん うん )
「あのねー、先生が忘れ物したんだよ」
( うん うん )
「あのねー」

「それでねー」

思い出した。
おっきいばあちゃん。

私もいっぱい話を聞いてもらっていた。

なんとなく透けていても、ふわふわ浮かんでいても、どことなく母と顔が似ていたからか、怖さは全く感じなかった。

はっきりした声は聞いたことはないけれど、いつもニコニコして頷きながら話を聞いてくれていた。


「ねぇ、おっきいばあちゃんは今もいる?」
「パパかママが帰ってくる時にはいつもいなくなっちゃうの、だから帰ってくるのはすぐ分かるんだ」
得意げな顔を見て、ああ、そうだったなと思い出す。

そしていつごろからか見えなくなってしまった。
まだちゃんとお礼を伝えていなかったなあ

「じゃあ、次に会った時にママが「いつもありがとうございます」って言ってたって伝えてくれる?」
「うん、いいよ」

あの魔法のような空間がおっきいばあちゃんのおかげかはわからないけれど、寂しさを感じなかったのは間違いなくばあちゃんのおかげだと思う。

おっきいばあちゃんのニコニコ顔がはっきりと思い浮かんだ。

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