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かぶきDOU其の22松本白鸚さん②アフタートーク

皆様今回もコミてんラジオかぶきDOUをお聴きいただきありがとうございました!
いよいよ博多座では13代目市川團十郎襲名披露 8代目市川新之助初舞台が9/1から始まります。公演に先立ちまして8/27に川端通商店街にて襲名披露のお練りが開催されそのレポートをお伝えしました。


襲名披露お練り かぶきDOUレポート


今回のお練りは市川團十郎さん 市川新之助さんが人力車に乗って上川端通商店街の櫛田神社入口をスタートして川端通商店街を通って博多座を目指すルートでした。
16:55のスタートに先立ち、私は15時ごろ川端通商店街に着いたのですが、それからまもなくして博多座周辺は豪雨となりました。
お練りから博多座正面のご挨拶会場までの移動ルートには屋根がなく、とても短い距離ですが大勢の観客が帯同する形となります。
豪雨が止まなかったらどうなるんだろう…と心配になりました。
團十郎さんも出発前にブログで雨空を撮影した画像付きでUPされていらっしゃいました。


幸い、川端通商店街はアーケードですので開始1時間前には多くの人が集まり始め総勢およそ7000人もの皆様が成田屋の応援に駆けつけました。
團十郎さん、新之助さんが人力車でゆっくりアーケードを進むたびに大向うの皆さんの「成田屋!」の威勢の良い掛け声が響き渡り本当に賑やかで襲名披露に相応しいお練りでした。

川端通商店街のゴール地点から博多座正面に移動する際には雨は大分あがっていました。

成田屋のお二人を乗せた人力車が川端通商店街から博多座へ移動中

博多座正面の屋根のある部分は全て観客とマスコミ陣でびっしり埋め尽くされていました。私は沿道から見守る形でしたがご挨拶の間に雨は降ることはありませんでした。

團十郎さんはご挨拶で「暫は7代目市川團十郎からご縁がありますが、なかなか福岡の土地で暫がかかることはなく初上演となります。福岡の方々が元気になりますように勤めてまいります。」と話されました。
新之助さんは「本日は大雨の中来てくださって本当にありがとうございます。是非見に来てください、博多座で待っています。」と観客への労いの言葉に疲れも一気に吹き飛びました!
こうして成田屋のお練り、ご挨拶は無事に幕となりました。
團十郎さんのご挨拶にもありましたが今回はじめて博多座で「暫」が上演されます。暫を含む歌舞伎十八番を制定したのが7代目市川團十郎です。
7代目團十郎が俳句を詠むときのペンネーム 俳名は夜雨庵(やうあん)でした。お練りの間の豪雨は俳名にちなんで7代目が空から祝ってくれたのでは…とご挨拶の直前にピタリと止んだ雨に私はそう感じました。
7代目團十郎は博多で公演を行なっています!1834年天保5年に幕府の風紀引き締めで江戸を追われて博多で公演を行い大盛況となったそうです。
放送では天保の改革のためとお伝えしましたが正しくは1834年天保5年でした。お詫びして訂正いたします。
博多座近くの中洲中島公園には7代目の博多公演から140周年を記念して建立された石碑があります。12代目團十郎さんが10代目海老蔵時代に建立されたもので、来演碑の題字も12代目の直筆となっております。
気になる方はぜひ9月の襲名披露をご覧になる際にお立ち寄りくださいませ!



2代目松本白鸚さんお誕生日PART2

前回に引き続き、8/19に81歳のお誕生日を迎えられました2代目松本白鸚さんをご紹介いたしました。
今回PART2では歌舞伎役者としての白鸚さん、幸四郎時代についてもお届けしました。番組冒頭で市川團十郎襲名のお話をしましたが、高麗屋の松本幸四郎は播磨屋だけでなく成田屋とのゆかりが大変深いのでその歴史を辿っていきます。
歌舞伎ビギナーの皆様にも分かりやすく年表でご紹介致します。

・初代(1674年-1730年)松本幸四郎
荒事、実事(じつごと)を得意としました。実事とは常識的な人物が悲劇的な状況の中で苦悩する役柄をいいます。享保時代の名優で初代市川團十郎の芸の継承者と言われ、2代目團十郎と並び称されました。

・2代目(1711−1778)は1735年享保20年に松本幸四郎を襲名。
1754年宝暦4年に4代目市川團十郎を襲名します

9月博多座襲名披露でも上演されます「景清」の生みの親です。

・3代目(1741−1806)は2代目の息子で15歳で松本幸四郎を襲名。
敵役を得意としましたが、明和7年に5代目市川團十郎を襲名するとその芸の幅を広げていき荒事で江戸随一の役者となりました。

・4代目(1737−1802)は36歳で松本幸四郎を襲名。
京都生まれで、和事や女方まで幅広い役を演じられました。

・5代目(1764-1838)は4代目幸四郎の息子で1801年享和元年に松本幸四郎を襲名。鼻高(はなたか)幸四郎として有名です。
その目力と、彫りの深さ、鼻の高さで実悪(じつあく)の残忍な芸に優れていました。下層階級の人々の暮らしをリアルに描いた生世話物(きぜわもの)作品を生み出し現在も受け継がれています。5代目幸四郎の額にはホクロがあり、5代目の当たり役を演じる際はその位置につけボクロをするのが慣例だそうです。

・6代目(1811−1849)は5代目の息子です。
1844年天保15年に松本幸四郎を襲名
しますが30代半ばで逝去しました。
ここから松本幸四郎の名跡は途絶えていましたが明治時代に復活します。

・7代目松本幸四郎(1870−1949)は当代白鸚さんの祖父です。
三重県出身。舞踊の家元 藤間勘右衛門の養子になったのが縁で、9代目市川團十郎の弟子となります。9代目團十郎が逝去後、その後継者と評されました。
特に團十郎譲りの弁慶はあたり役となり「弁慶役者」と呼ばれ、生涯でその上演は1600回を記録しました。
前回の番組でもご紹介しましたが長男が11代目市川團十郎を襲名されています。
よって7代目幸四郎は12代目市川團十郎さんの祖父でもあり、現在の團十郎さん新之助さんと高麗屋の皆さんは親戚関係となります。

・8代目松本幸四郎(1910−1982)は7代目の次男で白鸚さんのお父様です。
時代物の大役を得意とされ「英雄役者」と呼ばれました。戦後の歌舞伎の形を模索し、新しい風を吹き込みました。

・9代目松本幸四郎は当代の白鸚さんです。1981年昭和56年に9代目を襲名されました

・10代目松本幸四郎は白鸚さんのご長男です。2018年平成30年に襲名し現在に至ります

成田屋の現在の名跡は松本幸四郎なくして発展しなかったことが、この長い歌舞伎の歴史からも理解できますね!



息子さんお孫さんについて

白鸚さんはご長男10代目松本幸四郎さんについて、ご自身の書籍でこう綴っています…

7代目の祖父、吉右衛門の祖父もかつては踊っていたが6代目尾上菊五郎、7代目坂東三津五郎、この二人が戦後の歌舞伎舞踊の規範になっている。この二人の人気が高く次第に芝居の方が多くなっていった。この流れに一石を投じることのできる役者が一人だけいる。それは(当時の)市川染五郎だ。
染五郎は15歳の時に「鏡獅子」を踊った。1日だけの公演だったが、2年がかりで稽古をして、よくやったと思う。努力もさることながら、彼は本当に踊りが好きだ。だから僕は父が興した松本流を、彼が22歳の時に託した。
”良い踊りというものは、ただきれいだとか、上手だとかいうのではなく、みている人が思わず踊りだしたくなるような踊りだ”ということを言う。
染五郎の踊りには、そういうものがある。だから僕は、歌舞伎の踊りを変えてくれるのではないかと、僕は彼に大きな期待を寄せている。

弁慶のカーテンコールより

2018年平成30年博多座での2代目松本白鸚10代目松本幸四郎襲名披露公演では夜の部で幸四郎さんが鏡獅子、本題 春興鏡獅子を勤められました。
博多座襲名披露のインタビューで白鸚さんは10代目松本幸四郎さんに対し
「幸四郎という器に色んなものを盛り込み、役者の大きさ、遊び心が身につけばと思います。歌舞伎のために頑張ってほしい」とエールを送っています。

私も観劇しましたが襲名披露にふさわしい圧巻の演技でした!

この博多座襲名披露公演には学業のため残念ながら来られませんでしたが
お孫さんの8代目市川染五郎さんについて白鸚さんは
「歌舞伎座初お目見えのときに抱っこしていた染五郎が芝居の木戸口に立ち、
独りで芸の道を歩いて行くことになります。その門出にあたり背中をポンと押してあげました」
と語られています。
白鸚さんがポンと背中を押してあげた染五郎さんは、ますます勢いに乗り、歌舞伎に他のジャンルにとご活躍となっておりますね!



勧進帳 弁慶の大記録

2021年令和3年歌舞伎座「四月大歌舞伎」で初日を迎えられた白鸚さんは勧進帳で弁慶を勤められました。コロナ禍でありましたが、祖父の七代目松本幸四郎の記録を塗り替えて史上最年長となる78歳で弁慶を演じられ大きな話題となりました。

2021年令和3年4/4東京中日スポーツよりお伝えします。

通算1151回目となったこの日の舞台では長男の松本幸四郎が冨樫役で共演。
祖父と父親の熱演を目の当たりにした市川染五郎は「いつかやらせていただきたい」と熱望した。
初日を前に「覚悟を決めて勤めたい」と語っていた白鸚。上演中、弁慶が客席に背中を向けるたびに「シューッ」という呼吸を整えるような音が何度も響き渡り、文字どおり命がけの演技に観客の目はくぎ付けとなった。

この勧進帳は白鸚さんと幸四郎さんが日替わりで弁慶を演じる初の親子競演で、白鸚さんは弁慶役を1160回まで記録更新しました。
弁慶を勤めることになったきっかけは染五郎時代16歳の頃だそうです。

歌舞伎座の子供歌舞伎教室というのがあって勧進帳の弁慶をやりました。若手が大役をやらせてもらう唯一の機会。朝の九時から始まるんですが、劇評家の安藤鶴夫さんがみえたんです。滅多に楽屋になんか来られない方なのに、舞台が終わると来てくださって「よかったよ」って、手を握って言ってくださった。小さなコラムに書いてくださった。日頃から僕が尊敬している劇評家の方に褒められた時は、それは嬉しいものです。

弁慶のカーテンコールより

史上最年長の弁慶という大記録の礎は少年時代の「嬉しい!」だったのですね!
そして今年7月30日放送のNHKラジオ深夜便で白鸚さんは
「歌舞伎であろうがミュージカルであろうがもっと上手くなりたいなあ」
しみじみ語られていました。見果てぬ夢を追いかけることが2代目松本白鸚さんの原動力であると感じました。

今回はPART2と題して歌舞伎役者としての松本白鸚さんについて、お時間の許す限りお届けしてきましたが実はご紹介できたのはごく一部です。またの機会にさまざまなエピソードをご紹介できたらと思います。


縁の一曲 松本白鸚さん

歌舞伎役者さんにゆかりの曲をご紹介する縁の一曲のコーナー、今回もやはり2代目松本白鸚さんでした。
1978年昭和53年市川染五郎時代にNHK大河ドラマ 黄金の日日(ひび)で主演
されました。
戦国時代に商人の町 堺とフィリピンの交易を開いた商人の呂宋(るそん)助左衛門を主人公にした作品で、大河ドラマ史上初めてフィリピンでロケが行われました。最終回にはご長男の10代目幸四郎さんが、本名の藤間照薫(ふじまてるまさ)で子役デビューされています。
そして、三谷幸喜さんがこの作品の大ファンでこれがきっかけで劇作家の道を志したそうです。三谷さん脚本のNHK大河ドラマ「真田丸」では38年ぶりに呂栄役を演じられ話題となりました。
NHK大河ドラマ「黄金の日日」 オープニングテーマ曲をお届けしました。


めでてえなぁ8/23-8/29


お誕生日を迎えられる歌舞伎役者さんをご紹介するめでてえなぁのコーナーです!お名前と、所属 屋号をご紹介します。五十音順となっておりますのでご了承ください。8/23から8/29がお誕生日の皆さまでした。

8/26片岡千壽さん
松嶋屋 

8/26片岡松太朗さん
片岡仁左衛門一門

8/27中村かなめさん
成駒家
 

今回は3名の皆様でした。お誕生日おめでとうございます!



次回は9/5㈫午前10:00〜10:25 FM77.7MHzコミてん生放送です。ラジオ局公認の無料アプリListenRadio、コミてんYouTubeでも生配信しております。お楽しみに!

8/29番組アーカイブはこちらからご覧いただけます

※権利の関係でYou Tubeには音楽BGMが入っておりません。
ミキサールームからのトークの為スタジオは無人で音声だけの配信となっております。ご了承くださいませ。

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